第5話 真相

 突然の霧が、高原の草花を濡らし、辺りは新鮮な空気に包まれた。

霧の水滴から保護するために、慌ててベーカムカメラにビニールカバーを被せたり、他の撮影機材をシートで被ったりと、慌ただしい動きの中にも、浩一は、楽しさを感じた。久々のロケにスタッフ全員の心が弾んでいた。

このビデオカラオケの清里ロケでは、笹井も精神的に余裕を見せていた。モデルがペンションの窓辺で、光の中に溶け込んでいくカットでは、モニターを覗き込んで盛んに発言をしていた。

そして、スタッフ全員が、撮影に使われたペンションに宿泊した。

夕食の後は、モデルやメークを誘って谷田部、野村、間島がトランプやゲームで、盛り上がっていた。

特に、谷田部は、かなりの部分で撮影を任されていたため、彼が満ち足りていたことは、はた目から見ても良く分かった。間島も相変わらずの調子で、谷田部のカメラアングルを褒め称え、一つ覚えの黄金分割という四字熟語を連呼していた。

 浩一、ゆかり、笹井は、谷田部の撮影補助に立ち会っている波田とともに、テラスに出た。晩秋の清里は、すでに肌寒かったが、満天の星の下で波田のカメラマン談義が始まった。

 「こういう仕事をしていると、忘れがちになることがあるんだよ。それは、相手を思いやることだ。映像表現は、事実を率直に行うことだけじゃない、そこに、自分の考えや、映像の中に存在する人の気持ちを、入れ込まなければいけないんだね」

浩一は、波田の言うことが良く分かった。街頭インタビュー撮影での出来事。また、間島の興味本位の撮影。そして、自分が櫛田に向けた猜疑心も、全てにおいて相手を思いやる気持ちに欠けていたのだった。

 「俺はね。『ここには、カメラという機械では無くて、俺という人間がいるんだよ』って、いつもカメラレンズを向けている相手にアピールしているんだな。カメラレンズは、銃口ではないんだ」

波田は、カメラのファインダーを覗かない方の目を、パッチリと開けて、被写体である相手を優しく見つめた。

 「撮影した映像を繋ぐのは、島田、おまえの仕事になるよな。画は、繋ぎ方一つで180度変化してしまう。だから、撮影も編集も一つの意志で結束できなきゃいけないんだよ」

そこへ、今回の作品の監督である芹川が、やって来た。

 「それじゃあ、監督の意志をカメラマンに伝えておこうかな」

芹川は、照明あがりのフリーの監督で、芹川、波田がコンビで作る作品は、評価の高いものばかりであった。芹川とともに波田は、ペンションのバーコーナーへ飲みに行った。

 浩一は、この世界に飛び込んだ当初の自分と、今現在の自分を比較すると、映像に対する感覚がだいぶ変化したと思った。機材の扱いや、チーム動作において、憧れだけでは通用しない厳しさを感じた。

とにかく、必死でスタッフの一員を演じた。そして、慣れてくると自分本位の動きになり、周囲の状況が判らなくなった。今は、そんな自分を、少しずつ軌道修正しているところだ。

 「さあ、明日で撮影を完了しなくちゃね」

ゆかりが事務的に言うと、

 「あーあ、また東京へ戻ってMAが始まるんだね。なんか、ずーと、ここに居たいよ」

笹井は、明日で撮影が終了することを、名残惜しんでいるようだ。

 「そうだな。このペンションなかなか居心地良いしね。今度は、レジャーで訪れたいものだね」

浩一もどちらかというと、笹井と同じように名残惜しかった。

 「そうね。それで、明日のことなんだけど」

と、ゆかりが言うと笹井は、もう、うんざりという顔つきで、

 「吉山さんは、撮影スケジュールのことばっかりなんだから」

「ちがう、ちがう。最終日に小山さんが、撮影現場に来るって言ってたの」

浩一は、ふーんと頷いた。小山も会社責任者として、社長業に励み出したのだろうと思った。

 翌日の撮影も晴天に恵まれ、全てのカットを撮り終えることが出来た。この清里ロケでは、合計四曲のビデオカラオケの撮影が行われ、台車による移動撮影もあった。そのため、浩一の運転する機材車のルーフキャリアには、レールが積載されていた。そして、会社への帰途、中央高速道路は、陽が沈みかけていた。

 「島田ちゃん、運転代わろうか?」

笹井の座る助手席以外は、全て機材で埋め尽くされていた。

 「大丈夫だよ」

実際のところ、笹井が話し掛けてくれなければ、疲れから睡魔が浩一を襲っていた。しんがりを務める機材車の前をロケバスが走行し、谷田部のセリカが一番先頭を走っていた。

途中、小山は、休憩したサービスエリアで、みんなにジュースを差し入れたりして、気を使っているようだった。あとは、東京に帰るだけとなり、浩一は、のんびり走ることにした。谷田部は、山梨の実家に寄るので途中で別れた。

