元勇者は魔王が滅んで平和になった世界でのんびり暮らしたい

元二

第1話 勇者の死

 その場所は一面、墨を流したような真っ暗な世界だった。

 瞼を開けているのか、閉じているのかも分からない真の闇の中で、僕は――勇者ラルクの意識はゆっくりと覚醒した。


(これが死者の世界なのか)


 教会の説明では、死者の魂は善行を積んだ高潔な魂は永遠の彼岸へ、勇敢に戦った戦士の魂は英雄の地へ、そして極悪人の穢れた魂は贖罪の地へと送られるとされている。

 これを魂の選別と言うそうだ。

 しかし、これら三つの場所はいわば魂の終着点。ほとんどの魂はこの三つの地に行く事は出来ずに、生前の記憶を消された後、現世で次の命へと生まれ変わると言われている。


(僕の行いは主神様の御心にかなったのだろうか?)


 目を閉じるとあの時の光景が――魔王城での最後の戦いが脳裏に浮かんだ。

 僕は神託を受けた勇者として、多くの仲間と共に、世界を滅ぼす邪悪な魔王の住む城へと乗り込んだ。

 激しく厳しい戦いだった。

 何人もの仲間の命を失った末、僕は遂に魔王の心臓に聖剣を突き立てた。

 ようやく魔王を倒した! そう思った次の瞬間。僕は禍々しい黒い光に包まれていた。

 そう。魔王は膨大な魔力を得るための代償として、自分自身の体に呪いをかけていたのである。

 魔王の死がきっかけになって呪いは暴走。

 彼の心臓に剣を突き刺していた僕は――つまりは、暴走の現場の一番近くにいた僕は――逃げる間もなく、荒れ狂う膨大な魔力の暴走に巻き込まれてしまった。

 抗いようのない死が迫り来るその刹那。

 僕の胸に湧き上がったのは、「これでこの世界は救われた」「これでもう戦わなくていい」という安堵の思いだった。

 しかし、それと同時に、僕の心は小さな棘に刺されたような痛みも覚えていた。

 それは勇者が抱くには相応しくない考え。つまらない妬み。

 魔王の脅威からこの世界を救ったのは自分なのに、平和になった世界を楽しむ事も出来ずにここで死んでしまう。

 そう。僕は生き残った人達に対して、醜くも嫉妬してしまったのだ。

 けど、言い訳させて欲しい。僕はまだ十八歳。

 それに十三歳の時に教会に見いだされ、その後の五年間はずっと勇者として魔王軍との戦いに明け暮れていたのだ。

 勿論、その人生に――人々の命を救って来た人生に――不満も後悔もない。だが、出来れば当たり前の生活も経験してみたかった。そう思ってしまうのは僕の身勝手だろうか?

 それは僕が僕に神託を授けて下さった主神アポロディーナ様に抱いた、ささやかな――そして生まれて初めて抱いた、小さな不満であった。

 次の瞬間。僕は魔王の体から生じた魔力爆発に巻き込まれて吹き飛んだ。

 神の神託を受けた勇者とはいえ、ただの人間。無事で済む訳もない。

 僕はズタズタの肉塊となって死んでしまったのであった。




 暗闇の中、長いような短いような時間が過ぎた。

 ふと気が付くと、いつの間にか僕の前に若い女性が立っていた。

 闇の中でもハッキリと分かるその美貌。

 やや吊り上がり気味の大きな目。長いまつ毛。艶のある黒く長い髪。ふっくらとしたピンク色の唇。透き通った白い肌。大きく胸元が開いたドレス。

 僕の心臓が(魂にそんなものがあるのなら、だが)ドキリと跳ね上がった。

 決して彼女の美貌に心を奪われたからではない。いや、それもあるけど。

 僕の目を引きつけたのは、彼女の背中から生えた一対の半透明の翼だった。

 神々しいこの翼! この方こそ神の御使い様に違いない!

