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 ヴォルクの執務室は、彼自身の意向もあり自室を使用している。兄王アランの執務室は、正式に王とならない以上は使えない。自分はあくまで王代行であるという姿勢を貫いていた。

 この場はヴォルクに任せるという暗黙の了解で、ロンドとエルザは執務室の窓際で壁を背にして立っていた。ヴォルクはやや青ざめた顔で、目の前の二人を見つめている。

 執務室に呼ばれたのはレミリアと、そしてもう一人。


「ダグラス」


 ダグラスは白い顔を更に青白く染め、ヴォルクの前に立っている。レミリアも同様にその横に立ち、今にも倒れそうな顔をしていた。

 ダグラスは、ヴォルクの腹心の臣下だったはずだ。誰よりも忠実で、真面目で、臣下の鑑だ、とヴォルクが褒めているのを何度も聞いたことがある。

「今からここで行われる質疑応答は、査問会にかけられていると思ってくれていい」

 厳しい口調で、ヴォルクはそう述べた。

「レミリアから聞いたぞ。ダグラス。お前が彼女に情報を集めるように指示をしたのだな」

 ダグラスは黙っている。唇を噛み、俯いたままぴくりとも動かない。ヴォルクは焦れたように机を指で打ち鳴らした。

「どうなんだ、ダグラス」

「――私は、そのようなことは……」

「ほう、ではレミリアが虚偽をしていると言うのか」

 再びだんまりである。ダグラスは何かを言いかけ、逡巡し、悔しそうに唇を噛み締めていた。ロンドはその様子を見て、心の中で首を捻った。

 レミリアから、ダグラスのことを聞いたときは驚いた。まさかあの忠臣がと思ったものだが、同時に納得もしたのである。

 ダグラスはヴォルクの侍従である。もしヴォルクが次の王となれば、自動的に彼の地位も立場も上がるのだ。間接的に利益を得るには良い立場だった。だから、てっきりダグラスが一枚噛んでいるものだと思っていたが、それにしては様子が変だ。

 王殺しは大罪である。行うならば、もっと悲壮感を持って、失敗すれば命がない覚悟で臨むものであろう。しかし、今のダグラスからは、そこまでの覚悟や決意が見えないのである。

「――私は」

 業を煮やしたヴォルグが声を荒げようとした時である。ダグラスは絞り出すように声を漏らした。

「私は……急がねばと思ったのです」

 ヴォルクは身を乗り出した。エルザも、ロンドも姿勢を改める。

「急がねばなりませんでした。そうしなければ、この国は立ち行かないと……」

 そこまで言うと、ダグラスは顔を挙げる。薄灰色の目に真摯の光を宿し、ヴォルクの顔をひたと見つめた。

「私は間違ったことはしておりません。こうするのが最善だったのです!」

「なんてことを言うのだ! お前は!」

 ヴォルクは柳眉を逆立てる。

「兄上を殺し、その罪をロンド兄様に擦り付ける。そのどこが最善なのだ!」

 顔を赤くし、殴りつけるように叫んだヴォルクを見つめるダグラスの瞳が大きく見開かれた。

「――……今、なんと?」

「二度言わせるのか!? ロンド兄様に無実の罪を着せ、アラン兄様を殺した! 大罪だぞ!」

 それを聞いて、ダグラスの顔から血の気が引いた。体から力が抜け、ふらふらと床に崩れ落ちる。

「ダグラス……!」

 レミリアが駆け寄り、ダグラスの腕を取った。そのレミリアの顔は蒼白で、唇は青紫色に変色している。よほどの衝撃を受けたのだろう。唇を震わせながら、レミリアはヴォルクに礼を取った。

「お……恐れながら申し上げます。ヴォルク様は思い違いを……思い違いをなさっているかと存じます!」

 レミリアの涙の混じった悲鳴に、ヴォルクの眉が跳ね上がる。

「お前まで何を言う!」

「――ヴォル様……!」

 震える声で、ダグラスが叫んだ。

「私は……そしてこのレミリアも……そのような怖ろしいことはしておりません!」

「白を切る気か?」

「――違います!」

 ダグラスは悲鳴を挙げる。

「竜に誓って、それは有り得ないと申し上げます!」

「しかし、お前以外に誰がいる!?」

「存じ上げません! 私が訪ねたとき、陛下は既にお亡くなりになっておられました!」

 叩きつけるようにそう言うと、ダグラスは拳を握り締めた。

 ――すでに亡くなっていた……。

 ロンドは目を見開く。思わず横目でエルザを見ると、同様に凍り付いたような表情でダグラスを凝視していた。

 ヴォルクは苛立たし気に机を指で叩く。

「詳細を聞こうか」

「……私は、陛下に頼まれて書類を届けに部屋を訪ねたのでございます」

 ダグラスは震える声で証言を始めた。




 アランの指示で、ダグラスは過去の書類を探していた。アラシアの歴史や壁のこと、ミツチの民について書かれた文献などを探し、執務室まで届けていたのである。

 アランはダグラスの真面目なところを買ってくれていたようで、このように探し物を頼まれるのは日常茶飯事だった。ダグラスとて王からの頼まれごとは誉れである。断るいわれもないので、進んで手伝うようにしていたのだという。

