第2話 下僕≪ミニオン≫

 僕の目の前に現れたのは、古風な羊皮紙の契約書。

 それには血のような赤黒い文字で、【ミニオン契約書】と書かれていた。

 ミニオン・・・聞いた事のない言葉だ。僕は目の前の美女に――神の御使い様に尋ねた。


(すみません、御使い様。みにおんとは一体何の事なんでしょうか?)

「みにおん? ああ、ミニオン契約書の事ね。そこはあなたは気にしなくていいわ。契約書の分類? 題名? そういった感じの物だから。それよりホラ、ここにサインをして頂戴」


 神の御使い様はそう言うと、グイグイ契約書を押し付けて来る。

 ・・・ええと、どれどれ。


(【ミニオン契約書】、第一条 使徒エリーは(以下甲といいます)、勇者ラルク(以下乙といいます)に対して、継続してその願いを叶える事を約束します。

 二 甲は乙の願いを叶える際に、その代価として、乙の魂が所有する徳(以下TPといいます)を請求出来るものとします。

 第二条 乙は甲によって願いを叶えられた場合、すみやかに自分の魂からTPを譲渡しなければなりません。

 第三条 甲によって叶えられた願いが乙の望まないものであったり、意図しない形の物であった場合、乙はTPの譲渡前であれば甲に対して願いの無効、ないしは返還を請求する事が出来ます。

 二 返還可能な条件は下記の通り――)


 僕は目が滑りそうになりながら、頑張ってどうにか契約書を最後まで読み切った。

 御使い様は(契約書の文面によると、使徒エリーというのが彼女の名前のようだ)そんな僕を不満顔で見つめた。


「・・・あなたってゆるそうで案外細かいのね」

(あ、すみません。生前は仲間達から口を酸っぱくして言われていたので)


 僕は仲間のみんなから、「ラルクはお人好しだから、絶対に俺達の確認なしに人にお金を貸したり、契約書にサインをしないように!」と、固く約束させられていた。

 勿論、今となっては仲間に確認を取る事は出来ないのだが、それならせめて契約書の文面をちゃんと読んでからサインをしようと思ったのだ。

 ちなみに幼馴染のシエラからは、「ラルクは騙されやすいから、知らない人に付いて行っちゃダメ!」とも言われていた。

 彼女は僕の事を、一体、何だと思っていたんだろうか?


「それでどう? 納得した? 別に変な事は書いてなかったと思うけど」

(ええと、はい。契約書の内容は分かりました。・・・あの、それで、サインって一体どうすればいいんでしょうか?)


 今の僕には手も指もない。魂だけの存在だ。


「あっと、そう言えばまだ説明してなかったわね。私達の契約では『これで問題無い』と納得して、『サインをする』と強く念じるだけでオッケーなの。簡単でしょ?」


 なる程。

 僕は御使い様こと使徒エリー様の言葉に従って、『サインをする』と強く念じた。

 次の瞬間、僕の魂の一部が何かと強く結びついた感覚があった。


(コレは・・・。主神様から神託を受けて勇者になった時も同じような感じだったような・・・)

「そうなんだ? まあでも、似たようなものかもね。よしよし、――ちゃんとサインが入ってるわね! これでバッチリ契約完了よ!」


 使徒エリー様は大喜びで飛び跳ねると、契約書をギュッと抱きしめた。


「キャッホーッ! これで勇者の魂は私の物だわ!」

(えっ?)

「えっ? ・・・あーっと、じゃあ早速、契約に従ってあなたの望みを叶えてあげるわね。生き返りたいのよね? 元の体でいいの? TPは別に貰う事になるけど、顔をイケメンに直したり、貴族や王族の子として生まれ変わる事だって出来るわよ?」


 イケメンか。どうせ生まれ変わるなら別人になりたい、という人も確かにいるだろうが、僕の望みは魔王がいなくなった平和な世界で平凡に暮らす事だ。

 別に顔を変える必要はない。

 そもそも顔が変わってしまったら、仲間に僕の事が分かって貰えなくなるだろう。


(いえ、元の体で生き返れるだけで十分です)