 僕は緊張で喉がカラカラに乾くのを感じた。

 御使い様は嬉しそうな顔で、僕を頭のてっぺんから足の先までジロジロと眺めた。


「やった、やった! これって本当に勇者の魂じゃない! 一か八かだったけどホントに上手くいくなんて思わなかったわ! ・・・あー、あなた、私の言葉が分かるかしら?」

(はい。分かります。あなたは主神アポロディーナ様の御使い様でしょうか?)

「え? そうなるんだ。あ~そうそう、そんな感じのヤツね。言葉が通じるなら話が早いわ」


 御使い様は軽い感じで僕の言葉を肯定した。

 美しい見た目に反して、随分と気さくな性格の方らしい。

 彼女の説明によると、やはり僕は死んで魂だけの存在になっているそうだ。

 魂の中には死んだ時のショックが大きすぎて精神が壊れてしまった者や、自分の死が受け入れられずに会話すらロクに出来ない者もいるのだという。


「その点、あなたは随分と落ち着いているし、精神も病んでいない。流石は勇者ね。図太い神経しているわ」

(はあ、それはどうも)


 そんな風に褒められても喜んでいいものか分からない。

 とはいえ、僕だってお年頃の男子だ。こんな美女から輝くような笑顔を向けられて悪い気はしない。

 御使い様の親み易い態度もあって、僕はさっきまでガチガチに緊張していた気持ちがほぐれていくのを感じた。


(あの、これから僕はどうなるんでしょう? 永遠の彼岸に行けそうですか? それとも英雄の地に行けるとか?)

「うっ。――ああうん。そ、それなんだけどさ」


 御使い様は嬉しそうな顔から一転、難しそうに眉をひそめた。

 そして「う~ん、これどうやって説明するかなぁ」と悩んでいる。

 この様子、まさか極悪人が行くという贖罪の地に送られるんじゃ・・・

 僕は恐ろしい予感に心臓が(そんなものがあれば)早鐘を打つのを感じた。

 御使い様はしばらくウンウン唸っていたが、やがて「よし!」と両手を合わせた。


「折角、話が通じる事だし、ここはストレートに本人に聞いてみるべきね。ねえ、あなた。あなた死ぬ前に主神に対して不満を抱いたわね? ああ、ウソをついたり誤魔化そうとしてもムダだから。私のような存在にはそういうのが分かっちゃうのよ。ねえ、心当たりがあるでしょ?」


 僕は心臓が鷲掴みにされたような気がした。




 僕が主神アポロディーナ様に持ったという不満。それは間違いなく、死の瞬間に心に生じたあの嫉妬――魔王の滅んだ平和な世界で僕も生きたかったという気持ち――の事を言っているに違いない。

 僕は思わず咄嗟に言い訳を探したが、ただの人間である僕が御使い様に言い逃れなど出来るはずもない。

 そもそも僕はウソをつくのが苦手だ。一緒に村を出た幼馴染からも、「ラルクほどウソが下手な人間はいないわね」と、良くからかわれていた。

 僕は観念すると、正直に御使い様に謝った。


(・・・はい、実はその通りです。アポロディーナ様には神託まで授けて頂いたのに、その御心を疑うような事をしてしまって、本当に申し訳ありませんでした)

「あ、やっぱり! そうでしょそうでしょ?! やっぱりあの時の私の見立ては間違いじゃなかったのね!」


 御使い様は自分の予想が当たったのが余程嬉しかったのか、手を叩いて大はしゃぎしている。


「まさか主神の超お気に入りの勇者が、最後の最後に心に欲望を抱くなんてね。そこは勇者と言えども汚れた魂を持つ人間という事かしら。ああ、心配しないで。私は人間のそういう所がむしろ大好きだから」

(あの、そ、それで僕はどうなるんでしょうか? 主神様を疑った罪で贖罪の地に送られるんでしょうか?)

「はあ? そんな事で地獄に落としていたら、この世界から人間の魂なんてなくなっちゃうわよ。それよりあなた、良ければ私がその不満を解消してあげようか? 話の内容にもよるけど、力を貸してあげてもいいわ」


 御使い様が?! 僕の望みを?!