したがって、3台の車は、ばらばらに帰ることになった。

 そして、浩一の機材車が会社に到着したのは、夜8時を回っていた。

既に到着したロケバスは、地下駐車場に駐車されており、浩一と笹井以外は、一足早く到着したようであった。機材車の片付けは明日行うことにして、浩一と笹井は、疲れた身体を引きずって事務所に向かった。

休憩室のドアを開けると、椅子から立ち上がったゆかりが、開口一番に言った。

 「谷田部さん、事故起こしたのよ。それもひどい事故なんだって!」

浩一も笹井も驚いた。小山は、谷田部が担ぎ込まれた山梨の救急病院に向かっていた。

浩一、ゆかり、笹井は、小山からの連絡を待った。

その後、小山から谷田部が死亡したことが伝えられた。居眠り運転により高速道路のトンネルのコンクリート壁に激突したとのことだった。救急車で運ばれたときには、ほとんど虫の息で、ほぼ即死状態だったらしい。

浩一は、その夜、自分のアパートに帰っても落ち着かなかった。疲れては、いるものの頭が、ぎんぎんと冴えてしまって眠ることが出来ない。

会社が呪われているとしか思えなかった。長野社長一家の事故死に続き、今度は、谷田部までもが事故死となったのだから。

浩一は、冷蔵庫から缶ビールを1本取り出すと、一口飲み込んだ。冷たさが、詰まりそうな胸の中を通り抜けていった。そのとき、浩一は、サービスエリアで小山から差し入れられた冷たいジュースを思い出した。

浩一は、再び、自分の心に疑惑が渦巻いているのを感じた。


 数日後、浩一は、会社からMAスタジオに向かう笹井を引き止めて、編集準備室に連れて行った。

 「館山での事なんだけど、パパイヤは、崖の手前200メートルまで、長野社長一家を乗せて車を運んだよね」

笹井は、突然の話の内容にきょとんとしている。

 「そのときのこと、思い出してくれないかな」

浩一は、要求口調で言った。

 「うん。いいけど。どうしてなの?」

 「ずーと、気になっていることがあってね。実を言うと、以前、櫛田さんにも、あのときの状況を聞いたんだ」

笹井は、記憶の糸を手繰り寄せるかのように、思い出しながらゆっくりと話し始めた。

 「えーと、崖の手前にある展望パーキングまで車を運んだんだよ。それから、車を止めると、女の子のトイレのために、奥さんと女の子は、パーキングのトイレへ行ったんだ。そして、ぼくは、崖に向かって走ってくる車の流れを見るために、社長と道路まで歩いて行ったんだ」

 「それじゃあ、車には、誰もいなくなったんだね! あと、何か変わったことなかった?」

 「社長と、暫く車の流れを見て、『あの赤い車が通過したら、車の流れが途切れるね』って、確かめ合ったんだ。そして、社長は、車に戻って行ったよ。別に何も変わったことはなかったけど……」

 「崖から車が転落するのを、見ていたんだよね」

 「うん。赤い車が通過したので、ぼくは、道路から合図したんだ。パーキングから社長の車は、走り出したよ… そういえば、崖の手前の急カーブで、ブレーキランプが二、三回点灯したけど、車は、減速するどころか、逆に加速したように見えたなあ。後ろから見ていたから、そんな風に見えたのかもしれないけどね」

 「ありがとう。聞いて良かったよ。足止めして悪かったね」

浩一は、収穫を得て笑みを浮かべた。車が無人になる空白の時間があったこと、そして、崖の手前の急カーブでブレーキランプが、点灯したのにも関わらず速度が加速していったこと。この二つが、疑惑を払拭できる突破口になるような気がした。

 翌日、谷田部の同棲相手が会社を訪れた。

彼女は、みんなの前で生前に谷田部が世話になったことの礼を伏目がちに言った。

そして、谷田部の荷物を引き取り、一人さびしく帰った。まだ、婚約までには至ってはいなかったが、二人の間では結婚の約束が出来ていたのであろう。

浩一は、早く立ち直って、櫛田のように前を見て歩き出してほしいと思わずにはいられなかった。

それにしても、谷田部が居眠り運転をするようには思えなかった。人一倍自動車が好きで、愛車のセリカを大切にしていた。

そして、ロケで運転する機会の多いスタッフ達には、彼なりの運転テクニックなるものを講習することもあった。

浩一は、今度の谷田部の事故死により、長野社長一家の事故からの2か月たらずの間の出来事が単なる偶然の事故では無いと結論付けていた。


 昼休みに、浩一は、ゆかりをマクドナルドに誘った。

ゆかりは、メトロテレビのサウンドスポットという5分番組を野村と担当していたので、このところ、会って話しをする機会に恵まれなかった。久しぶりでいっしょにとる昼食であった。二人は、ハンバーガーと熱いコーヒーのセットをトレイにのせて、カウンター席についた。浩一は、ハンバーガーの包み紙を開きながら話を始めた。

