竜の怒り
1
「まこと、悲しいことでございます」
ライオネルは礼を解き、萎れた手で額を覆う。
「ロンド様がここにいらっしゃる、ということは、アラン様のおっしゃったことが現実になってしまわれた、ということ……」
ライオネルの声は震えていた。その双眸からさらさらと涙が零れ、記憶の物よりも皺の寄った顔をしとどに濡らす。
「アラン様はお亡くなりになられたのですね」
ロンドは息を呑んだ。心臓が煩く鳴っている。この老人は、いったい何を知っているのだ。なぜアランが死んだことを知っている。いや、それよりも。
「ライオネル……」
ロンドは思わず声を挙げた。
「僕には何が起こっているのか、さっぱり分かりません」
頭の中がぐちゃぐちゃになりそうで、ロンドは浅く息を紡ぐ。ロンドは真実、困惑していた。ラウルというマレ人が、かつて兄の教育係をしていたライオネルだという事実。罪を犯し、ロンド同様にアジュガへと流されたはずのライオネルがなぜ、今ここにいて、そして兄の死を知っているのだ。
ライオネルは掌でぐいと涙を拭う。きらきらと輝く細い双眸がロンドを捕え、再び悲し気に歪められる。
「アラン様が仰っておられた。あなた様がこの島にいらっしゃったとき、自分の命はすでに絶えているであろう、と」
頭を金槌で殴られるかのような衝撃を受け、ロンドは目の前が暗くなる。立っていられなくなり、ふらふらと床に手をついた。
ライオネルは立ち上がるとロンドに木彫りの椅子を勧め、自らは藁座に腰を下ろした。
「どこからお話したらよろしいでしょうか」
視線をさまよわせ、ライオネルは呟く。
「そう。これは話しておかなければなりますまい。十年前、わしは確かに流罪になった。しかし、それは予定調和の上での流罪だった、といいましょうか」
こちらの考えていることを読んだかのように、ライオネルは頷き口を開いた。
「即位したばかりの偉大なる王は、ミツチの民のことをよく知りたいとお考えでした。しかし、彼らは我らアラシアの民を憎んでいる。アラシアの国民も、ミツチの民のことを快く思っていない者がいる。王が正面から向かったとて、いらぬ火種を巻くことになりかねない。だから、調査のためにわしをここへ流した」
そう言うと、ライオネルは目を細めて笑った。
「あなた様の兄王は、時に大胆な方法で物事を進めることがある。わしをここへ流したことはその最たるものと言ってもいい」
ロンドは混乱する頭で考える。
嵐の日に、この島へ乗り込めばマレ人として歓待を受ける。そのことを、兄は知っていたのだ。だから知識のあるライオネルをわざと流刑とし、この島に流れ着くように仕向けたというわけなのだろう。
「わしは身分こそあれ、親族とは縁を切った生活を送っていた。妻も子もない。好きな研究を続けられればそれでよい。そういう性質だったからこそ、この御役目はわしにも嬉しいことだった」
ライオネルは、その日のことをまるで昨日のことのように思い出すことができる。
深夜、誰にも知られないようにという厳命でアランの自室に呼ばれたライオネルに、アランは絞り出すようにこう言ったものだ。
「今から俺が言うことは、正直あまり気持ちの良いことではない。お前からまっとうな出世の道を断ち、家族や友人との縁を断ち、二度とアラシアの土を踏むことも許されない。そんなことを、お前にやってもらいたいと考えている」
「随分と大仰な前置きでいらっしゃいますな。して、この私に何をお望みでいらっしゃいますか」
「罪人となり裁きを受けて欲しい。そしてミツチの民について調べてもらいたいのだ」
「……ミツチの民でございますか」
アランは頷いた。
「父からの施政を受け継ぎ、腑に落ちないことが増えている。そのひとつが海のこと、そしてアラシアの壁のことだ」
アランの話を要約するとこうである。
アラシアの壁の付近には何故か人の住まいがない。国をぐるりと取り囲む壁である。その壁沿いだけでも広大な土地になるものの、人や生き物の気配がないのである。
「お偉方に話を聞いても、知らぬ存ぜぬの一点張りだ。埒が明かないので、町まで聞き込みに言ったのだが」
「アラン様が、ご自身で?」
「ああ。自分の目で見なければ分かるまい? そこでおかしな話を聞いたのだ」
