2

「――ロンド」

 ティティは一瞬目を見開き、困ったように笑った。

「お前は本当に、臆面もなくそういうことを言う。……やっぱり兄弟だ」

 その言葉に、ロンドは胸に小さな刃が刺さったような感触を覚えた。ちりちりとするその痛みの正体を訝りながら、言葉を重ねる。

「……ティティは、いったい何を怖がっているのですか?」

 ロンドの様子がおかしいことに、ティティは気づかない。

「――怖がっているように見える?」

「見えます。長に向いているとか、いないとか、普段のあなたはそういうことを考えるような方ではないと僕は思っています」

 ちりちりとする痛みに胸を突かれながら、ロンドは言葉が止まらなくなる自分に気づいていた。

「怖いものは、見えないともっと怖くなります」

 ――怖いものは、見えないともっと怖くなる。

 ロンドの言葉にティティははっと目を見開いた。

「目を開けてしっかり見れば、おのずと怖くなくなる。僕が言えたことではないかもしれませんが……目を背けてはいけません」

「……なんで」

 ティティの黒い瞳に、みるみる涙が盛り上がった。

「……なんでアランの言葉を出す」

「ティティ?」

 ロンドは困惑した。ティティは歯を食いしばりながら、嗚咽をこらえている。

「同じことを言われた。怖がっている正体を見定めろ、目を開けてしっかり見れば怖くなくなる……。アランが国に帰る日に、そう言われた」

 ずきり、とロンドは胸が激しく痛んだ。

 耳を塞ぎたい。もうこれ以上聞きたくないと願っているのに、ロンドは自分の口を止めることができなかった。

「ティティの怖がっているものの、正体を教えてくれませんか?」

 強張りそうになる目を細めて、辛うじて笑いかける。ロンドの心の奥底の炎が暗く黒ずみ、めらめらと燃え始めているのを感じていた。

「私が怖いのは……」

 ティティは気づかない。ロンドの腕に自らの手を添え、日に焼けた健康そうな頬に涙が伝う。

「置いていかれること……」

 そう言うと、ティティは嗚咽をかみ殺す。

 抑えきれない感情が彼女を襲っているのだろう、嗚咽はやがて唸り声になり、そのままティティは滂沱する。

「父も……母も……みんな私の前からいなくなる。大切な人たちは、みんな……! アランだって――!」

 嫌だ、聞きたくない。ロンドは思わず顔をそむけた。

 ティティは肩を上下させながら感情に身を任せている。黒い髪がまるで炎のように揺らめき、目尻にたまった涙がぼろりと頬を伝った。

「アランだって私を置いていった。気づかないふりしてたけど全部分かってる。無事だ、なんて嘘……嘘なんだよね、ロンド! 本当のことを言ってほしいのに、お前はそうやってだんまりだ」

「ティティ……」

「お前の目を見れば分かる。アランはもういない。それなのにお前はいつだってそうやって、私に無自覚にアランを見せる。金の髪も! 青い目も! 見たくて見たくて、でももう見られないのに……!」

 金槌で殴られるような衝撃に、ロンドは息を詰まらせる。

 胸が痛い。ロンドは顔を歪める。ロンドの心の奥にある黒く粘ついた感情が、激しく揺らぎ燃えている。

 ――やめろ!

 ロンドは胸を押さえる。目の前の少女は気づかない。涙をぼろぼろと零し、ロンドの瞳をじっと見つめて――。

 違う。

 弾かれるように、ロンドはティティの腕を取った。

「痛っ……」

「あなたは分かっていない」

 そのまま体を引き寄せ、感情のままきつく抱きすくめる。

「アランを持ち出すのはいつだってあなたじゃないか」

「ロンド……!?」

「あなたはいつもアランのことばかり言う。今だってそうだ。目の前の僕にアランを重ねているのは、あなた自身だ!」

 ティティの瞳はいつだってアランを見ていた。こんな時でさえ、ロンドの髪に、瞳にアランの痕跡を探している。

 この時、ロンドは初めて自分の気持ちに気づいたのである。ティティがアランのことを話すたびに、自分の胸が痛くなる。それは、アランが死んでいることをティティに伝えるのがつらいのだと思っていた。

 大間違いだ。

「ロンド、待て……」

「待ちません」

 ロンドはティティを抱く腕に力を籠める。むき出しの腕の体温や、耳にかかる荒い息遣い、頬をくすぐる黒髪に唇を寄せ、囁くように言葉を落とした。

「僕はあなたに嘘を吐きました。でもあなたはすべて分かっている、と言う。本当のことを言えという。だからこれを言わせたのは僕ではない。あなたです」

 なんて残酷な台詞なのだ、とロンドは自嘲する。

 自分の中にこのような自分がいるとは夢にも思っていなかった。こんな言い方をしたらこの少女は傷つく。取り返しのつかないことになるだろう。それでもロンドは、自分の中に燻っている黒い炎を消す手段が分からなかった。

 ――傷つけばいい。

 なぜ、こんなにも苛立っているのか、ロンドには説明ができなかった。ただ、腕の中の少女を痛めつけたい一心で、彼は言葉を息に乗せた。


「アランは死にました」


 抵抗し、もがいていた少女は、びくりと体を震わせた。ロンドの腕の中で、ロンドに縋りつくようにしながらも、黒い瞳を大きく見開いている。

「な……」

 ロンドは体を放し、ティティの頬を掴むと、無理やり自分の方を向かせた。

「目を見ればわかるのでしょう。どうぞ、見てください」

「痛っ……!」

「アランは死にました。だから、無事ではありません。――これで満足ですか?」

 耳元で、大きな破裂音がした。頬が熱くなり、じんわりと痛みを伴う。

「……っ」

 大きくゆがんだ黒い瞳が、ロンドを睨みつけている。ぼろぼろと涙を零しながら少女は掌を握り締めていた。その掌がみるみる赤くなっていく様子を見て、ロンドは自分が頬を張られたことに気づく。

「――出ていけ」

 涙を流しながら、ティティがそう宣言する。

「長として命ずる。この島から出ていけ。二度と私の前に姿を見せるな!」

 そのまま走り去るティティの後姿を見て、ロンドは震える手で自らの口を押えた。

「僕は……」

 愕然とする。激しい後悔がロンドを襲った。立っていられなくなり、その場に膝をつく。

「……なんてことを」

 父親を亡くしたばかりの少女だ。その少女に更なる痛みを与えるなど、あってはならぬことではないか。

 こんな言い方をしたいわけではなかった。少女の痛みに寄り添い、力になりたかった。それなのに、自分は言葉の刃でティティを傷つけたのだ。

 今まで築き上げてきた信頼や、友情を、木っ端微塵にするような行為だ。ティティは、きっと自分のことを許してはくれないだろう。

 ロンドが震える足で立ち上がったときだった。

 ロンドの目に、見慣れぬものが映ったのである。入り江だ。ロンドが初めてこの島に着いたとき、倒れていた入り江に人影があった。あたりを憚るように身を潜め、こそこそと歩を進めるその姿を見て、ロンドは息を呑む。

 夜明けの光を一身に受け、光り輝く金色の髪。

 親愛なる弟、そして現国王になっているはずのヴォルクが、島に上陸していたのである。


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