 「今回の谷田部さんの事故は、長野社長一家の事故と何か関連があるんじゃないかと思ったんだ。つまり、二つの事故は、仕組まれたものだ。それで、二つの犯行の真相を究明することを、決意したんだ」

浩一は、ゆかりの横顔をちらりと伺い、さらに続けた。

 「まず、第一の犯行である長野社長一家の事故だけど、転落の直前まで関わった櫛田さん、谷田部さん、間島さん、そしてパパイヤは、犯人には成り得ないんだ。

パパイヤから聞いた話によると、崖に向かって発進する前に車に誰も居なくなった空白の時間があるんだよ。このとき、櫛田さんの話では、櫛田さん、谷田部さん、間島さんは、ロケバスに乗り込んで崖の先で待機したということだった。

そして、パパイヤは、社長と交通状況を把握するため、車を離れてパーキング入り口の道路まで歩いていった。そのとき、奥さんと子供は、パーキングのトイレへ行っていたんだ」

ゆかりは、コーヒーを飲みながら黙って聞いていた。

 「そして、異様な現象としては、パパイヤが走り去る長野社長一家の車を見ていて、崖の手前でブレーキランプが二、三回点灯したのにも関わらずスピードが加速していったことなんだ。これは、何か車に細工がしてあったからじゃないだろうか」

 「ということは、その空白の時間に誰かが、車に細工をしたのかもしれないっていうことね」

ゆかりが、付け足した。

 「そうなんだ。誰かが、あのパーキングに潜んでいたんだ。そして、その人間、エックスって呼ぼうか。エックスは、エックスと何らかの関係を持つ谷田部さんも事故死に見せかけて殺害した。これが第二の犯行だ」

 「私、谷田部さんまでも事故で亡くなるなんて、何か続き過ぎるなって思っていたの。島田さんに犯人探しは、やめようって、自分で言っておきながら、このところ、いろいろと人を疑いの目で見ていたのよ」

 「谷田部さんの殺害方法は、飲み物に混ぜた睡眠薬だと思う。サービスエリアで差し入れられたジュースが、それだ。エックスの正体は、判明しているんだ。しかし、物的証拠がいっさい無い。おまけに、長野社長一家殺害の際の、車への細工については、説明出来ないんだ」

 「エックスって、もしかしたら」

浩一は、声を低くして言った。

 「小山さんだよ……」

ゆかりは、周囲を見回すと小声で言った。

 「館山ロケには、来ていなかったわ」

 「エックスは、東京に居るとばかり、俺達は、思い込んでいた。パパイヤが事故の連絡を入れたのは、エックスの携帯だった。エックスは、最初からロケを遠くから見ていたのかもしれないね。」

 「館山ロケにエックスは、来ていたのね」

 「しかし、館山に来ていたという証拠が無いんだ。ゆかりちゃん、車内撮影のビデオテープは、今どこにあるんだろうか?」

 「警察から返却されて、小山さんが受け取ったらしいけど、あのビデオテープには、何も記録されていないのよ。そんなもの今さら何するの?」

浩一は、ハンバーガーを食べながら考えていた。ゆかりの言う通り、何も写っていないビデオテープは、何の役にも立たないだろう。

しかし、空白の時間に小山が録画を停止させたとしたら、そこに何か撮影されているものは無いだろうか。

また、小山と谷田部の関係は何だったのだろうか。

とにかく、浩一は、あのビデオテープを、調べたかった。

 「ゆかりちゃん、ビデオテープの所在を探ってもらえないかな」

 「分かったわ。後で小山…… エックスにビデオテープのことを聞いてみるわね。でも、私、怖いわ。4人も殺したと思われるエックスのこと。今までと同様に接することができるかしら」

ゆかりは、不安と恐怖を隠しきれない。

 「この事件に対して警察は、もう動かない。解明できるのは、俺とゆかりちゃんだけだ。それに、無念の死を遂げた4人のためにも……」

そう言って浩一は、ぬるくなったコーヒーを飲んだ。


 あの気の弱そうな小山が長野のみならず、その家族までをも殺害したことについて、長野に対する憎しみの度合いが、かなり大きかったことが分かる。

小山は、長野に虐げられていた。

ゆかりから聞いた話では、昨年の年末に行われた協力会社の監督、ディレクター、スタッフを招くパーティーの席上でのことである。長野が、小山の紹介を行ったとき、ちょっとしたハプニングが起きたという。