曰く、数年前に病が流行り、アラシアの壁の近くに住んでいた者はほとんどが亡くなったのだ、と言う話であった。
「その話が本当ならば、なぜ俺の耳に入っていないのか、そのことが気になった。そんな一大事、父が知らないわけもなかろうに」
そう言うと、アランは苛立たし気に指をくわえてかりりと齧る。
「また、こういう話も聞いた。アラシアの壁付近では農作物が育ちにくいのだと。だから、もしかしたらアラシアの壁に何かあるのではないかと思ってな」
「ははあ、分かりました」
ライオネルは頷いた。
「アラシアの壁は、ミツチの民が建立に携わっているという話でしたな。それで、調査ですか」
「そうだ。ミツチの民との因縁のこと。アラシアの壁のこと。そのあたりに関する書が――あまりにも残ってなさすぎる。だから、お前に現地に入ってもらい、その土地では我が国のことがどのように伝わっているかを調査してほしい」
苦渋に満ちたアランの顔、その瞳の奥に燃える炎を見て、ライオネルはこう思ったものである。
「アラン様は誠の心をお持ちでいらっしゃる。あの方が言う言葉には嘘偽りはなく、その心の奥には常に消えない炎が宿っていらっしゃる。だからわしはこの役目を受け、ここへたどり着いたというわけだ」
この島に着いてからしばらくは、大きな変化はなかった。ライオネルはこの島を調査し、島の民の交流を経て分かったことを記録し、都度アランへと鳥紙を飛ばすことを習慣としていた。
「残念ながら、ミツチの民にもアラシアの壁にまつわることは伝承されておりませんでした。しかしながら、彼らは明らかに我らを憎んでいる。奴隷のように扱って、何もしてくれなかった、と未だに怒りを抱えている島民が多くおります」
確かに、ティティも同じようなことを言っていたように思う。ティティのように、関係ないとすっぱり言い切れる者は少数派であるとも言及していたのだ。
「わしとてそこは官人だもの。時にミツチの民について、悪評とも言えるような内容を送ったことがある。そのほうが喜ばれるのでは、と浅ましき計算をした。しかし、それは大きな誤りでした。アラン様は、アラシアの壁だけではない、ミツチの民の生活のありのままを記録するようにと」
鳥紙のやりとりを重ねるうちに、アランがライオネルに求めていることは細作としての役目ではないことに気づいた。穿った見解はいらない。目で見たもの、耳で聞いたものをそのまま教えてほしい――。その考え方は、研究者の視点である。アランは、ライオネルに対し、研究者としての意見を求めているのだ。
「そうと分かれば、蛇の道は朽縄が知るというもの。わしは兼ねてより研究し続けていた薬学の観点も踏まえて、この島の文化を調べ、生態系の調査をした」
ライオネルはそこまで言うと、改めてロンドを見やる。その真剣なまなざしに、ごくりと喉が鳴った。
「丁度半年ほど前になろうか。あなた様がいらっしゃる少し前、わしはアラン王に鳥紙を飛ばした。すぐに現地に来るように、そしてその目で見て欲しいと伝えたのだ」
そう言うと、ライオネルは徐に小屋の奥へと消え、手に箱を抱えて戻ってくる。両手の上に乗るか否かの小さな箱だ。木彫りの箱には厳重に蓋がしてあり、上から布でぐるりと巻かれている。
「開けてみてはくれませんかな。ただし、素手で触ると危険です。その布を使うとよいでしょう」
ロンドは木箱を受け取ると、言われた通り布を使い、慎重に蓋を開けてみる。中に入っていたのは、干からびた魚だった。その魚の腹が、不可解に膨れている。見ると、からからに乾いた魚の腹部に、なにやら青紫色のごつごつとしたもの見え隠れしているのである。
ロンドは魚には詳しくない。しかし、この魚の様子は明らかにおかしい。
「この魚は、沖の方で取れるオキイミナという小魚です。回遊性のある魚で、群れで行動することが多い。浅瀬で取れることは稀のため、この島の漁法ではあまり取れない珍しい魚といえるでしょう」
そう言うと、ライオネルは自らの手に同様に布を巻き、そっと魚の腹部を触った。破かないように慎重に、切込みの入った魚の腹部を開いて見せる。