「ちぇっ。あ、そう。じゃあ生き返らせるために、最初に八百万TP貰うわね」


 その瞬間、僕の中から何かがゴソッと消えた感覚があった。


「えっ、ウソ。こんなに取ったのに、総TPの三割も減ってないじゃない。ていうか、こんなにTPを溜め込んだ魂なんて初めて見たわ。流石は魔王を倒した勇者ね」


 どうやら僕の徳の量は、使徒エリー様が驚くほど多かったようだ。

 最悪、生き返りに足りなかったらどうしよう、と思っていたので、僕は密かにホッとした。


「ブツブツ(これは搾り取り甲斐がありそうね)」

(使徒エリー様、何か?)

「何でもないわ。それより私の事を使徒エリー様って呼ぶのは止めて頂戴。人間達はどう思っているか分からないけど、使徒なんて所詮は|主≪あるじ≫の使いっぱしりだから。使徒様なんて呼ばれて喜ぶのなんて、頭の先まで神の教義にドップリ浸かった教条主義のクズ共くらいよ。私はそういうのじゃないから。だから様も付けないで。エリーって呼び捨てで構わないわ」

(そ、そうですか。分かりました)


 神の使徒様の名を呼び捨てにするのは抵抗があったが、使徒エリー様――じゃなかった、エリーが初めて見せた怒りの表情に、僕は頷く事しか出来なかった。




 使徒エリー様改め、エリーはパンパンと手を叩いた。


「さて、ちょっと妙な空気になっちゃったけど、切り替えていくわよ。今回は先にTPを貰ったけど、今後は先にあなたの願いを叶えてからTPを貰う形になるわ。いいわね? それであなたの願いは元の姿で生き返る事。これだと死ぬ直前の体って事になるけどそれで問題無い?」

(あ、はい。問題ありません)


 むしろ変えられた方が困る。それだと仲間と再会した時に僕だと分かって貰えなくなるだろう。


(そう言えば、僕の体は魔王の魔力爆発に巻き込まれてバラバラになったと思うんですが、大丈夫なんでしょうか?)

「ん? ああ、それなら問題無いわ。別に死体を生き返らせる訳じゃないから。それだとアンデッドになっちゃうでしょ? あ、それともそっちの方がいい――訳ないか。そりゃまあそうよね」


 僕はブンブンと力いっぱい頭を振って否定した。

 まあ、実際は振る頭も無い魂だけの存在だから、フルフルと震えただけなのかもしれないけど。


「体はこっちで用意するから心配しないで。――あれ? ああ、流石に聖剣の複製はムリか。聖剣を別に用意しようと思ったら追加で一千万TP必要だけどどうする?」


 流石は聖剣。僕が生き返るのよりTPが必要になるのか。

 ちなみに聖剣グラスタリミアは僕が教会から貸し与えられた武器だ。

 所有権は教会にあって僕の物ではない。


(聖剣はナシでいいです)

「あ、そ。一千万TPで聖剣が手に入るのならお得だと思うけど?」

(いえ、魔王が滅んだ今となっては、聖剣はもう必要ないと思うので)


 というか、オプションの時もそうだったけど、隙あらば僕にTPを消費させようとしてくるのは止めて欲しいんですが。


「生き返る場所はどうする? 希望する場所があるならそこにするけど。そうだ、王城の後宮とかどう? ハーレムよハーレム。男なら一度は憧れるんじゃない?」

(ちょ、止めて下さい! 捕まっちゃうじゃないですか! 二度目の人生は牢屋暮らしから断頭台までだった、なんてゴメンですよ!)


 エリーはケラケラと笑っているから、僕をからかっただけなんだと思うけど・・・冗談だよね?


(元の場所でいいです。魔王城の玉座の間で)

「あーハイハイ。維持費の方はどうする? 一日二十TPだけど、毎日手続きするのも面倒だから、自動引き落としにしとく?」

(それは・・・手間をかけますが、毎日手続きでお願いします。TPってどれくらい残っているのか、自分だと良く分からないので。自動にしているといつの間にか足りなくなってそうで不安だから)


 そう言えば、TPが無くなったらどうなるのか聞いていなかった。

 体を維持出来なくなって、またここに戻って来るのだろうか?

