第3話 再誕

 目を開くと、空には一面の青空が広がっていた。

 日の光を避けようとして顔を動かすと、兜が地面の小石に擦れて、ジャリッと音を立てた。

 風が草の青臭い匂いを運んで来る。

 どうやら自分は外で仰向けに寝ているようだ。


(はて? 僕はなぜ、地面に寝転がっているのだろうか?)


 そもそも、ここはどこなんだ?

 寝起きでぼんやりしていた頭が覚醒していくにつれ、僕は自分が置かれている状況をゆっくりと思い出した。


「そうだ! 僕は魔王と相打ちになって死んだんだ! そして死後の世界で神の御使い様――じゃなかった、エリーと契約して、この世に生き返らせて貰ったんだった!」


 僕は慌てて跳ね起きた。

 魔導真鉄製の鎧。通称”勇者の鎧”が、ガチャリと耳障りな音を立てる。

 死ぬ直前の恰好だ。間違いない。鎧に刻まれた戦いによる傷跡まで残っている。

 出来れば鎧を脱いで中身の体も確認したい所だが、僕はそれより周りの景色に意識を奪われていた。


「・・・ええと、ここどこ?」


 魔王との最終決戦の地、魔王城――ではなかった。

 石造りの巨大な建物もなければ、腐臭を放つ瘴気も漂っていない。

 城を守護する魔戦騎士団もいなければ、僕と一緒に魔王城に乗り込んだ仲間達もいない。

 誰もいないし何も無い。

 そう。僕は点々と草が生えているだけの何もない原っぱに、たった一人で寝転がっていたのであった。




 見渡す限り何も無い原っぱで、僕は少しの間途方に暮れていた。


「魔力爆発で全部消し飛んだ・・・って訳じゃないよね」


 だったら地面は大きく抉れて土がむき出しになっているはずだ。こんな風に辺り一面に雑草が生い茂っているはずはない。

 ならば考えられるのは――


「エリー、ひょっとして間違えた?」


 そう。エリーが生き返らせる場所を間違えたのだ。

 何となく、彼女ならしでかしそう、と僕は妙に納得してしまった。


「まさか僕の体も変な事になっていたりしていないよね? ・・・パッと見は大丈夫そうだけど」


 少なくとも手足が馬の蹄になっていたり、お尻からネズミの尻尾が生えていたりはしてないようだ。

 後で詳しく確認しておいた方がいいかもしれないが、僕は一先ずホッと安心した。


「困ったなあ。まあ、海の上や極寒の地に放り出されなかっただけマシだけど」


 あるいはエリーが冗談で言ったように、お城の後宮の中で目覚めた可能性だってあったのだ。

 それを考えれば、ここが原っぱだったのはまだ運が良かった方と言えるだろう。


「・・・空気が暖かい。南の土地かな」


 この時期(※4の月)にジッとしているだけで軽く汗ばんで来るという事は、ここが国の南に位置しているという証拠だろう。

 少なくとも魔王領でないのは間違いない。

 いや、魔王は僕達が倒したから、今は旧魔王領になるのか。

 それはともかく、いつまでもこうしていても始まらない。

 僕は立ち上がると適当な方向に歩き始めた。


 歩き始めて少しして。

 前方から蝶々のような、小鳥のような小さな生き物が、僕の方へ向かって一直線に飛んで来た。

 見慣れない生き物に、なんだろう? と怪訝に思っていると、その生き物は僕の目の前でピタリと止まった。


「勇者! あなた何でこんな所にいるのよ!」


 羽根を生やした生き物は、そう怒鳴ると僕をビシッと指差した。

 それは小さな人間そのものだった。やや吊り上がり気味の大きな目。艶のある黒く長い髪。ふっくらとしたピンク色の唇。透き通った白い肌。大きく胸元が開いたドレス――


「――って、エリー?! まさか君なの?! 何でそんなに小さくなっちゃってる訳?!」


 そう。それは神の御使い、使徒エリー。ただし1/8くらいのサイズになった姿だった。


「小さく? いや、私は元々この大きさじゃない」


 エリーの言葉に僕は「でも、さっきまでは――」と言いかけて、彼女と会った時には自分は死んで魂だけの存在になっていた事を思い出した。

 ええと、つまり魂だった頃は彼女は僕と同じ大きさに見えていたけど、こうして生き返った状態だと小さく見えている、と。

 魂というのがどういう存在なのかは分からないが、体の中に納まっている以上、普通に考えれば体よりは小さいのだろう。


「つまりエリーの大きさが魂の大きさだったという訳か」

「何だか分からないけど、人のコトをそんなにジロジロ見ないで頂戴。それより、勇者。何であなたこんな所にいる訳? 魔王城で生き返ったんじゃなかったの?」


 そう、それだ。僕は彼女に事情を説明した。


「えっ? そんなはずないんだけど。私はちゃんと魔王城の位置を設定したはずよ」

「でも、実際に僕はここにいる訳だし。ねえ、エリー。ここがどこの土地か分かる?」


 エリーはすっかり小さくなった体で大きく胸を張った。


「全然! ていうか、使徒の私が人間の土地の名前なんて分かる訳ないでしょ」

「だよねー」

「あっ、TPを貰えれば調べれると思うわ。どうする?」


