アラシアの王
1
ミツチの民の朝は早い。まだ日が昇り始める前に身支度を整え、浜に網を張りに行かなければならないのだ。
ロンドは眠い目をこすりながら敷布から起き上がると、伸びをする。板張りの屋根からは明け方特有の清らかな光がうっすらと差し込み、小屋の中を薄紫色に染めている。
名乗った後の、ティティの行動は素早かった。ロンドが敵国の王子であることも、彼女にとっては特に気にすることでもないらしい。それどころか、真顔でこんなことを言ったものだ。
「そう、道理で似てると思った。お前はアランの弟なんだな」
その言葉に、思わずロンドは転びそうになったものだ。さらりと言うにはあまりにも大きな爆弾で、思わず冷や汗をかいた。その様子がおかしかったのであろう、ティティはくすくすと笑った。
「お前は王家のものなのに、考えていることが全部顔に出る」
「そうで、しょうか」
「ああ。今もそう。なぜ自分の兄のことを知っているのか、兄は因縁の島の民の、しかも長の娘などになぜ自分の身分を明かしてたのか……。どうだ?」
まさにその通りだったので、ロンドは目を白黒させる。ティティはそんなロンドをひとしきり笑うと、くるりと瞳を動かした。
「さっきも言ったけど。国の単位ならお前と私は敵かもしれない。けれど、私自身はお前になにも思うところはない。それは、アランだってそう。私にとっては背後の事情なんて関係ない。大切なのは、目の前の人が信頼できるか、できないか。ただそれだけ」
はきと、宣言したティティはそこです、と目を伏せた。
「だが、残念ながら私は少数派。未だにアラシアを恨んでいる人は数多くいる。だから、お前の身元は絶対に他の人にはいってはいけない」
黒々とした瞳に力を込めて、ティティは述べる。
「もしお前がそこから来たマレ人で、更に王子だとばれてしまったら……私でも庇いきれない」
「……分かりました。留意します」
「その言葉も、直せないか?」
「言葉も?」
「ああ」
ティティはそう言って自らの唇に指をあてた。
「品が良すぎる。ここにはミツチの民だけがいるわけじゃない。お前みたいに流されてきて、居ついたマレ人もいるんだ。その者たちとお前とで、育ちが違うと思われたら困る」
「分かりま……」
「おい」
「分かった」
「よろしい」
彼女の指導は言葉遣いだけに留まらなかった。ロンドをこの小屋――助けてもらった時に寝かされていた小屋だ――まで連れてくると、ひそひそと今後の作戦を持ち掛けたのである。
「お前は信頼されるところから始めなければならない」
しかつめらしくティティはそう言った。
「私はお前を信じている。だから、お前の言うことに嘘はないと思っている。けど、島の民はそうはいかない」
そうだろうな、とロンドも頷いた。特に、ティティと一緒にいた青年、ユマからは警戒をされてしまっているだろう。
「お前の知識は、我々が喉から手が出るほど欲しいものだ。しかし、だからと言って素直にその知識を信じるかといったら、無理だと私は思っている」
異論はない。そも、自国でも敬遠されていた研究である。毒のあるものを口にするのは勇気がいる行為であるし、それがまだ島に来て日が浅い、余所者であれば尚の事。
「まずは島の民の信頼を得るところから始めるんだ」
「具体的には、どのようにすればよいのでしょう」
「言葉」
「っと……どうしたらいい?」
どうやら合格だったようで、ティティは満足そうにうなずいた。そのまま人差し指を立て、ロンドの顔の前にずい、と突き出す。
「一番簡単な方法は、朝早く起きること」
「……え?」
「朝早く起きる。それで、一緒に海へ行こう。網の仕掛け方を教えてやる」
「それだけで?」
ティティはこくりと頷いた。
「私たちと同じ生活をするんだ。同じ仕事をして、同じ視線で話す。そうすれば、少なくともお前がこの島に馴染もうとしている努力を見せることができる」
「そういうもの……なんだ」
「そう。努力をする者を嫌う人はいない。最も、何か言ってくる人はいるだろうが、少なくとも大多数の人間は味方になってくれる。そうすれば、小さな批判や非難など怖くもなんともない」
「はあ……」
若いのに――とはいっても、自分と数歳しか違わないだろうが、随分と冷めた視線で物事を見る少女だ。
「分かったら、明日から海に行くぞ。夜明け前には支度を済ませておくように!」
そう少女に厳命され、ロンドは半ば強制的に早起きをすることになったのである。
枕元に用意の布で顔を拭い、新しい服に着替える。その極彩色の貫頭衣や、少しごわつきのある固い生地にもだいぶ馴染んだ。最初は肌が擦れて痛い思いもしたが、人は慣れる生き物である。
生活に必要なものは全てティティが用意してくれたものだ。聞けば、マレ人、というのは嵐の「贈り物」とされており、歓待する風習があることなのだという。つくづくありがたい風習だ、とロンドは思う。
島国で暮らすミツチの民にとって、知識は財産だ、という話をティティから聞いた。だからその知識をもたらすマレ人は。彼らにとって最も大切な「贈り物」なのだと。
そういう例は初めて耳にするので、ロンドは驚いた。
島国になればなるほど閉鎖的な風習や伝統になるものだ。余所者を排除し、自分たちの伝統と血のつながりを大切にする。ほとんどの島国ではその傾向が強い。
しかし、ティティの口から聞くミツチの民はそうではない。積極的に他者から知識を吸い上げ、それを活かしながら生きている。柔軟性の高い民族だ。その彼らが未だアラシアの民を憎んでいるという事実に、ロンドはいささか疑問を覚える。
そういえば、とロンドは思い出す。
ミツチの民のことについて、詳細なことが記載されている文献は少ない。国一番の所有数を誇る城の書庫にですら、二、三件の文献しかなかったように記憶している。そして、そのどれもが「ミツチの民が竜をけしかけたこと」「アラシアを滅ぼしかけたこと」を記すのみに留まっていた。
そのことを告げると、ティティは呆れたように溜息を吐いた。
「竜をけしかける、か」
少女はひょいと肩を竦めたものだ。
「ミツチの方では、こう伝わってる。アラシアは島民を奴隷のように使い、病になっても助けてくれることがなかった、と」
「奴隷!?」
「そうだ。詳細までは伝わっていない。ただ、ひどく屈辱的な扱いに耐えかねて、一部の者が反乱を起こした。それで、袂を分かつことになった、って聞いてる。竜をけしかけた、というのはその反乱のことを指すのかな?」
ロンドは目を丸くする。そうなると、話がだいぶ違ってくるというものだ。
以前、兄王がちらと話していた、白いものを黒くする、とはこのことを指しているのだろうか。
「おい! 起きてるか!」
ティティの声がする。彼女はこうして、毎朝律義にロンドを迎えに来てくれる。考えるのは後だ。ロンドは服を整え、まだ薄暗い外へと繰り出した。
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