 そしてTPが空っぽな以上、次は生き返りも出来ないと。

 まあ、こんなチャンスを二度も三度も与えていたら、世界がメチャクチャになってしまうだろうし、それはそれで仕方がないかな。


 あれっ? だったらそもそも僕が生き返るのもマズイんじゃない?


 僕は生き返った人の話なんて聞いた事がない(※アンデッドを除く)。

 神の使徒様が言って来た事だから、特に疑問にも思わずにお願いしたけど、ひょっとしてこれって神様に仕える者としては良くない事をしているんじゃ・・・


「さて、|設定値≪パラメーター≫はこんな所ね。じゃあ生き返らせるわよ。せーの――」

(ちょっと待ってエリー! その前に君に聞きたい事が・・・)


 僕は慌ててエリーを止めたが時すでに遅し。

 魂が引き裂かれたかような激痛が走ったと思った次の瞬間、僕の意識はフツリと途絶えたのであった。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 エリーはこの空間から勇者ラルクの魂が消えたのを確認すると、「よし」と小さくガッツポーズを取った。


「最後に何か言いかけてたけど・・・まあ、それは後で本人に聞けばいいか」


 勇者ラルクの魂とは既に契約を済ませてある。どこに行こうが彼女の目から逃れる事は出来ない。


「それにしても・・・フフフッ。まさか本当に勇者の魂が手に入るなんてね」


 エリーは虚空から契約の羊皮紙を取り出すと、愛おしそうに撫でた。

 勇者は主神アポロディーナが、自ら選んだ――神託を与えるという形で直接契約した――人間である。

 人間という存在の中でも破格の価値を持っている。

 その魂を|主≪あるじ≫に献上すれば、今の使徒の立場から従者へ、いや、ひょっとすれば一足飛びに眷属にまで引き上げて貰えるかもしれない。


「勇者といえども所詮は人間。完璧な魂を宿しているわけじゃない。そう思って諦めずに粘った甲斐があったわ。最後の最後、死の間際に見せた僅かな欲望。そこを突いて私の空間に魂を引っ張り込んだけど、ホント運が良かったわ」


 今頃、エリーの敵達――主神アポロディーナの使徒達は、地団太を踏んで悔しがっている事だろう。

 勇者の魂は滅多に生まれないレア中のレア。

 誰もが目を血走らせて我も我もと手を伸ばしたその先で、日頃、彼らが地の底の住人と下げずんでいたエリーにまんまとかっ掻われたのだ。

 こんな痛快な事はない。

 エリーはこみ上げて来る笑いを堪えきれなかった。


「アハハハハハ、あーいい気味! 自分達の|主≪あるじ≫、主神アポロディーナのお気に入りの魂を奪われたばかりか、|下僕≪ミニオン≫の契約まで結ばれたんだ! あいつらの悔しがる顔が目に浮かぶわ!」


 今までのエリーの言葉からも分かる通り、彼女が仕えているのは主神アポロディーナではない。

 彼女の|主≪あるじ≫は贖罪の地(※いわゆる地獄)の支配者。

 地の底の王。

 逆神の堕天使ルキフェリアであった。


「さて、こうしちゃいられない。勇者が溜め込んだTPをむしり取らないと。勇者といっても所詮は汚れた魂を持つ人間。今は生き返った事に満足しているかもしれないけど、そのうちすぐに欲に駆られるようになるのは間違いないわ。そうなればしめたものね。上手い具合にあいつを焚き付けてバンバンTPを吐き出させてやるわ」


 そして支払うTPが無くなった人間は、いずれは借金を――自分の魂を担保に願いを叶えてもらうようになる。

 そうなれば完璧だ。死後、魂は地の底の王の|下僕≪ミニオン≫となり、主神アポロディーナですら手が出せなくなる。


「フンフンフ~ン♪」


 鼻歌交じりで上機嫌のエリーの姿が消えた。

 勇者ラルクの後を追って地上に向かったのである。

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