それは、小山の容姿を嘲笑し、結婚という言葉には、縁の無い男という紹介が、会場に集まった人々を爆笑させたことだった。

もちろん、長野の奥さんも笑い、意味の判らない子供も大人たちの笑いにより、いっしょになって笑っていたという。

しかし、今の小山は、平然と日常を過ごしていた。罪の意識は、全く無く、事を成し遂げた達成感と充実感に満ち溢れているかのようである。

浩一は、事務室の机で、レンタル機材の伝票整理を行いながら、小山とゆかりのやり取りに耳を傾けた。

 「小山さん、館山ロケで使った車内カメラの8ミリビデオテープなんですが……」

ゆかりの突然の問い掛けに、小山は、一瞬、躊躇したように見えた。

 「ロケハンで撮影したものが、テープの前半に入っているんですよ。ちょっと、再生して確認しておきたいので、どこにあるか教えて下さい」

 「ああ。あれね。うんうん」

と、一人で頷いて椅子から立ち上がると、傍らの完パケテープを収納するロッカー内を探し出した。あれこれとテープを取り出したあげくに

 「あれー。どこへしまったんだろうなあ。あれは、捨てる訳無いしねえ。もしかすると、警察から返してもらって、家に置いたままかもしれないなあ」

 「どうしても、ロケハンの画像を見たいんですよ」

ゆかりは、強く言った。

 「はい。それじゃね。家で探して持って来るから、明日まで待ってください」

小山は、再び椅子に腰掛けると、パソコンでワープロの続きを打ち始めた。

ゆかりは、お願いしますと言うと、浩一の方を一瞥して、事務所から出て行った。浩一は、トイレに行くふりをして事務室を出た。廊下には、ゆかりが待っていた。

 「探すふりをしていたけど、あそこには、もともと置いて無い筈よ」

ゆかりは、それだけを浩一に伝えると、その場を去って行った。

浩一は、ビデオテープが小山の自宅にあるのだとすると、やっかいなことになったと思った。小山は、適当なことを言って、ビデオテープをゆかりに渡さないだろう。


 浩一は、帰宅する小山がエントランスに現れるのを物陰で待った。

腕時計を見ると、午後七時過ぎであった。浩一は、小山の自宅までついて行ってみようと考えた。

小山の自宅は、中野にあると聞いていた。浩一は、小山に気づかれ無いように注意しながら尾行した。小山は、新宿で中央線快速に乗り換えた。中野駅で降りることは分かっていたので、小山を見失う心配はなかった。中野駅北口の改札を出て、ブロードウェイ商店街を黙々と歩いて行く。

特に店の中を覗く訳でもなく、ただひたすら自宅に向かって歩いて行く。

途中でサンプラザとは、反対方向の道を曲がった。浩一も曲がり角まで早歩きで進む。

そして、角を曲がって先を見ると、そこには小山の姿は無かった。

しまった、見失ったと思ったが、角のコンビニの中を覗くと、弁当を手にしている小山がいた。浩一は、コンビニから出てくる小山を待ちながら、夕飯は、コンビニ弁当かと思った。

浩一は、コンビニの袋を手に自宅に向かう小山のあとを歩きながら、独身の小山が毎日どういう生活をしているかが想像できた。

それは、案外自分と同じような味気ない独身生活ではないかと、思わず苦笑してしまった。しばらく住宅街を歩くと、小山は、鉄の階段を2階へと上がって行った。

サンハイツと書いてあった。

そして、2階の真ん中の部屋の明かりが点いた。あそこが、小山の部屋か。浩一は、もうそれ以上、先には進めなかった。

まさか、小山の部屋に忍び込むことは、とうてい無理であったし、もしも、小山に見つかって不法侵入となったら、逆にこちらが犯罪者になってしまう。ビデオテープは、あの部屋にあるのだと思うと家捜ししたいという衝動に駆られた。

しかし、今夜のところは、おとなしく帰ることにしたのだった。


 翌日、思った通り、小山は、ビデオテープが無いことをゆかりに告げた。

ゆかりは、捨ててしまったのではないかと言っていた。

が、浩一は、きっと、ビデオテープは、小山の部屋のどこかに保管されているのに違いないだろうと思った。こうなったら、小山の部屋に踏み込もうと決心した。

正当な理由で訪問して、ビデオテープを探し求めるには、どういう方法が良いだろうか?

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