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小屋の外で、その第一声を聞いたヴォルクは思わずつんのめりそうになる。
「なんですか、その呑気な声掛けは……」
鳥紙を見て部屋を飛び出した兄を追い、ヴォルクも慌てて部屋を出た。兄は島へ行くという。ヴォルクには分からなかったが、ロンドの様子でただ事ではないことが分かった。理由を聞くには時間がない。それならば、自分にできることは兄を最大限手助けすることだ。
「ダグラス!」
忠義に厚いこの男は、変わらずロンドの傍にいた。部屋の横に控えていた彼を捕まえて指示を飛ばす。
「エルザに連絡を取れ。僕は兄と行く!」
「は? 行くとは、どちらへ?」
「ミツチの民に何かがあったらしい。僕も詳細は分からん!」
「ヴォル様!」
「何かあったら鳥紙を飛ばせ。エルザなら王家の鳥が使えよう」
血相を変えたダグラスに、ヴォルクは言い聞かせるように言葉を重ねた。
「留守を頼むぞ、ダグラス」
兄と共に船に駆け込み、王代行の特権を最大限振りかざし、無理矢理出航させて数時間。ようやくミツチの民の島へ着いたとき、ヴォルクは目を疑ったものだ。
緊急だとのことなので、今回はお忍びではない。堂々と王家の船で乗り込むことになる。きっと大変な騒ぎになるだろうと思っていたのだが、その様子が見られないのである。
ロンドも同様のことを考えていたのであろう、蒼白な顔で島の様子を伺っていた。その嫌な予感は上陸してから現実のものとなる。
人が、あちこちに倒れているのである。
「ユマ!?」
兄、ロンドは悲鳴を挙げ、近くの島民に駆け寄った。ミツチの民の青年を抱き起し、二、三言葉を交わすと顔を挙げた。その瞳が抑えられない怒りに揺らいでいる。
その青年を小屋の壁に寄りかからせ、ロンドはくるりと向きを変えた。そのまま火のつく勢いで走り出した兄を、ヴォルクは慌てて追いかける。
「兄さん!」
「説明している暇はありません、急がないと!」
そうして丘を登り、草をかき分け、小屋にたどり着いたときにはヴォルクの体は悲鳴を挙げていた。あの小屋が目的なのだろう、兄は恐ろしいほどの剣幕で小屋の入り口を睨んでいる。
だから、てっきりそのままの勢いで突入するかと思ったのだ。それなのに。
律義に板を叩き、来訪を告げ、開けてください、とは何たることか。
ヴォルクの問いかけの視線に、ロンドは首を竦めたものだ。
「だって、ここほら、閉じてますから。家主の許可は取らないといけないでしょう」
「そんなの、踏み込めばいいでしょう!」
「それは違法なんじゃないですか?」
「こんな時に法もなにもあったもんじゃありませんよ!」
いきり立ったヴォルクは、板を打ち破ろうと腰から剣を引き抜いた。その手をヴォルクは上から押さえる。
「いいから、納めてください」
「でも」
「ヴォルク」
ロンドは一変して厳しい口調である。
「これだけ厳重に板張りをしているんですよ。窓も、入り口も全て。……危険です」
「危険?」
「ええ」
ロンドは声を潜める。
「匂いが」
「匂い?」
言われて、ヴォルクは鼻をひくつかせた。確かに、甘く香ばしい香りがうっすらと小屋から漂ってきている。
「発火草の香が焚かれています」
「はっかぐさ……?」
「ええ。この香は、そのまま焚く分にはいいのですが、火種が着くとあっという間に燃え上がります。密閉空間では使用してはいけない香なのです。剣で扉を叩き切るなど言語道断ですよ。そんなことをしたら、この小屋ごと吹っ飛んでしまうでしょう」
そう言うと、ロンドは小屋に向かって声をかける。
「ライオネル、出てきてください。僕はまだ吹っ飛びたくないし、あなたに吹っ飛ばれても困るんです。ティティもそこにいるんでしょう?」
小屋の中からくつくつと笑い声がする。その楽し気な様子に、ロンドは眉を潜めた。
「いやはや、お見事」
そう言うと、入り口に打ち付けてあった板のひとつがゆっくり、丁寧に外される。ひとつ、またひとつと板を外した老人は、白い布をたくし上げてにこりと笑ったものだ。
「おや、そちらの方は第三王子でいらっしゃいますかな。お初にお目にかかります。ライオネルでございます」
そう言って、丁寧に礼を取るラウルに、ロンドは瞳に怒りの炎を揺らめかせながら言葉を放つ。
「ティティは無事ですか」
「ええ、ご安心くださいロンド様」
ラウルはそういうと、入り口から体をずらし、垂らしてあった麻布を束ねて脇に寄せた。
小屋の中央に、敷布が敷かれている。その上にうつぶせになり、後ろ手に縛られているティティが転がされていた。
「――ティティ」
何か薬を使われているのだろう、明らかに体に力が入っていない。綺麗な黒髪はざんばらに乱れ、浅く呼吸を紡いでいる。
「ロンド、お前……」
その乱れた髪の間から見える、黒々とした瞳がロンドを捕えた。その目が驚愕と怒りに染まる。
「馬鹿……! なんで来た!」
ぎょっとしたのはヴォルクである。
事情は分からない。ロンドは何も話してくれなかったし、ここに至るまで彼が何に怒りを感じ、急ぎ駆けつけた理由も知らない。しかし、兄がこのティティという少女を助けるために戻ってきたのだということは、今理解した。
その兄に、少女は暴言を投げつけているのである。
「信じられない馬鹿だ! まんまと罠に引っ掛かるなんて!」
「馬鹿はどっちですか! そんなの、来るに決まっているでしょう!」
