3
***
「兄さんは甘すぎます!」
未だにぷりぷりと怒っているヴォルクを見て、ロンドは苦笑した。
城内、裏庭にある、こぢんまりとした庭園である。東屋の長椅子にふんぞり返り、ヴォルクはごくりとお茶を飲み干した。
予想外の言葉に茫然とする臣下二人に厳重に口止めをし、一旦解放したのがつい数時間前のこと。
緊張の時間が続いたため流石に疲労した王族ご一行は、エルザの案でそのままお茶会に雪崩れ込んだ。勿論ヴォルクはお冠である。そのような暇はない、と声高に述べたところを、エルザが無理やり押し切ったのだ。
「少し頭を冷やす時間は必要でしてよ。それに、エルザはお腹が空きましたの」
その言葉にはロンドも同意だ。腹に何か入れないことにはこの局面は乗り切れない。それで、エルザの提案に乗ったのである。
お茶会とはいっても、公式のものではない。話す内容が内容だけに給仕の者を侍らすわけにもいかない。それで、エルザの塔に近い裏庭に、王女が手ずからお茶の準備を整えたというわけである。
「しかし、ダグラスもレミリアも悪気があったわけではありませんし……」
「悪気がないからといって、あんなに簡単に許してしまっては他の者に示しがつきません」
「しかし」
ロンドも茶器を手に取った。
「あの場で裁きを、と言われたとき、僕はてっきり二人とも手心を加えて欲しいものだ、と思ったのですが。……思い違いでしょうか?」
次期国王を窮地に追いやったのだ。臣下二人が望むように、通常であれば極刑を言い渡されてもおかしくはない罪である。しかし、今まで彼らは良い臣下だったはずだ。一度は見逃し、汚名返上の機会を与えてやる方が良いと思ったのだ。
ロンドがそう述べると、エルザは茶器を置き、姿勢を改めた。
「レミリアの件は、わたくしの管理不行き届きです。少し甘くしすぎたようですわ。彼女の躾をし直さなくてはなりません」
「それを言うなら、ダグラスもだ。彼は優秀で、忠義が厚い。それ故に少し、気にかけなさ過ぎたのが問題だったのだろう」
そう言うと、弟妹は二人そろってロンドに頭を下げる。
「この度の恩情、深く感謝いたします」
「エルザもこの通り、感謝申し上げますわ」
ロンドは困ったように頭をかいた。
「しかし、ダグラスの意見は分かるんだが……」
ヴォルクは再び茶器を取り上げ、ぽつりとつぶやいた。
「レミリアが分からん。彼女はエルザ付きの侍女だったわけで、施政とは関わりがないと思っていたが。なぜダグラスと共謀していたのだろう」
「義憤に駆られて、という感じでもなさそうでしたし、そう言われれば確かに……」
揃って首を捻る兄弟に、エルザはやれやれと扇子を広げて口元を隠す。
「ほんと、野暮ですわね、お兄様方」
「へっ!?」
「愛しい方の力になりたい、と思う心は、人を動かすものでしてよ」
意味ありげな含み笑いに、男二人は顔を見合わせた。つまり、レミリアはダグラスと割りない関係で、彼の力になりたかったのだ、とそういうわけだ。
エルザは扇子を閉じると、ほうと息を吐いた。そのまま目を伏せ、言葉を落とす。
「……ふりだしに戻ってしまいましたわね」
「そうだな……」
ヴォルクも天を仰いだ。
結局、ダグラスもレミリアもアラン暗殺の犯人ではなかったということだ。これでまた白紙に戻ってしまったということでもある。
ロンドは焼き菓子を手に取り、口に放り込みながら考える。
アランの死に関与できたのは、あの時点ではロンドのみだったはずだ。そして、何よりアランは毒物を摂取して死んでいたことが分かっている。アラシアの国では毒物の研究は廃れて等しい。誰もが気軽に扱えるものではないのだ。
これだけ見れば、やはりロンドが犯人だ。しかし、自分がやってないことは自分がよく分かっている。
そもそも、アランを殺した犯人は毒をどうやって手に入れたのだろうか。この城で毒物について知見があるのはロンドだけだったはずだ。もしかしたら誰かしらがロンドの自室に入り込み、毒を持ち出したのかもしれない。だとすれば、そこに何かしらの痕跡が残っている可能性がある。
