3

「……っ、そ、れは」

「いい。言わなくても分かる。竜の宥め方を知っているのは、この島の民と、島に居ついたマレ人たちと、あとは――アランだけだから」

 その言葉にロンドは今度こそ口を噤んだ。確かに兄王は、竜の宥め方を知っていた。つまり、この少女の言う「アラン」は、自分の兄である「アラン」ということになる。

 では、なぜアランは竜の宥め方を知っていたのか。

 兄アランは、自らの経験を大切にしていた。自分の目で見た物しか信じないと宣言すらしていた。

 もしかしたら、とロンドはひとつの答えを導き出す。

 アランは、この島に――ミツチの民を調査しに来ていたのではないか?

 そこで、この少女と出会ったのではないか?

 改めて、目の前の少女を眺めた。

 典型的な、ミツチの民だ。肌は浅黒く、髪は黒く、小柄で敏捷性の高そうな体つきをしている。島長の娘、と言っていた。つまり、この娘は自分と同じ王位継承権のある有力な人物であるはずだ。その娘と、敵国の王だったアランが仮にこの島で出会ったとして、いったいどういう関係性を築いたというのだろう。

 ティティは息をひとつ吐くと、ロンドの隣にぽすんと腰を下ろした。思わず及び腰になるロンドを見やり、くすりと笑う。

「何がそんなに怖い?」

「え……?」

「私たちは、お前の国では散々に言われているらしい。けれど、お前の目の前にいる私は、そんなに怖い?」

 その声に少し寂しさが混じっているような気がして、ロンドは思わずティティの瞳を覗き見る。

 黒い瞳だ。陽光を受けて、きらきらと輝いている。

「お前が陸のひと、わが民の敵であるアラシアの者なのは、分かってる。その髪の色や肌の色だけでは気づかなかったかもしれないけど……。所作や立ち姿がアランとよく似ているから」

 目を見張るロンドに軽く笑いかけ、ティティはさらに言葉を重ねる。

「国の単位で話すなら、お前と私は敵かもしれない。けれど、個人間の話で言うなら、私はお前になにも思うところはない。つまり、私にとってお前は無害な存在で、私もお前にとって無害であるはずなんだ。それでも、まだ、怖い?」


 ――それは、僕の出自を知らないから言えることだ。


 反射的にそう答えそうになり、ロンドは口を噤んだ。

 確かに、いち個人の間で言えば、二人の間に国は関わってこないだろう。しかし、彼女は島長の娘だ。そして自分は――今は追放されているとはいえ――アラシアの第二王子である。

 再び口を噤んだロンドを見て、何を思ったのであろう。ティティは、ほ、と息を吐き、改めて海を見やった。

「しかし、本当にお前、運がいい。蛇竜ミラは竜の中でも気性が穏やかだ。もしこれが竜神や鳥竜だったら、余所者の祈りでは通じなかった」

「竜神や鳥竜……?」

 その話は、初めて耳にするものだった。思わず問いかける。

「そうだ。これもアランに伝えたことなのに、聞いてないんだな」

 話せば話すほど、少女と兄の関係性が分からない。アランや自分が、敵国の出自であることを知っている、とティティは言った。しかし、それにしてはこの少女の話す「アラン」の響きは柔らかいものだ。

「竜にはその性質や姿から複数の種類に分かれる。さっきお前の前にいたのは、蛇竜ミラ、といって、友好的な部類に入る竜のひとつ」

「そんなに、種類がいるんですか」

「いる。だから、さっきユマに言ったことは、あながち嘘じゃない。特に最近は、竜たちの機嫌が悪いから」

 ティティはふ、と顔を曇らせる。

「魚が海から消え始めている。代わりになる木の実も、育ちが悪くて使えるもんじゃない。食べるものがないから、竜も、我々も、気が立ってる」

「しかし、この島はこんなにも食べ物に溢れているではありませんか」

 思わず口をついて出た言葉に、ティティの顔色が変わった。

「今、なんて?」

「いや、その……」

「食べ物に溢れている、と、そう言った!?」

 肩を掴まれ、顔を覗き込まれる。その真摯な黒の瞳に射抜かれ、ロンドは大いに焦った。しかし、少女の表情は真剣そのものだ。

「教えてほしい、例えばなにがお前の目には食べ物に見える!?」

 鬼気迫る様子に、ロンドは唾をごくりと呑み込んだ。この島は、本当に危機にさらされているのだろう。ティティの様子を見れば、どれほどこの問題を深刻なものとして考えているかが分かった。

 この少女には少なくとも、二度助けてもらっている。自分の知識が役に立つなら、敵国であることには目を瞑るべきだ。

「例えば……」

 ロンドは周囲に目を向ける。

「そこの岩」

「岩? あれの事?」

 二人が腰を下ろした浜辺から少し離れた場所に、ごつごつとした岩が連なる浅瀬があった。

 ロンドはまだふらついている足を叱咤し、立ち上がると岩の元へと向かう。そこに付着している茶色の藻を見て、にこりと笑った。

「この藻、食べられます」

「これが!?」

 ティティは目を剥く。

「でもこれ、この藻は……毒がある」

 食糧難に陥ったとき、初めにティティが行ったことは食料の新規開拓である。今まで食べたことのなかったもの、食べられると思わなかったものに目を向け、さまざまな方法で食材に変えようとしたのだが、うまくいかなかった。

