4


 竜神ベラの犠牲になった島民は、全部で三人。屈強な海の男たちの訃報に、悲しみに包まれた夜だった。

 ミツチの民の葬儀は夜通し行われる。浜辺に篝火を焚き、島民が交代で火の番をしながら死者を悼むのである。時折聞こえる太鼓の音は、死者を慰めるためのものだ。その太鼓の音に乗って、死者は死の海へと旅立つといわれているのである。

 死者だけではない。負傷者も多く出た。一番傷が酷かったのは、舟のしんがりにいたガルダである。ベラの爪が掠ったのであろう首下から背中にかけてばっさりと裂け、大量の血が流れてしまったのだという。大なり小なり怪我をした島民は、空き小屋でラウルが治療を施していた。

 島長ケチャが怪我を負っていること、治療をしているが思わしくないことも公表された。これはラウルの案だ。ケチャが倒れる瞬間を何人もの島民が目撃していしまっている。このまま黙っていて、憶測が飛び交うよりもきちんと発表した方がいいとの進言だった。

 一日の内に起こったことに、島の民も動揺を隠せない。こうして夜が更け、火の番が終わっても寝付くには至らないのであろう。そこかしこで辺りを憚りながら囁く声が聞こえていた。


 夜の闇に、ぱちぱちと火の爆ぜる音が聞こえる。ロンドは火を見守りながら、今日の出来事を思い出していた。

 竜神ベラの件はうまくいったと言ってもよい。しかし、まだ問題は解決していないということが、ロンドを思い悩ませる。解決方法を考えはするものの、なかなか浮かんでこない。気ばかりが焦り、ロンドは自らの膝を抱えるようにして座り込んでいる。

「隣、いいか」

 そう言って、とすとんと座ったものがいる。ユマだ。疲労の色が濃い顔が火に照らされて赤く色づいていた。

「なあ、聞いていいか」

「……なんでしょう」

「今日のことだ。……考えたんだが、分からない。どうやってあの状態のベラを止めたんだ?」

 首を傾げるユマに、ロンドは軽く微笑んだ。

「今日の昼、ヒルユメの実の話をしたのを覚えていますか?」

「ああ。薬になるっていう、あれだろ」

「ええ。それを使ったんです」

 ヒルユメの実を麻酔薬にするためには、何度も手を加える必要がある。しかし、それは人に使用するときのこと。体を麻痺させる作用は、煎じる前の実の方が強いのだ。ロンドはヒルユメの実をそのままベラの体内に大量に送り込むことで、竜神の体を麻痺させることに成功したのである。

 そう告げると、ユマは大きく息を吸い、それを盛大に吐き出した。

「……やってらんねえな」

「ユマ?」

「そんな手があるなんて、俺、知らねえもん」

 なぜかいじけ始めるユマに、ロンドは焦った。この青年は、いったい何がそんなに「やってられない」のだろう。首を傾げるロンドに、ユマはずいっと人差し指を突き付けた。

「ロンド。あんたは俺なんかより、ずっと頭がいい。だけどそれだけだ。危なっかしくて、頼りない。情けない奴だと思ってる」

「……はあ」

 ロンドは目をぱちくりさせる。自分が危なっかしくて頼りないことは自覚していたので、どう反応したらいいのか分からなかったのだ。ユマは拍子抜けをしたような顔をして、ややあってくしゃりと笑った。

「……でも、俺じゃだめなんだとさ。俺が島の民だからか、と思ってたけど、きっとそうじゃないんだろうな」

「あの……」

「しかもなんだよ。あんなとこで度胸見せやがって。俺なんて逃げてただけだぞ……情けないったら……」

「ユマ? 話が見えませんが……」

「あー! もう! うっせ! うっせ!」

 突然、ユマが頭を掻きむしり叫んだ。

「分かったよ! 諦める! 諦めればいいんだろ!」

 そういうと、ユマは目を丸くして驚くロンドに自らの顔をぐいっと近づけた。下からねめつけられて、ロンドはますます困惑する。

「あいつはな、意外と泣き虫だ。淡々としているようで、結構感情的なやつなんだ。だから絶対泣かせるな。いいな、絶対だぞ!」

 言い捨てて、ユマは勢いよく立ち上がった。そのままロンドの腕をつかみ、無理やり立ち上がらせると、ぐっと体を前に押し出した。

「入り江でティティが待ってる。――あんたと二人で話したいんだと!」

「ティティが?」

「火の番、変わってやるから。早く行け!」

 どん、と背中を突かれて、ロンドは二、三歩よろめいた。慌てて振り向くと、いいから行けと言わんばかりに手を振られる。

 入り江とは、ロンドがこの島に漂流したときの、あの場所のことであろう。

 潮騒が優しくさざめいている。艶めかしいような夜の海風が、ロンドの髪を巻き上げる。ティティが二人で話したいこととは、何のことであろうか。

 ロンドは足を踏み出した。火の爆ぜる音が、ぱちり、と空へと吸い込まれていった。



 ティティは一人、入り江の岩に腰掛けていた。体は疲れている。限界にも近かった。本来ならしっかりと火の番をするために、順番が来るまでは仮眠を取った方がいいのだろう。しかし、気が高ぶっているせいか寝付けない。それで、入り江まで出てみたのである。

 黒々とした海に、波が砕けて白い飛沫を挙げる。月明かりに照らされた水面はきらきらと輝き、まるで星空が二つあるかのようだ。

 あの竜神ベラを相手に、こうして生きていることがまだ信じられなかった。神とも崇める竜の獰猛な姿。間近で聞いた咆哮を思い出すだけで、まだ心臓がひやりと冷たくなる。

 これから、この島はどうなっていくのだろう。魚は相変わらず取れないし、海の竜は、益々狂暴になっていく。今回は何とかなったものの、蛇竜ミラのこともある。狂暴化しているのは、竜神ベラだけではないだろう。