 あ、いや、ダメだ。

 僕の願いは今となっては叶わない。そう、死んで魂だけとなってしまった今となっては・・・


「何よ。勇者とはいえたかだか人間の願いでしょ? どうせ、もっと生きたかったとか、死ぬほど憎んでた相手に復讐したい、とか、そんな所なんじゃないの? そのくらいなら私に与えられた権能でいくらでも叶えてあげられるわよ」


 ええっ?! ホントに?!

 ホントに生き返る事が出来るの?!


(そ、そんな事しちゃって大丈夫なんですか? 後で御使い様が主神様から怒られるんじゃ?!」

「あ~、そこはアレよ。ええと、ホラ、あなただってどうせなら心残りを全て解消してまっさらな気持ちで人生を終えたいでしょ? これは神託を守って勇者として戦ったあんたへのご褒美? みたいなヤツなのよ」


 勇者として戦ったご褒美だって?

 そんなものを求めて戦っていた訳じゃないけど、もしも願いを叶えてくれるのならこんなに嬉しい事はない。

 死んで全てが終わったと諦めていたけど、まさかこんな事が起きるなんて。

 僕は主神様の慈悲深さと、死の間際の一瞬とはいえ、そんな主神様に対して不満を感じた身勝手な自分を恥じ入った。


「ただし、それなりの代償は頂くわよ。具体的にはあなたの魂が生前に溜め込んだ”徳”ね。これが少なかったら、そもそもどうにも出来ないわ。まあ、あなたは勇者だし、生き返るのに徳の数が足りない、なんて事はないはずよね?」


 ないはずよね? と言われても、僕は徳なんて言葉を聞いたのは初めてだ。

 だから生前、自分がどれだけの量の徳を溜めていたのかも分からない。

 実はメチャクチャ少なくて、「これっぽっちじゃムリ」とか言われたらどうしよう?

 僕はドキドキしながら頷いた。


(・・・分かりました。徳をお支払いしますので、どうか僕を生き返らせて下さい。僕は平和な世界でもう一度生きたいです)

「オッケー! じゃあ生き返らせるのには最初に八百万TP貰うわね。それと維持費として一日ごとに二十TPが必要よ。そうそう、オプションも利用するわよね?」

(おぷしょん? ですか?)

「だって普通に生き返っただけだとつまんないでしょ? どうせなら目一杯人生を楽しまないと。

 そうねえ、”強運”のオプションがあればギャンブルで負け知らずになるわよ。一日たった五百TPの消費で直ぐに大金持ちになれるわ。

 他にも例えば”カリスマ”のオプションなら、女の子にモテモテよ。国中の美女を集めてハーレムだって作れちゃうわね。部下の忠誠心だって高くなるから、メチャクチャ上手くやれば小さな国の国王にだってなれるかも。こっちは一日千二百TP。あなたは主神が特に気に入っていた勇者だし、今日だけ特別に千TPにまけてあげてもいいわよ」


 大金持ち? ハーレム?

 僕も若い男子だからそういう単語に惹かれないと言えばウソになるけど、なんだろう。この方、神の御使い様にしては、妙に俗っぽいというか、なんだか商人の売り込みを聞かされているような気になるんだけど。最後の「今日だけ特別割引」の部分なんて特に。


(え、ええと、そういうのは結構です。僕は気の合う友達とバカをやったりとか、そ、その、か、か、彼女、を作ってデートをしたりとか、そういう当たり前の生活を送ってみたいだけなので)

「そう? まあいいわ。気が変わったらいつでも言いなさい。直ぐに対応してあげるから。・・・さて、出来た。これがあなたとの契約書よ。さあ、ここにサインして頂戴」


 僕の目の前に現れたのは、古風な羊皮紙の契約書。

 それには血のような赤黒い文字で、【ミニオン契約書】と書かれていた。

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