ロンドは息を呑んだ。青紫色に見えていたものは、すべて魚の腹にできた瘤だ。大少の瘤が魚の腹にびっしりと付着し、それで腹が膨れているように見えていたのである。
そして、ロンドにはその症例に覚えがあった。
「これは、もしかして……」
覚えず声が震える。
「青茸瘤……」
得たり、とライオネルは頷く。
青茸瘤は、生物の体にできる悪性の瘤だ。生き物が微量な毒物を摂取し続ける。それが体の中に蓄積されていくと、毒物に反応して瘤ができるといわれている。その原因となる毒物は様々で、植物由来、鉱物由来など枚挙にいとまがない。珍しくはない症例だが、報告されているのは陸に生きる動物がほとんどで、魚にも症状が出る例をロンドは知らなかった。
ライオネルは小箱をそっと取り上げると、蓋をして布を巻く。机の上にそれを戻し、ほうと息を吐いた。
「この近海の魚ではまだ症例は見つかってはおりませぬが、それも時間の問題でしょう」
ロンドは青ざめた顔で頷いた。海はひと続きだ。沖で発生した症例だからとて、近海の魚が影響を受けないということはあり得ない……。そこまで考えて、ロンドは恐ろしい可能性に気づいた。
「ライオネル……もしかして、この島の食糧難は」
ライオネルも重々しく頷いた。
「青茸瘤は、すぐに命を奪うような病ではありませぬ。しかし、確実に生体を弱らせていきます。沖の魚は相当数、減ってしまっているに違いありません」
そうか、とロンドは掌を握り締める。沖の魚が減れば、沖の魚を捕食している生き物が飢えることになる。彼らは餌を求めて近海に入りこみ、そこで捕食を繰り返す。魚の取れる量が減ったのは、そのことも原因のひとつに違いない。
「海の竜も、普段は沖で生活しております。そこで捕食するのは魚……このような、オキイミナの群れです」
ライオネルは重々しく言葉を重ねる。
「食糧難に陥っているのは、この島の民だけではない。海の竜もまた、深刻な食糧不足に陥っているのだと思われます」
ロンドははた、と手を打った。ティティもユマも、最近近海で海の竜を見かけることが多くなったと言っていたが、そういうことか。彼らもまた食糧を探し、近海まで降りてきているということなのであろう。
「しかし、問題はそれだけではありませぬ」
そう言うと、ライオネルは目を伏せ、息を浅く紡いだ。
「もう聞き及んでいるとは存じますが……、海の竜が狂暴化しております」
唐突な言葉に、ロンドはぱちりと目を瞬かせた。食糧がないことと、海の竜の狂暴化が結びつかなかったのだ。空腹は苛立ちを生むが、その理屈は竜にも通ずるのであろうか。
つまり、とロンドは考える。
何らかの毒物が原因で、海の魚が青茸瘤に罹患し数を減らしていった。そのため、沖の魚を捕食していた別の生き物たちが近海に入り込み捕食を繰り返したため、近海の魚の数が減っていった。その例は海の竜にも当てはまるため、近海での目撃情報が増えている……。
「――まさか」
その可能性に思い至り、ロンドははっと目を見開く。
「まさか、海の竜が荒ぶる原因は……青茸瘤ですか!?」
「――左様。わしは、その可能性が高いと睨んでおるのです」
ロンドは以前、青茸瘤を発症した栗鼠を見たことがある。毛を逆立て、体を地面にこすりつけ、人が近づくと前歯を剥いて酷く鳴く。おそらく青茸瘤は、発症すると痛みや苦しみを感じるのだろう。
それと同じことが、海の竜にもいえるのではないか。
なんらかの毒物を摂取し青茸瘤を発症した魚群を、海の竜が捕食する。食べた分だけ毒は竜の体を巡り体内を侵食していく。蓄積された微量な毒は、やがて竜の腹の中で瘤を作るのだ。その痛みや苦しみが、彼らを狂暴にしているのではなかろうか。
「……でも」
困惑しながら、ロンドは声を挙げる。
「それと、アラン兄さんをここに呼ぶことに何の意味があるのでしょう。確かに起こっていることは重大ですが、だからといって……」
その時である。
空気を切り裂くような咆哮が、ロンドの耳を貫いた。
「ロンド! ラウル! 大変だ!!」
ティティが小屋に転がり込むと、蒼白な顔でこう告げた。
「竜神ベラが……!」
二人は息を呑み、同時に外に飛び出した。
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