 それに、とティティは膝を抱きかかえた。

 無理して起き上がったのが仇になったのだろう、ケチャはあの後再び床に就き、ラウルの治療を受けている。


 ――ケチャ様の熱が下がりませぬ。

 ラウルはそう言って首を振った。敷布の上に寝かされているケチャは、高熱にうなされ脂汗にまみれている。頑丈そのものだった体からは覇気がなく、ティティは思わず長の手を取った。力を込めて握っても、握り返すこともない。ただ火傷しそうなほど熱い体温が、ティティの掌を焼いていく。

 ――お覚悟を。

 重々しく落とされたラウルの言葉が、ティティの脳内をぐるぐると回っている。

 ティティは抱きかかえていた膝をぎゅっと抱きしめる。そのまま膝頭に頭を預け、歯を食いしばった。

 子供の頃、迷子になった時のことを思い出す。自分の舟を与えられ、初めて海に繰り出した。楽しくて、誇らしくて、夢中で櫂を操るうちに、随分と流されてしまったのだ。一緒にいた島民も、父ケチャも見えない。見渡す限りの海原でティティは恐怖に襲われたものだ。自分は一人で、親しいと思っていた海も、空も、これほどまでに広い。それが不安でたまらなくて、父の名を呼びながら盛大に泣いた記憶がある。

 海で迷子になって泣いていたあのときも、ケチャは自分を見つけ出してくれた。太く逞しい腕でいつだってティティを導き、助け、守っていてくれたのだ。

 そのケチャが死ぬ、という。歯の根が震えるほどの恐怖と不安で、ティティは押しつぶされそうになる。

 覚えず自嘲の笑みを浮かべた。子供の時と、今と、大して変わっていない自分がおかしかったのだ。

 ティティの後ろから、ざくり、と砂を踏む音がする。遠慮がちに近づくその音に、くすりと笑みを零した。立ち上がり、くるりと振り返る。満点の星空を背にして、ロンドが所在なさげに立っていた。

「交替?」

 先程までロンドが火の番をしていたと記憶している。自分の番だ、と言いに来たのだろう。そう声をかけると、ロンドは面食らったように目を丸くした。

「何か、御用だったのではないですか?」

「いや……」

 ティティは首を振る。そのティティの様子に、ロンドは途方に暮れた顔で眉を下げた。

「ユマが、ティティが呼んでる、と」

「ユマが?」

 ティティは一瞬怪訝そうな顔をし、ややあって苦笑した。

「あいつ、さては何か誤解しているな」

「誤解?」

「そう。あいつに何か言われなかった?」

「……ええと」

 思わず口を濁したロンドである。まごつく様子に、ティティはころころと笑った。

「お前、本当に嘘が下手。そういうところはアランと似てないな」

 そう言うと、ティティは後ろ手に組んだ腕をぐっと挙げて伸びをする。

「まあ、せっかくのご厚意だし。確かに、話したいことも聞きたいこともわんさかあることだし」

 ぽすん、と再び岩に腰掛けて、ティティはロンドを見上げた。

「座ったら?」

 その言葉に従って、ロンドも遠慮がちに岩に腰掛けた。

 まだ夜明けは遠い。海はより一層黒々とし、岩に当たって砕けた波が星明りに煌めいている。

「種明かしをしてほしい」

 そう言うと、ティティはロンドをちらりと見やる。

「ベラをどうして止めることができたのか、今ベラはどうなってしまっているのか……。私はそれが知りたい」

 そうか、とロンドは頷いた。舟を出してもらった時は、詳しく話している暇がなかった。目的だけは伝えたものの、詳細までは言えなかったのである。

 ユマに話したことを同じように話すと、ティティは目を丸くした。そのまま天を仰ぎ、大きく息を吐く。

「ロンドは、すごい」

「いえ……」

 今回はたまたまうまくいっただけだ。今思い返すと、よくあれほど杜撰な計画を実行に移せたものよ、と反省しきりである。本来であれば、ベラの体格を考慮したうえできちんと量を計算し、確実な方法でもって行うべき処置だった。もしヒルユメの実が足りなかったらベラは止められなかっただろうし、そうだったらティティも、ロンドも、ユマも命がなかったであろう。

 ティティは顎に手を当て、何やら考えている風情である。ややあって、確かめるように呟いた。

「体を麻痺させただけなら、ベラはまだ生きている?」

「はい。ヒルユメの実は確かに危険な毒ですが、致死量になるには量が足りないと思っています。あれからベラの姿を見ないということは、沖へ戻ったということなのでしょう」

 そう言うと、ロンドは唇を舐めた。ヒルユメの実は強力な麻酔と同じ効果がある。時間が経てば納まり、体も動くようになるはずだ。また、効果が残っている間は青茸瘤による痛みも軽減されるだろう。

「よかった」

 安堵の息をつくティティに、ロンドは問いかけの目を向ける。ティティは黒い目を細め、再度、ほう、と息を吐いた。

「恐れ多くも、我らミツチの民の守り神だもの。殺してしまっていたらどうしようかと思っていたんだ」

「……そうですか」

 風が吹き、ティティの長い髪を巻き上げていく。ばらばらと散る黒髪を見て、ロンドは思わずそのひと房を手に取った。

「ティティの髪は綺麗ですね」

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