「いつも通りの夜でございました。書類を抱え、廊下の角を曲がれば執務室が見える。そこまで来たときに、悲鳴が聞こえたのでございます」

 悲鳴が執務室から聞こえたような気がして、慌てて廊下を曲がったのだ。そして、そこで見てしまった。

「ロンド様が、青い顔で執務室から出てこられたのです。そして、陛下が部屋の中でお亡くなりになっておりました」

 ロンドは目を剥いた。あの時、慌てて部屋を飛びだした記憶はあるが、それだけだ。その場にダグラスがいたことに気づかないほど動転していたことを、今更ながら思い知る。

「それからのことは、私が言うまでもありますまい。ロンド様は自らの無罪を主張せず、口を閉ざしておりました。状況から考えれば、ロンド様が恐れ多くも兄殺しをなさったことは、ほぼ間違いないと……だから私は……」

 ダグラスはそこで一度言葉を切る。

「王家の裁判は長引きます。しかし、陛下が亡くなり、第二王子のロンド様が罪人という前代未聞の状況下において、王の長の不在はあまりにも危険なことでございます。もし、今災害が起こったら? 他国が攻めてきたら? 我々には何もできません」

 王なくして、国は成り立たない。王は民の支えでもあり、導でもあるのだ。その王が定まらない期間が長いということは、国の行く末が決まらないということである。

 国には王が必要なのだ。

「確かに私は各所に掛け合い、ロンド様の裁判を短くするように働きかけました。即位の儀を早められないかと司祭に話を通したのも私です。しかし、それは全てロンド様がアラン様を殺したことがほぼ確定だったからです!」

 ロンドは天を仰いだ。

 本当に、自分は無知だった。ダグラスのいうことはいちいちもっともである。ロンドが罪を公に認めない以上、裁判は長引くであろう。しかし、それは同時にロンドの王位継承権を剥奪できない期間が長いということである。それがどれだけ国を危険に晒していたか、そんなことにもロンドは考えが及ばなかったのだ。

「……申し訳ありません、ダグラス」

 震える声で、ロンドは声を言葉に乗せた。そのまま一歩前に出ると、丁寧に頭を下げる。

「兄さん!?」

「ロンド様、おやめください! そのような……!」

 慌てふためくヴォルクとレミリア、ダグラスを前に、ロンドは顔を挙げることができなかった。

「あなたの言うとおりだ。国にはすぐに王が必要でした。それなのに、僕はそのことにすら気づけなかった。……その結果、あなたやレミリア、そして多くの者に迷惑をかけたに違いないのです」

 ロンドはそう言うと跪き、自らダグラスの肩を支えて立たせた。

「ロンド様、何を……!」

 彼の手を握り、そのまま押し抱くように自らの額に押し当てる。

「ロンド様……!」

 王族が臣下に行う、最大限の感謝の形を取ると、ロンドはダグラスの手を開放する。驚いたのであろうか、硬直しているダグラスに再度頭を下げ、ロンドはこう述べた。

「僕はあなたを誇りに思います。この国のことを心から憂いてくれた。そのことに礼を言わせてください」

「兄さん!? しかし彼は、結果的に兄さんの命を危険に晒したんですよ!」

「それは結果論ですよ、ヴォルク。あのとき嵐に合う確立など、風読みでもなければ分からぬこと。そうでもなければ僕は今アジュガにいて、少なくとも死の危険とは無縁で過ごしていたはずなんだ」

 事情がある程度分かったのであろう、ヴォルグは顔に驚愕の表情を貼り付けたまま唇を震わせた。

「ロンド様……ヴォル様……それでは、それでは私は……もしや……」

 わなわなと震えるダグラスに、ロンドは形を改めた。

「僕は……アラン王を殺してはいません。竜に誓って、無実なのです」

 今度こそ、ダグラスは腰を抜かした。ずるずると座り込み、そのまま額を床にこすりつける。レミリアも同様だった。今にも意識を失いそうな顔色で、平伏する。

「も……申し訳ありません……!」

 悲鳴のようなダグラスの声に、嗚咽が混じる。

「なんということを……私は……! お詫びの言葉もございません。このダグラスに、どうぞ厳しい罰をお与えください!」

「ダグラスに情報を渡していたのはわたくしでございます……! 罰はわたくしレミリアにも同様にお与えいただきとうございます!」

 執務室は沈黙に包まれている。ヴォルクは盛大に溜息を吐き、ロンドに視線を移した。

「で、どうします? 兄さん」

「へっ!?」

 話を振られるとは思っていなかったロンドは、目を白黒させる。

「なんですか、その間抜けな声は。どうします? と聞いているんです」

「どうします、とは」

「お兄様……」

 エルザも呆れた声を隠すことなく声を挙げた。

「この者たちの裁きはお兄様が下さなくてはなりません」

「僕が!?」

「他に誰がありましょう。お兄様は次期国王ですのよ。法官に引き渡したとしても、臣下の罪を決めるのは結局のところお兄様です。ならば、今決めてくださった方が後の面倒がございませんわ」

 ロンドははた、と手を打った。改めて目の前の二人を見る。

 確かに、ダグラスの行為で自分は命の危機にあった、と言えなくもない。しかし、ダグラスの述べた通り、あの場で裁きを早めなければ国の危機であるという意見はもっともなことだ。取った手段こそ間違えているものの、その信念や危機感は誤りとは言えないのではないだろうか。

 レミリアにしてもそうだ。主人の話し合いの場に聞き耳を立てるのは言語道断だが、ダグラスと同じ意図で行動していたとすれば、それは彼女自身の善意が間違った方向へ行ってしまっただけだ。それならばまだ矯正の余地がある。

「――二人とも、顔を挙げてください」

 その声に、二人の家臣は恐る恐る頭を挙げた。ロンドは安心させるように微笑むと、二人の瞳をしかと見ながら告げたのである。


「今回は、お咎めなしということで」



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