調べてみる価値はありそうだった。
「……ちょっと調べたいことがあります。自室に行きたいのですが」
そう申し出たロンドの言葉に、ヴォルクとエルザは素早く視線を交わし、頷いた。
「こうなった以上、徹底的に調べた方がよろしいですわ」
「では、僕は――法官を含め、皆に話を通しておきましょう」
「大丈夫なのですか?」
ロンドは現時点では罪人という扱いになっているはずだ。そう述べると、ヴォルクは難しい顔をしてこう述べたものだ。
「お任せください。僕には今、王代行としての多少の権力がありますから。ある程度の意見はねじ伏せることができますよ」
多少の無理が通るのが王政の良いところである。とはいえ、口で言うほどには簡単にいかないだろう。おそらくヴォルクは諸刃の剣であることを承知したうえで、権力に物を言わせて黙らせるつもりなのだ。
「それと、兄さんの護衛には念のため、ダグラスをつけましょう」
「ダグラスを?」
「はい」
ヴォルクはにやりと笑い、頷いた。
「ダグラスは様々なところに顔が利きます。……まあ、それが高じてあのようなことになってしまったのですが」
一瞬苦いものを呑み込んだように顔を顰め、ヴォルクは言葉を重ねた。
「何より、彼は今兄さんに負い目がある。きっと役にたつと思いますよ」
ヴォルクの自室は地下に設けられた一室にある。
元々は地下牢だった場所に手を加え、研究ができるように修繕を施してはあるものの、染みついた土と黴の匂いは消えていない。
「――ここには初めて入りましたが」
ダグラスはそう言って、眉を潜めた。
「こう言っては何ですが、その、個性的なお部屋でいらっしゃいますね」
控えめな感想に、思わず笑みを零してしまったロンドである。
「この部屋は貯蔵庫も兼ねていますからね。日の光を当てると駄目になってしまうものもある。それに、万が一何かしらの事故が起こっても、外に有害なものが漏れないようになっているんです」
そう言いながら、ロンドは壁一面に収納してある硝子の瓶を点検しはじめる。この中には各地で蒐集した植物や薬草、取り寄せた毒草などが保管されているのである。
元来几帳面なこともあり、使用した薬草や毒草の類は全て記録している。長く巻かれた記録紙と照らし合わせながら、ロンドはひとつずつ点検を始めた。
「……おかしいな」
どこにも異常がない。
アランの症状に当てはまる毒物や毒草の類は勿論のこと、関係のなさそうな薬草類にも特に不審な点は見られない。つまり、暗殺者は毒物をロンドの部屋から盗み出したわけではない、ということだ。
「――あの、ロンド様」
所在なさげに立っていたダグラスが、ためらいがちに声を挙げた。
「差し支えなければご教示いただきたいのですが、なぜロンド様はアラン様が自害されたと思ったのでしょう」
ダグラスにはロンドが口を閉ざしていた理由を話してある。だから疑問に思ったのであろう、十分に辺りを憚りながらも、ダグラスは声を潜め囁いた。
ロンドは一度手を止め、ダグラスを見る。そのままくるくると記録紙を巻き上げると、作業机の引き出しに放りこんだ。
「――毒物には致死量というものがあります」
ロンドは用意の手袋をはめると、背面の棚から硝子瓶を一つ取り出した。
「この瓶の中に入っている木の実、これは保存食です」
ダグラスは頷く。その木の実には覚えがある。アラシアの国によく自生している低木になる木の実で、乾燥させて焼き菓子に使ったり、そのまま食べたりできる優れものだ。
「しかし、これは毒にもなります」
「え!? この木の実が……ですか?」
目を剥いたダグラスに、ロンドは頷くことで答える。
「この木の実は正式な名前をアラグスと言います。少量食べる分には問題ないのですが、体重の十分の一以上の量を摂取すると危険です。言葉が巧くしゃべれなくなり、最悪の場合、死に至ります」