 この藻も、その時に一度試している。湯がいて食した結果腹痛を起こし、三日三晩生死を彷徨った事件は、ティティの記憶に新しかった。

 ロンドは岩にこびりつくようにして生えている藻を、そっと撫でた。

「はい。この藻はミオドラモ、と言って、強い毒性を持つ藻です。そのまま食べると酷い食あたりを起こし、大変危険なのですが、少し工夫すると美味しく食べられるようになる」

 ごくり、とティティの喉が鳴った。

「他には……」

「他にも、あるのか!?」

「はい。例えば、先ほどお二人が登っていたシャラノキ……ここではケラの木と呼ばれているあの木の、皮も食べられます」

「皮を!? 食べる!? 馬鹿を言うな!」

 今度こそティティは叫んだ。

 ケラの木は、実こそ食料として使えこそすれ、皮にはひと舐めで致死量の毒がある。だからこそ。その木に登るためには細心の注意が必要なのである。

「ええ。勿論そのままではありません。手を加える必要がありますし、長い時間をかけなければなりません。しかし、木の幹ひとつで、おそらく大人一人が、数十日は賄える食材になるでしょう」

 目を丸くして聞いているティティを見ながら、ロンドは不思議な心持ちを覚えていた。


 彼には、少々特殊な趣味があった。

 それは、植物に関することである。

 もっと具体的に言うと、毒のある植物を採取し。その毒性を薬や食料に変えられないか、研究することだった。


 自国にいた頃は、無駄な趣味だと周囲からは冷たい視線を受けていたものだ。

 ロンドの祖国アラシアは、海沿いの国にも関わらず農業が盛んだ。しかし、それは比較的近年になってからのことである。

 元々のアラシアは海から吹き込む潮風と、度重なる嵐の影響で、ひどく痩せた土地だった。そのため作物が育たず、それこそ漁に頼る生活をしていたらしい。

 その潮風を防ぐために作られたのが、アラシアの壁である。港のあった位置に巨大な壁を立てたことで、潮風は風向きを変え、嵐が来ても海の水が土地を侵食することはなくなった。このような塩害に負けないような施策づくりと、根気のいる土替えを行ったことで、アラシアの民は基本飢えることはない。

 しかし、ほんの少し前までは違ったのだ、と歴史書は語る。

アラシアの民は、食糧危機が訪れるのを恐怖し、食べられない植物を食べられるようにする方法を編み出していった。それが、毒物の研究に繋がるのである。

 ロンドはその記述を見たとき、興奮したものだ。

 知恵と忍耐が、人々を救う素晴らしさ。元々毒のあるものを食べられるようにするには、相当な根気が必要だったはずだ。その祖先たちの労力を無駄にはしたくない。その一心で始めた研究だった。アラシアの例だけでなく、分かっている範囲の国々の記録や文献を蒐集し、読み解くようなこともした。

 しかし、飢えることのない今のアラシアには不要な研究である。苦い顔をするものも多かった。

 ――役に立たないことばかりしてないで。

 ――少しは別の事に目を向けたらいかがです?

 弟ヴォルクはそう言って眉を顰めたものだ。

 その研究を評価していた者は、ただ一人。兄王アランだ。アランはよくロンドを部屋に呼び、研究の成果を報告させていたのである。

 しかし、それはあくまで机上の報告だ。こうして、現地で、実際の植物を見る。ロンドの持つ知識を伝え、それを吸収しようとする者がいる。

 そのことは、思いのほかロンドには嬉しいことだった。


 ティティは浅黒い肌を興奮で真っ赤にし、ロンドに詰め寄らんばかりである。

 実際、ティティは喜んでいた。信じられない思いだった。

 岩の藻も、ケラの木も、島ではよく見かけるものだ。もしそれが本当に食料に変えられるのなら――このマレ人の言うことが正しければ――今この島が抱えている問題が解決するかもしれない。

 ティティは興奮で荒くなった息を細く吸い、ゆっくりと吐き出した。このマレ人の頭の中には、貴重な知識が――今自分たちが最も欲しいと思っている知識が詰まっているに違いない。

「マレ人」

 口調を改め、ティティは浜の上にきちんと座り直し、体の前で手を組んだ。

「島の代表の娘として、お願い申し上げる。我々に協力してはくれないだろうか」

「協力……?」

「もしお前がその知恵を我々に授けてくれるなら、私はお前を保護しよう。どんな窮地にあったとしても、お前を助け、お前の力になろう。だから」

 ティティはそのまま首を垂れ、丁寧に拝した。

「頼む。我々を、ミツチの民を助けて」

 ロンドは息を呑んだ。

 もしここでロンドがうんと言えば、結果的にミツチの民の支援を第二王子がしたことになってしまう。それは、自国を裏切ることにはならないだろうか?

 しかし、どのみち自国には戻れない。戻ったところで自分は犯罪者であるし、冤罪だという事実がわかったところで、今度は王冠を被らなければいけなくなる。

 ――お前の判断ですべてが変わる。そのことを肝に銘じて欲しいのだ。

 兄の声が聞こえたような気がした。

 今自分に提示されている道は二つ――一つは、この申し出を断り、目の前の少女たちを見捨てる道。二つは、この少女たちを助け、自国を裏切る道。

「わかりました」

 助けるのは、国ではない、人だ。だったらロンドはひとりでも多くの人を助ける道を選びたかったのだ。

 ティティは微笑む。組んでいた手をほどき、す、と前へ差し出した。

「改めて。島長ケチャの娘、ティティだ」

「――ロンド。アラシアの国の……」

 ロンドはす、と息を吸う。

「第二王子、だった者です」

「はっ!? え!? お前、王子だったのか!?」

 目を白黒させるティティに、今度こそロンドは笑い、差し出された手を握った。


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