第4話 推理

 事故から1か月が経過しようとしていた。

 「島田さん。このカンバスでも大丈夫?」

ゆかりが、ビデオカラオケの清里ロケで使う予定の小道具をかかえている。画コンテによると、モデルがペンションのテラスで画を描いていると、カンバスから夢の世界へ場面が展開していくというもので、クロマキー処理を行うのに適切かどうか浩一に聞きにきたのだ。

 「うん、大丈夫だと思う。ところで、櫛田さん、このごろ顔を見せないね」

 「ええ。黒川さんからの電話を受けたとき、聞いてみたら、今、リゾートのプロモを作っているみたいなの」

日の丸航空は、機内ビデオの番組を、有名作家のエスコートで進めるゴルフレッスン番組に切り替えることになり、櫛田の得意とするリメークビデオは中止となっていた。したがって、浩一も櫛田と一緒に仕事をする機会が少なくなっていたのだ。

 「黒川さんがね。飲みに行こうって誘うのね。私仕方ないから、また今度お供しますって言ったの」

 「ほんとうに飲みに行くの?」

浩一は、少し心配になった。

 「社交辞令よ」

と言ってゆかりは、笑ってみせた。

 「おれ、気になるんだ」

 「え?」

と、ゆかりが怪訝そうな顔をしたので、浩一は、賺さず続けた。

 「あの事故。ほんとうに事故だったんだろうか?」

 「でも、警察は、事故として処理を終えているわ」

 「どうも引っかかるんだ。いくら慣れていない他人の車であったとしても、誤ってノンブレーキで海にダイビングするだろうか? ブレーキペダルを踏もうとした、しかし、ブレーキが効かなかったということも考えられる」

 「でも、笹井くんが、櫛田さんの車を運んだのよ。そのときは、ブレーキは、異常なかった筈よ」

 「何か起こったとしたら、その後だよ。あの警察に押収されたビデオカメラは、どうなったんだろう」

 「小山さんに聞いた話なんだけど、カメラは、転落の衝撃で完全に壊れていたらしいの。でも、その中のテープは無事だったから、警察で再生してみたんだけど、転落時の映像は、何も録画されていなかったっていうことよ」

 「えーっ! それは、REC状態になっていなかったということ?」

 「うん。車を運んだときの運転する笹井くんの姿は、録画されていたそうなの。でも、その後が全く無かったんだって……」

 「そうすると、長野社長の最期の状態を見ていた証人は、いないということか……」

 「ちょっと、島田さんっ。長野社長一家は、誰かに殺されたとでも言いたいの?」

 「殺されたんだ」

 「その犯人は?」

 「分からない。でも、一つだけ言えることがある。あの日のロケスタッフの誰かが犯人なんだ」

ゆかりは、押し黙ってしまった。車内カットの撮影のために事故直前まで関わったのは、櫛田、谷田部、間島、笹井の4人であった。

 「ゆかりちゃん。今度、民謡のMAがあるよね。終わったら櫛田さんを誘ってくれないかな。3人で食事したいんだ。そう、櫛田さんの好きな焼肉にしよう、明治通りの梅花苑でどうかな」

 「櫛田さんを疑っているの?」

 「いや、彼女に聞いてみたいんだよ。事故の直前の状況を……」

 「分かったわ。誘ってみる」

浩一は、あのとき、どうしてもドライブの車内カットを、挿入したいと言い張った櫛田に疑惑を抱いていた。

浩一が、撮りテープの整理をしていたときのことである、『社内旅行』とラベルに書かれたテープが目に留まった。

それは、浩一が、入社する1年前の社内旅行の撮りテープだった。ベーカムデッキに挿入し再生ボタンを押すと、カラーバーの後、伊豆のエコロジーパークのシーンがモニターに映し出された。

ミーヤキャットを、みんなで見るカットが長々と続くと、ラマのシーンに変わった。ラマが突然、みんなに唾を吐きかけると、大ぶれの画面とともに、悲鳴から笑い声に変わるカットであった。

間島がおどけるその後ろでは、櫛田が長野の腕にしがみつくのが、一瞬、写っていたのだ。

浩一は、ジョグダイアルを押し、ストップモーションからコマ送りで1フレームずつ戻してみた。

社内では櫛田と長野が仕事以外のことで話をすることは全く無かったが、このテープには、櫛田が長野の腕にしっかりと両腕を巻きつけている様子が写っている。

これは、単に突飛なできごとによる動作にすぎないのか?

長野と櫛田の間には、周囲には見せていない親密な関係があったのではないだろうか?