硝子瓶を棚に戻しながら、ロンドは更に言葉を重ねる。
「摂取する量によって薬や食料が毒になる事例は多いのです。しかしながら、どのくらいの量を摂取すれば毒性を帯びるのか。それは余程毒物に詳しくなければ計算することはできません」
ダグラスは頷いた。ここまでは異論はない。
「アラン兄さんは、毒草や薬草の扱い方を僕に習っていたのです」
「――王が!?」
「ええ」
「なぜ、そんな……」
絶句したダグラスを見て、ロンドは細く息を吐いた。当時はロンドも不思議に思ったものだが、今考えれば理由は明白だ。
王は、アラシアの壁を撤去したあとのことを考えていたはずだ。それでロンドの研究に目をつけた。塩害に強く、毒を持った植物を食料に変える方法は、きっと兄王からすれば喉から手が出るほど知りたい情報だったことだろう。
そう、奇しくも、役に立たないと言われていたロンドの研究は、国の命綱ともなりうる貴重なものになっていたのだ。
そこまで考えて、ロンドの瞳が曇った。
自分はまだ、ティティにその方法を伝えていない。島の民の信頼を勝ち得てから、ということになっていたので、彼女はいまだ、植物らから毒を抜く方法は知らないままだ。
もっと早く、ティティに詳細を伝えていればよかった。そうすれば、あとは彼女の力で何とでもできるはずだ。できれば、今すぐにでも取って返し、自分の知識を伝えたかった。
しかし、それはもう無理だ。自分はティティに許されないことをした。きっともう二度と、彼女とは会うこともないだろう。
しくしくと痛み始めた胸に気づかないふりをして、ロンドはなおも言葉を重ねた。
「――そう。この城で毒物をきちんと扱えるのは、僕と、兄さんだけだったのですよ」
兄王アランは血を吐き、亡くなっていたのだ。そのような亡くなり方をするならば、恐らくは即効性のある強い毒だったに違いない。しかし、問題は量だ。少しでも毒性が少なければ、アランに助けを呼ぶ暇を与えてしまう。その時間的な余裕なく毒を効かせるように調合するとなると、ロンドでもうまくやれる自信がなかった。
「僕の部屋には異常はありませんでした。……何か、手がかりがあればと思ったのですが」
落胆しながらそう述べたロンドに、ダグラスは遠慮がちに言葉を落とす。
「……可能性の話なのですが」
ダグラスは色素の薄い瞳でじっと何かを考えていた。
「陛下を恐れ多くも暗殺した曲者が、ロンド様と同様に、個人的に毒の研究をしていたということはありませんか?」
「その線も考えたのですが」
ロンドは息を吐く。
「毒の研究自体は、アラシアの国ではすでに廃れているものとして扱われています。研究しようにも、独学でやるには難しいと思っています」
「何か、教本のようなものは残ってはいないのでしょうか? それこそロンド様が初めに学ばれたときのような……」
それなら、ある。王城の図書館だ。幼いロンドは、図書館で埃の被ったその文献を見つけ、毒の魅力に取りつかれたのである。
そのことを告げると、ダグラスはくるりと踵を返した。
「行きましょう」
「ダグラス?」
「王城の図書館は、我々のような身分の者が利用するときは必ず署名をする必要あるのです。書を借り受けるときも同様に、誰がどの書を読んでいるかが分かるようになっている。もしこの王城内で毒に詳しいものがあれば、必ずその書を読んでいるでしょう。つまり」
ロンドははたと手を打った。
「そうか、名前が残っているかもしれないですね」
ダグラスは頷く。
「王城の司書とは懇意です。探してもらいましょう」
それだけ言うと、ダグラスは部屋の扉を開け、道を譲った。ロンドはなるほど、と心の中で大きく頷いた。ヴォルクがダグラスを推した理由は、きっとこういうことだったのだろう。
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