 何で君はそう直ぐに露骨にTPを要求してくるかな。


「止めておくよ。歩いていればそのうち人に会うと思うし」

「ふぅん。まあいいわ。疲れたら言って頂戴。体力を回復させてあげるから」


 それもTPを取るんでしょ? 分かってるから。

 どうやらエリーは使徒としての能力はともかく、女性としてはあまりおねだり上手ではないようだ。


「干からびる前に誰か見つかればいいわね」

「それなら大丈夫じゃないかな? 僕がまだ勇者なら、そのうち誰かに会えると思うよ」

「?」


 その時だった。

 ドドドドという地響きと共に、土煙がこちらに向かって近付いて来たのだった。




 土煙の正体は二頭立ての馬車だった。

 かなり大きな馬車だ。乗っているのは裕福な商人といった所か。

 御者は目を血走らせながら手綱を握りしめている。


「一体何が・・・ああ、なる程。レッサーオーガに目を付けられたのか」


 馬車の後を追っているのは灰色の体をした凶悪な人型魔物。レッサーオーガだ。

 レッサーオーガは文字通り、オーガと呼ばれる大型人型魔物を一回り|小型≪レッサー≫化した魔物である。

 オーガよりも力はないが、その分、動きは素早く、タフでスタミナもある。大きな群れを作る事もあるので、仲間の中にはこちらの方がオーガよりもタチが悪い、と言う者もいた。


「四匹か。それなら僕一人でも大丈夫だな。もう馬がもちそうにないし、急いで助けに行かないと――って、あっ、しまった!」


 無意識に腰の剣帯に手を伸ばした僕の手が虚空を掴んだ。

 そう言えば、聖剣は複製して貰わなかったんだっけ。

 僕は慌ててエリーの方へ振り返った。

 エリーはキョトンとしていたが、僕の困り顔で事情を察したのだろう。すぐにニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。


「聖剣を複製するなら一千五十万TPで――」

「それはナシで」


 相手がレッサーオーガなら、聖剣を使うまでもないから。

 ていうか、元々は一千万TPじゃなかったっけ? ちゃっかり五十万TP上乗せしないで欲しい。


「騎士が使うような普通の槍でいいから! 急いで! お願い!」

「あー、まあいいか。だったら3TPね」


 騎士の槍安っ! ていうか、一千万TPもする聖剣ってどれだけ貴重なの?!


「それでいいから早く!」

「じゃあはい、コレ」

「うわっ! 何、この錆びだらけの槍!」


 僕の目の前に現れたのは、錆びて真っ赤になった槍だった。

 これって誰かが捨てた槍なんじゃ・・・と思ったら、近くに捨てられていた槍を持って来た物だそうだ。

 ホントに捨てられた槍だったのか。どうりで妙にTPが安いと思ったよ。


「もっといい槍が欲しいなら百TP――」

「いや、もうこれでいいや。じゃあ行って来るよ」


 この急がしい時に妙な駆け引きをうたないで欲しいんだけど。

 僕は錆びた槍を掴むとダッシュ。レッサーオーガへと向かったのだった。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 それは瞬く間の出来事だった。

 勇者ラルクは危なげなく、馬車を追いかけていた四匹のレッサーオーガを仕留めた。

 驚きに目を見張るエリーに、ラルクは照れながら頭を掻いた。


「これくらい大した事ないよ。これでも魔王の城に乗り込んだ勇者だからね」


 ラルクの言葉には多分に謙遜も含まれているが、実際、オーガならともかく、レッサーオーガ自体はそれ程強い魔物ではない。

 あくまでも群れて数を増やした場合が厄介なのだ。

 それでも四匹を容易く瞬殺出来る人間はそうはいない。国の騎士団でも部隊長クラスにならないと難しいのではないだろうか?


 念のために魔物に止めを刺して回るラルクの下に、遠くまで逃げていた馬車が戻って来た。

 さっきまで全力疾走をしていた馬の体は、真っ白な汗を滴らせている。(※馬の汗には石鹸に似た成分が含まれている。そのため馬の汗は細かな泡になり、白く見えるのである)


「良かった、馬車が戻って来てくれた。エリー、あの馬車にお願いして、近くの町か村まで乗せてって貰おう」


 エリーはラルクに驚きの目を向けるだけで何も言えなかった。

 ラルクはさっき、馬車が現れるより前に、当たり前のように「自分がまだ勇者なら、そのうち誰かに会える」と言っていた。

 彼は本当に困った人間が近くにいた場合、自分の場所まで導かれるのが、今までの経験で分かっていたのだ。


(これが勇者。人々を救済する運命を与えられし者)


 勇者は人間の救済装置。

 ひょっとしてラルクにとって、勇者の神託を受けた事は、|下僕≪ミニオン≫の契約を結んだ事よりも遥かに重く、タチが悪い物だったのではないだろうか?

 エリーにはそう思えてならなかった。

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