4
***
アラシアの国は、三方を海に囲まれている。
それゆえに、昔は漁業が盛んだった。その名残はアラシア王家を象徴する紋章にも表れている。首をもたげた竜は、古のアラシアの守り神だ。竜は海を制し、海に生きるものを守ると伝えられていたらしい。
――我々は、元を正せばミツチの民と同じ生活を送っていたようなのです。
そう主張したのは、ヴォルクの愚かなる兄、ロンドだった。
ヴォルクは壁にもたれかかり、窓からぼんやりと外を眺めている。季節はそろそろ春になろうかという時期で、石畳の城下、広い庭は解放され、農夫が集まっていた。 植え付け用の種の供給を受けているのだ。その先の、まっすぐ伸びた石畳の目抜き通り。同じく石造りの家は武骨な四角形の箱型をしていて、城から見下ろすとまるで積み木が積み重なっているかのように見える。
その先は港へと続く道だった。今は封鎖され、海へ続く道のすべてに巨大な壁が聳え立つ。海と陸とを切り離すかのように立つアラシアの壁は、ヴォルクの祖先たちが建てたものだ。陽光に照らされ、真珠色に光り輝くその壁は、アラシアの命綱ともいえる大切な壁だった。
――アラシアの壁に使われている材料は鉱石のように見える。しかし、あれは木造なのです。
頭の中で、兄が嬉々として語る声が蘇る。
「どの木が使われているかまではまだ分かっておりません。何らかの木材で壁を建設したあと、上から同じく植物由来の油を刷り込んでいるのでしょう。それで、海水にも負けずに現在の姿を保っているのです」
兄ロンドは植物に詳しかった。それ以上に、植物の持つ毒性や、その毒を扱う方法に持長けていた。
「壁がなかった頃。この地は度重なる塩害で、作物を育てることができなかったと書かれています。しかし、その時代に開発された、毒草の利用方法は、今でも研究するに値するほど価値のあるものだと……」
ヴォルクは思考を振り払うかのように首を振り、窓から離れた。そのまま執務室の椅子にどかりと座り込む。ひどく疲れていた。体は鉛のように重く、手も足も力がうまく入らない。
激動、という言葉が相応しい日々だった。正直、どうやって乗り切ったのか分からないほど、ヴォルクは憔悴していたのである。
兄王アランの死は、ヴォルクにとって青天の霹靂だった。その王を殺した罪人として、もう一人の兄ロンドの名が出たときには驚愕どころの騒ぎではなかった。弟として、その時までは愛すべき兄と信じてやまなかったロンドの無罪を証明しようと、ヴォルクは必死になったものだ。
しかし、状況証拠、物的証拠、どちらも揃っていては流石に太刀打ちできない。
兄王、アランの死には毒物が使われていた。
そして、その毒物は、この国ではロンドだけが製造方法を知っていた。何より、当の本人が無罪を主張しなかった。
これは嘘だ、何かの間違いだ。何度そう思ったことであろうか。
しかし、事実と感情を混ぜて物事を判断してはいけない。第三王子とはいえ、ヴォルクにはその心構えがあった。事実は事実だ。真実はひとつしかなく、その真実はロンドが犯人だと告げている。
自らの口で、実の兄に国外追放を言い渡した時は声が震えた。取り返しのつかないことを命じていることも自覚していた。しかし、やらねばならなかった。それが次の王冠を担う者としての仕事でもあった。
それでも、愚兄の事をいつまでもくよくよと思い悩んでいる自分がいる。何を思い悩むことがある。あの兄は、あろうことか実の兄であるアランを最も辱める方法で殺害したではないか。
「ヴォル様」
いつの間に入ってきたのであろう。側近の一人であるダグラスが丁寧な礼をし、控えていた。
「顔色が悪うございます。少しお休みになられては」
「……いや」
ヴォルクは椅子に張り付いているかのような体を無理やり引きはがし、きちんと座り直した。
「休んでる暇などあるものか。それで、例の船の件、何かわかったんだろうな?」
「はい」
ダグラスは眉を潜めた。
「結論から申し上げます。やはり、船はアジュガには着いてはおりません」
「……そうか」
ヴォルクは再び椅子に沈み込んだ。
