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「――何? それはまことか、ダグラス」

 アラシアの国、王城の執務室。ヴォルクは今や国王代行として、国の施政のほとんどを担っていた。今日も今日とて書類の山を捌いていたところ、ダグラスが目通りを願ったのである。


 曰く、アラシアの壁に不安あり。細かな亀裂が見られるとのこと。


 壁の管理を任せている者たちから届いたもので、届け出自体は半年以上に出されていたらしい。その者たちから、どうなっているのかと再度陳情が届いたのである。

 アラシアの壁は、先々代よりもずっと昔に作られた巨大な壁である。海とアラシアの地を隔てるものであり、潮風を防ぐ役目を担う重要な壁だ。

「はい。亀裂とは言っても、今すぐに崩れるようなことはないだろうとのこと。しかし、何かしらの手を打たない限り危険であることに違いありません」

「そうか……。まいったな」

 ヴォルクはそう言うと、手に持っていた書類を机の上に置き直した。

「アラシアの壁の修繕をしなければならないだろうな」

「はい。しかし、アラシアの壁の修繕方法など、残っておりますでしょうか」

 何しろ半世紀以上前の遺物である。この王城のどこかの文献には残っているだろうが、探すとなると大仕事だ。ヴォルクは痛む頭を抱え、溜息をついた。

「仕方ない。王城の図書館を虱潰しに探してみよう。すぐに司書らに連絡を取ってくれ」

「御意」

 ダグラスは一礼する。

「それと、例の件ですが」

 やや声を低めて、ダグラスが囁いた。

「船の手配が済んでおります。いつでも出航できるとのこと」

「……そうか」

「――本当にヴォル様ご自身が行かれるのですか?」

「ダグラス」

 ヴォルクはそこで一度言葉を切った。

「僕が行く、と言っているんだ。諦めて従え」

 ダグラスは色素の薄い目でヴォルクを探るように見つめている。ヴォルクは素知らぬ顔で再び書類を手に取った。

「少し一人になりたい。外してくれないか」

「――御意」

 一礼し、退出するダグラスの後姿を見て、ヴォルクは細く息を吐く。ダグラスはヴォルクの腹心だ。彼は間違ったことはしでかさないし、仕事も完璧にこなす。臣下の鑑ともいえる人物である。しかしながら、どうにも頭が固いところがある。だから、ヴォルクがやろうとしていることを知ったら、全力で止めるに違いない。

 兄、ロンドを船で迎えに行く、と言ったとき、ヴォルクは盛大に異議を申し立てたものだ。

「恐れながら申し上げます。それはいささか危険なご判断かと存じ上げます」

「何故だ? ミツチの島と我が国は船で行き来できる距離だぞ。風読みに従えば嵐を避けることもできよう」

「私が心配しているのは、嵐ではありません」

 珍しく、ダグラスは声を荒げている。

「あなたの兄、ロンド様は、アラン様を殺した張本人です。その方とヴォル様が再度お会いするなど、もっての外でございます」

「しかし、兄が生きている以上、僕が即位するためには誓文が必要だ。それはダグラスも知っているだろう」

「では、他の者に行かせては」

「このことは極秘事項だ。少人数でことを済ませる必要がある。兄本人であることが確認できる者と、誓文に認印を押すことができる者、宣誓を公式に受けることができる者。通常であれば三人の人物が必要なところを、僕が行けば僕一人で事足りる。しかも、このことが外に漏れる心配もない」

「ですが!」

「ダグラス。僕が決めたことだ。何も丸腰で行くわけでもないんだ。それとも、なにか直接会ってほしくない理由でもあるのか?」

 ダグラスはぐっと唇を噛み締める。そのまま何かを言いたそうに口を開くが、声を乗せることはなかった。これ以上言葉を重ねてもヴォルクの意志は変わらない。であれば、口を噤み、ヴォルクの気が変わるのを待つつもりなのかもしれなかった。

 ヴォルクは目の前の書類の束を見るともなしに眺める。あの言い方で、ダグラスが納得したとは思えない。しかし、今回ばかりは折れてもらうよりほかない。

 ロンドに直接会って、聞かなければならないことがある。だからヴォルクは、一人で行くのだ。

 決意を新たに、再び書類に目を通し始める。と、扉の叩く音が執務室に響いた。

 ヴォルクは目を瞬かせる。ダグラスが戻ってきたにしては早すぎる。それに、叩く音も遠慮がちで控えめである。訝りながらもヴォルクは声を挙げた。

「入れ」

「失礼いたします」

 一礼し、姿を見せたのは、エルザの侍女レミリアである。ヴォルグは眉を寄せる。王女付きの侍女は、滅多に塔から出られないはずだ。

「エルザ様が至急お会いしたいとのこと」

「エルザが? 珍しいな」

 そう言うと、レミリアは素早く周囲を見渡し、足早にヴォルクの傍へと駆け寄った。

「ご無礼を。――アラン様のことで、お耳に入れたいことが」

 囁くように告げ、レミリアは一礼した。ヴォルクは顔を引き締める。書類を置き、椅子に掛けてあった外套を羽織る。

「行こう」

「はい」

 ヴォルクは口の端に笑みを浮かべる。あの王女も王女で、色々と動いていたらしい。似た者兄妹だ、と我ながら可笑しかった。



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