櫛田には、何か秘密がある、長野に殺意を抱き兼ねない何かがあったのではないだろうか。それも、何の罪もない幼い子供をも、巻き込んでしまった何かが。


浩一とゆかりの遥か前方の空には、灰色の重たく垂れ下がった厚い雲がある。その雲からは、ロート上に地表に伸びる黒い雲の帯が渦巻いていた。

それは、荒れ狂う竜巻となって、ゆっくりと二人に迫ってくるようであった。


 四谷三丁目のモールビデオの編集室。

日本蕎麦チェーン民謡の教育ビデオの編集では、店内で長野社長一家が蕎麦を食べるカットは使われていなかった。

 「それでは、始めます。まず、通しでお願いします」

ガラスの向こうのナレーターが大きく頷いた。ゆかりは、重厚な防音扉をしっかりと閉めた。MAに立ち会う櫛田も、その頃には、だいぶ元気になっているように見えた。

ゆかりは、浩一が櫛田を疑っていることが気になった。

ショックから立ち直りはじめている櫛田に、不躾な質問を浴びせるようなことはしないと思ってはいるものの、浩一の疑惑は、自分も含めてあの事故から立ち直ろうとしている人々を再び奈落の底につき落とすように思えた。

したがって、今夜、櫛田を誘うことが憂鬱に感じる。

櫛田は、ミキサー卓の後ろのソファーに座り、ナレーターの言葉を、一字一句チェックしていた。ゆかりも気を取り直して櫛田の作ったナレーション原稿を開いた。

およそ1時間のMA作業は、NGも出ずにすんなりと終了した。

ゆかりは、クライアントを送り出すと、紙コップに注いだコーヒーを櫛田の前に差し出した。

 「お疲れ様でした。このあと、櫛田さんと島田さんと私とでお食事よろしいでしょうか?」

 「うん、予定無いから、いいけど…… さては、婚約発表?」

櫛田が茶目っ気たっぷりに勘ぐると、ゆかりは、顔をほんのり赤くして否定した。

 「違います。館山でのことで……」

櫛田の顔が曇った。

 「すみません。いやなこと思い出させちゃって。でも、私たちにお付き合い願いたいんです」

 「わかったよ。あたし。別に、かまわないから」

櫛田は、ガラスの灰皿を見つめ、煙草の灰を丁寧に落とした。


 炭火の上で、肉が勢い良く焼けていく。櫛田が口を開くと、浩一とゆかりは箸を止めて櫛田を見つめた。

 「あたしはね。走行する車内からの窓越しに、海がフレームインしてくるカットを、イメージしたんだ。家族の楽しいドライブって言う感じでね。天気も良かったし、せっかく綺麗な海がそこにあるのに、使わない手は無いと思ってね」

櫛田は、焼けた肉を浩一とゆかりの皿に取ってやると、続けた。

 「はじめは、あたしが運転してカメラテストするつもりだったの。でも、長野さんが、大丈夫だって言うから、いきなり本番っていうことになったのね。たぶん長野さんは、この角度のカメラだと、どのくらいのスピードで崖を曲がれば良いか分かっていたんだと思う」

浩一は、コップに残っていたビールを一口飲んだ。

 「笹井ちゃんが一家を乗せて、崖の200メートル手前まで車を運んだの。あたし達スタッフは、ロケバスに乗り込んで崖の先で待機したんだ。その後、あたし達が見たのは、一家の車が猛スピードでガードレールを突き破って、海に落下していく様子、ただそれだけ……」

櫛田は、セーラムを1本取り出すと、ライターで火を点けた。

 「車内のビデオカメラには、何も録画されていなっかたそうですが……」

浩一は、ゆかりに目配せしながら質問した。

 「ああ、本当なら笹井ちゃんが、車を運んだところでRECボタンを押せば良かったのに、谷田部ちゃんが、笹井はチョンボするからって、REC状態にしたまま運ばせたの。でも、結果的には、録画失敗したんだけど」