「なぜ!? 私はもう二度と顔を見せるなと言ったはず!」
「顔を見せるか見せないかは僕が決める!」
拳を握り締めたロンドは、叩きつけるように叫んだ。
「好きな人が危険な目に合っているかもしれないのに! 行かないという選択肢は有り得ない!」
思わずぽかんとしてしまったティティである。黒い目を真ん丸に見開いて、二の句が継げないでいる。
「あー……兄さん?」
ヴォルクも度肝を抜かれた。鼻の頭を掻き、頭を掻き、ためらいがちにこう言ったものだ。
「そういうの……後にしてもらっていいですか」
「いや、結構」
ラウルは感極まったというように、目尻に涙をためている。
「鮮やかなるご決意、まこと王の威厳とお見受けいたします。ロンド様、あなた様は本当に立派になられた……亡きアラン様も安心なさっているでしょう」
ロンドの肩がびくりと揺れた。
「ライオネル、僕は分からない」
そう言うと、ロンドは苦し気に眉を寄せた。
「あなたは真に兄、アランに仕えていたとお見受けします。そのあなたが、何故」
食いしばるように、ロンドは言葉を重ねた。
「何故、兄を殺したのですか」
ティティは驚愕の表情を顔に貼り付け、ロンドの顔を見やる。ヴォルクも同様だ。この、枯れ落ちる寸前のような老人が兄王アランを殺した犯人だというのだろうか。
ラウルは物柔らかな笑みを浮かべている。
「そう言い切るということは、もう証拠も見つけられたのでしょうな」
「……兄は毒で殺されたことは明白でした。そして、僕の部屋には様々な種類の薬草や毒薬が保管されています。それを誰かが持ち出したのだと、そう考えました。しかし、その形跡は見つかりませんでした」
記録紙に書かれていた在庫の量と、保管庫の中の薬草や毒草の数は一致していたのだ。そうなると、城の者には毒を扱うことは難しい。そもそも正確な知識なしでは扱いにくいのが毒である。専門的な知識を持ち毒草を扱うものなど、ロンドは自分と、扱いを教えていた兄以外にはいないと思っていた。しかし。
「王城の図書館で、あなたの著作を見つけました。……気づかなかった僕も僕ですが、そもそもあなたは薬学に詳しい。つまり、毒の扱いにも長けているということになります。アラシアにおいて、毒を利用して何かしらのことを行うならば。僕か、あるいはあなたしかいないのです」
「ですが、それは可能性の話ですぞ、ロンド様。世界は広いのです。アラシアの民の中に、同じような知識を持つのが二人しかおらぬと考える、その狭量な考え方から導き出された答えでは、とても納得いたしかねますな」
変わらぬ笑みを貼り付けながら、ラウルは言葉を重ねた。ロンドは今度こそ顔を歪める。
ラウルの指摘したことは、ロンドにも分かっていたことだ。前例のある研究である。いくら廃れていたからとて、自分たちしか知らない、などおこがましい意見だ。
しかし、見つけてしまったものを覆すことはできない。
「……これを」
ロンドは懐から二つの小瓶を取り出した。中にはすすけた灰が入っている。片方の灰と、もう片方の灰は色が違う。片方が通常の灰色なのに対し、もう片方は黒褐色に変色しているのである。
「兄の部屋の暖炉から採取したものです。こちらの黒褐色の灰を調べたところ、兄の殺害に使われた毒を突き止めることができました」
ロンドは一度言葉を区切る。
「兄は、シャラノキ……、ケラの木の毒を使われたのです」
「……なんだって?」
ティティがかすれた声で呟いた。
「毒の一部は、炎に反応して色を変えます。この黒褐色の灰を暖炉で見つけたとき、怪しいと思ったのです。それで、保管庫にある毒草の一部を燃やしてみたところ、シャラノキだけが同じ色に変化いたしました」
ラウルの表情は驚くほど変わらない。柔和な顔で微笑んでいる。そのことに焦りを感じながら、ロンドは言葉を重ねた。
「おそらくケラの木の毒は、鳥紙の一部に染みこませてあったのでしょう。兄は、考え事をするときに指を噛む癖がありました。染み込んだ毒が付着した指を噛んだことで、体内に毒が入ってしまったのです」
ロンドはその時の光景を、まるで直接見てきたかのように想像することができた。兄は鳥紙を受け取ると中身を確かめる。そこに記載されている文字を指でなぞると、鳥紙を暖炉で燃やし、執務室の椅子に腰掛けて考え事をするのだ。
「ケラの木は、現在のアラシア国土にはもう生えておりません。この木の毒を手に入れられて、薬学に詳しい者。兄に鳥紙を送り、確実に兄だけがその紙を開くと確信できる者。その延長線上にいるのはあなたしかいないのです」
沈黙がその場を支配している。
ティティは青ざめた顔のまま、何も言わなかった。ひたすらロンドの顔を見つめている。ヴォルクも同様に、驚愕の表情を貼り付けたまま言葉を探している。
ラウルは変わらなかった。柔らかな笑みを崩そうともせず、ロンドの瞳の奥底を覗き込もうとするかのような視線を投げかけている。
「分からないのは……」
ロンドはほとんど涙が出そうになるのをこらえ、ラウルに向き直った。
「何故なのでしょう。あなたが兄を殺す理由が、僕には分からない。だからそれを確かめようと……。その矢先に、鳥紙が届きました」
こらえきれず、涙が落ちる。
「どうしてですか……! あなたは、兄のことを尊敬しているとおっしゃっていたではありませんか!」
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