アジュガは、罪人が流される諸島の総称である。
先日、愚兄が乗った船は、そのアジュガ目指して出港し――予定していた日を過ぎても、到着しなかった。
「丁度嵐の日だったので。おそらく……」
「分かってる。沈んだ、と、そう推測しているんだろう? しかし……」
アジュガに流される罪人は、罪を犯し、本来ならば極刑を免れないはずの者たちである。しかし、その身分の高さ、功績の高さで極刑にはできないため、流刑、という形で処分する。
その島には、罪人を管理する役人が当然いる。その役人から報が届いたのが、つい先日の事だった。念の為ダグラスに確認を取ってもらったが案の定だ。愚兄の乗った船はアジュガに到着していない。
「はい。困ったことになりました」
ダグラスは険しい顔を更に顰めた。
愚兄ロンドは王族だ。王族は、流刑となっても基本的には身分を剥奪することはできない。そのため、罪を犯した王族はアジュガにて手続きを行い、王族の地位を返還するという誓文を提出するのである。それで初めて王族の名を捨て、罪人としての生活を始めることができるのだ。
しかし、ロンドはアジュガに着いていない。誓文も当然書いていない。つまり、第二王子であるロンドはいまだ、「次期国王」の称号を冠していることになるのである。
次期国王が身分を返還せず、生存している可能性がある以上、次の国王としてヴォルグが即位を行うことは不可能だ。
「過去に、こういった例はあるか?」
「いえ。探しましたが、見られませんでした。王族に近い者であれば過去、ライオネル卿が流刑となった記録がありますが、彼は王位継承者ではありません。それ以降はロンド様が初です」
ライオネルは王家の血を引く風変わりな教育係だった。しかし、何やら怪しげなものを研究しているとして流刑を言い渡されたのである。そんな彼が流刑になったのはもう十年以上前のこと。それ以降、流刑になった罪人はいなかった。
そもそも、次期国王が罪人としてアジュガに流されること自体、アラシア建国以来初めてではなかろうか。
「どうします。いっそ、ロンド様は死亡したとみなして手続きを進めては……」
「いや、だめだ。伝統だからな。僕はよくても、エルザや司教たちが許さないだろう」
ヴォルグは深く息を吐いた。
妹、エルザは清廉な乙女として名をはせる聖女だ。アラシア国の王女は、儀礼祭典で次期国王に王冠を被せる大切な役目を担っている。その神聖なる役目の為に特殊な教育を受けているため、思考が極端になりやすい。
エルザもその例に漏れず、常に四角四面で融通が利かない。それは個人のわがままとしてではなく、真に神聖な役目を果たすため、「そうでなければならない」と教育されているのである。
「では」
ダグラスは咳払いをする。
「こちらが取るべき施策は二つ。一つはロンド様の死を確かなものにし、次期国王死亡として処理できるようにすること。もう一つは――ありえないことかもしれませんが、ロンド様が万が一生存していたとして、その居場所を探し、誓文を書いてもらうこと」
ヴォルグは頷いた。異論はない。
「この近海で、船が漂着しそうな場所は?」
「はい。今、風読に出航日の風を調べてもらっています。――今のところ」
ダグラスは一瞬言葉を呑み、ややあって口を開いた。
「イリア海域である可能性が高い、と」
「……ミツチの民のところか」
「はい。ですが、まだ確定していません。嵐の風を読むのは難しいとのことでしたので」
「わかった。では、確定次第すぐに報告してほしい」
「御意」
一礼し、退出するダグラスの後姿を見ながら、ヴォルクは沈思する。
ミツチの民と自国の因縁はヴォルクも知っている。なぜそこまでいがみ合っていたのか、もはや分からないくらいの年月が経っていてもなお、その名に抵抗を持つ国民が多いのも事実である。
もしそのミツチの民のところに兄がいるのだとしたら、厄介だ。
「……兄さん」
苛立たしげに執務室の机を指でとんと叩く。
「本当に。どこまで愚かなんですか、兄さん」
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