 「ビデオカメラに少しでも記録が残っていれば、何か手がかりがあったと思うんです」

浩一が、ふと漏らすと、

 「島田ちゃんは、あれは、事故では無く、事件だったんじゃないかって、考えているんじゃない? ひょっとして、犯人は、このあたしでは無いのかって、思っている?」

浩一とゆかりは、思わず顔を見合わせて沈黙した。

 「疑われても仕方ないかな……」

そう言って、細い煙を、ピンクのルージュがのった唇からスーッと出した。

 「あたしね。長野と関係をもっていたの」

櫛田は、石垣島でのことを思い出していた。


 ヘリコプターが、カメラマンとVEを乗せて飛び立った。眩しそうに見上げる櫛田は、ロングヘアーをポニーテールのように後ろでまとめている。

 「これ、オーナーの自家用ヘリコプターなんだよな」

黒川も目を細めてヘリコプターを見上げる。

 「クロちゃんも乗りたかった?」

 「だめ。高所恐怖症」

そう言って黒川は手を横に振った。黒川は、櫛田と同じメディア専門学校の出身の友達同士であった。櫛田は、黒川のことを「クロちゃん」と呼んでいた。

黒川は、映像に音をつける際のBGMを、シンセサイザーで作曲する会社を仲間と設立し、会社は小さいながらも業績を伸ばしてきていた。

石垣島ヴィラ・マングローブ・リゾートでのプロモーションビデオの空撮は、順調に進んだ。黒川がBGMのイメージをつかむために撮影に参加したというのは建て前で、櫛田とリゾート気分を、味わうために無理に同行したというのが本当のところだった。

ヘリコプターが飛び去ってしまうと、浜辺へ打ち寄せる波の音だけになった。このプロモーションビデオは、長野から回してもらった仕事だった。

あの事故が無ければ、そばにいるのは黒川ではなく、長野であった筈だ。長野は、櫛田に仕事を回す代償として櫛田の身体を求めていたのだった。

そんな長野との付き合いもしだいに櫛田にとっては、仕事の一部となり、しだいに、長野に便宜上の好意を持つことが、櫛田は、義務と考えるようになった。

黒川は、長野と櫛田の関係を薄々感じていた。

そして、あの事故依頼、櫛田が本来の快活さを失っていることも。

 「櫛田。これからは、俺の音楽に画をつけてくれないか? あの事故のことは、早く忘れて、櫛田らしく前を見て歩き出してもらいたいんだ」

黒川は、櫛田の横顔を見つめた。

 「ありがと。クロちゃん」

櫛田は、黒川の言葉が嬉しかった。黒川と櫛田は、青空に小さな点となったヘリコプターを目で追った。


 網の上の肉が真っ黒に炭化してしまっていた。櫛田は、長野との関係を浩一とゆかりに、包み隠さず話した。

 「長野は、家庭をもっていながら、あたしという女に手を出して遊ぶことを、自分でも誇らしげに思っていたみたいね。俺のエネルギーの100分の1でもいいから、小山に分けてやりたいよ、なんて言って笑っていたわ。長野は、遊び。あたしは、そんな彼を憎むようになっていたのかな。館山ロケでは、幸せそうな長野を見ていると、あたしが惨めに思えて、正直言って、この家庭を崩壊させてやりたいと思ったわ。あたしが、無理言って出演を頼んだのにね。あの事故は、そんなあたしの想いが、悪魔に通じた結果なのかもしれない」

浩一は、複雑な気持ちだった。確かに、櫛田と長野は、隠された関係をもっていたが、櫛田の感情は、一家殺害というほどの凶行を犯すまでに、至らなかったのだった。

 「でも、もう今では、過去の事として、自分を納得させることができたの」

 「辛いことを思い出させてしまって、すみませんでした」

浩一が謝ると、櫛田は、笑顔で首を横に振った。

 「網を、変えてもらいますね」

ゆかりが、気を利かせた。

 「飲み直しましょう。それと、これからもご指導をよろしくお願いします」

浩一は、もうこれ以上、櫛田から聞くことは無いと思った。


 浩一とゆかりの二人は、櫛田と別れると、地下鉄丸の内線の駅に向かって歩いた。浩一は、櫛田の長野に対する偽りの愛情が、憎しみへと変貌していったことを知ることができた。特に、長野の、小山に対する感情が浩一には、意外であった。

 「櫛田さんと社長の関係は、全く気付かなかったわ」

ゆかりは、ショックを隠しきれないようだった。

 「でも、事故直前の状況は、知ることが出来たわよね」

櫛田も、事故では無かったのではないかという疑惑を抱いていた。笹井に、崖の手前200メートルまで車を運んだときのことを聞いてみたら、とも言っていた。

 「パパイヤにも、事故直前の詳しいこと聞いてみようかな……」

浩一が、ぽつりと言うと、

 「島田さん、ミステリー小説の探偵気取り? もう、犯人探しは、やめましょうよ」

ゆかりは、憮然として、立ち止まった。非業の死を遂げた長野社長一家のことを、気の毒に思うあまり、浩一自身が非常に懐疑的になっていると思った。事故現場での該当者4人から、櫛田を除外すれば谷田部、間島、そして、笹井の3人に絞られてきたのだった。

しかし、浩一は、今夜、櫛田の辛い過去を、暴露させてしまったことへの呵責を、感じているのも事実であった。

 「そうだね。暫く犯人探しは、控えるよ」

二人は、再び歩きだした。

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