第3話 事故

 「シーン9、カット3」カチンコが響く。

和服姿のウェイトレスが、「いっらしゃいませ」と、笑顔でお辞儀をする。

黒紙で遮光したモニターに見入る櫛田。

 「はーいっ。オッケイでーす」

櫛田がOKを出すと、浩一も野村に操作を助けてもらいながら、1インチテープを巻き取り、録画チェックを行った。大きな1インチテープのリールがくるくる回る。扱いは、ベーカムのようなカートリッジ式のテープとは違い、技術が必要である。

録画の正常が確認出来たので、浩一が叫ぶ。

 「OKです!」

 「次は、ファミリーの食事シーンです」と、ゆかりの合図により、浩一は、パラリン(車いす)に載せた1インチビデオレコーダやモニターを店内中央のテーブルまで移動する。それに伴い、カメラや照明の移動がぞわぞわと始まる。

カメラを担いで次のカメラ位置を、鋭い目つきで「ここ」と決める谷田部。

その指示で、三脚を運ぶ間島。笹井は、ブルーライト照明を運ぶ手伝いをしている。

ゆかりは、ウェイトレス役の役者に次のカットの説明をすると、櫛田がファミリー役の長野一家に説明をしているテーブルに走った。

長野に対面して、長野の妻と6歳になる娘がテーブルにつき、運ばれた蕎麦を前にする。

『ウェイトレスがお辞儀すると同時に、楽しそうに食べ始めるファミリー』というシーンの撮影である。

日本蕎麦チェーン教育ビデオのウェイトレス編の撮影は、前回の新木場ロケに引き続き順調に進んでいた。

そして、今日の撮影は、製作費をおさえるためにも長野社長一家のお出ましとなったのだが、長野社長一家の出演は、櫛田の強い意向でもあった。

櫛田は、自分が雇われている会社の社長一家であることを、意識すること無く演出を続けていた。

カメラポジション、ライティングが決まるとテストが始まった。

 「テスト、回りました。5秒前、4、3、2!」

ゆかりがカチンコを鳴らした。テストと言えども一応VTRをRECにしておき、浩一は、モニターに見入る。

 「はーいっ。良いですね。でも、お父さん、ちょっとアクション抑えて下さい」

櫛田の言うとおり、長野はオーバーアクションだった。

しかし、非常に幸せそうな、その顔は、行儀良くお子様メニューを食べる愛娘に向けられ、益々にやけていた。

 店内の撮影が一通り終了すると、櫛田が追加カットの撮影を決定した。

この秋晴れに、目いっぱい光を反射させている内房総の海を、1カット入れたいという。ドライブの途中で、この民謡で昼食をとろうとする一家の、楽しそうな車内カットから、この館山店の全景にカットを繋ぐということなのだ。

急遽決まった車内撮影には、機材取り付けが行われる関係上、櫛田の車が提供され、小型カメラとブルーフィルターを被せたバッテリーライトの設置が始まった。

撮影機材を載せた車を、長野自身が運転し車内カットを撮るために、谷田部と間島でカメラのセッティングを行い、野村は、助手席のダッシュボードにバッテリーライトを仕込んだ。

浩一とゆかりが、店全景のカット撮影の準備をするために、機材を、店駐車場の入り口に運び出していると、車内撮影のセッティングを終えた野村がやってきた。

 「あのロケハン用の小型カメラじゃ、画質が合わないから、繋がらないかもしれないな。きっと捨てカットになるよ」

櫛田の思いつきの撮影に関して、浩一も技術スタッフとしてあまり賛成では無いと思えた。

助手席に乗った櫛田の指示で、間島の運転するロケバスは、谷田部と長野社長一家を乗せて近くの海岸道路へ走り出した。その後を、笹井の運転する櫛田の車がついて行く。

長野は、窓越しに、こちらを向くと相変わらず、にやにやしながらバイバイと小さく手を振った、女の子もいっしょに手を振ると、奥さんも、にこにこしているのが見えた。浩一が、長野社長一家を見たのは、それが最後であった。


 それから、約1時間後、ゆかりの携帯が鳴った。

ゆかりの顔が、みるみる青ざめていく。

 「たいへんっ。事故よ。社長の車、崖から転落した……」

 「えーっ? 嘘だろ?」

野村と顔を見合わせた浩一は、

 「機材車で行こうっ、ゆかりちゃん、櫛田さんに電話して事故現場聞いてっ」

と言うなり、機材車に乗り込むとエンジンをかけた。

3人が事故現場に着いたときには、館山暑のパトカーが2台と救急車、さらに消防レスキュー車が道を塞いでいた。

浩一は、制止する警官に対して運転席の窓から「関係者です!」と、叫び、機材車を進めて行く。

そこは、海岸道路が大きく左にカーブし、向こうに見える真っ青な海に切り立った絶壁をつくっていた。ガードレールの一部が破壊され、割れたヘッドライトのガラスが散らばっている。

浩一たちは、機材車を飛び降りると、崖を見下ろしている警察と消防の人々に向かって駆け出した。崖の手前では、櫛田と谷田部が、警察に事情を聞かれている様子で、その姿がパトカーの向こうに見えた。

ガードレールから、崖下の岩場までは、数十メートル以上あるようだった。オレンジ色の隊員が、ロープを伝って降りていくその先には、めちゃめちゃに潰れた櫛田の車が裏返しになっている。

そして、岩場の波打ち際には、転落の途中で、車から投げ出されたと思われる女の子が、岩場に打ち寄せる波にもまれて人形のように浮いていた。

あまりにも悲惨な状況にゆかりは、顔を両手で覆った。野村に連れられて機材車に戻るゆかりを見送ると、浩一は再び崖下に目を向けた。

おそらく、この高さから転落したら、かなりの衝撃を受けて、ほぼ即死であろう。

道路上の現場検証のチョーク以外には、ブレーキによるタイヤの跡など残っているものは無い。長野は、このカーブを一直線に海に向かって、ダイビングした。それも、愛する家族といっしょに。

そこへ笹井が駆け寄ってきた。

 「島田ちゃん。どうしよう。ぼく、怖いよう」

青ざめた笹井の顔に、空虚な目が二つ、遠くを見つめているような目だ。

 「東京の小山さんに連絡とって」

浩一が、笹井にそう言うと、突然、ディーゼルエンジンの大きな音とともに、警官の笛が海とは逆の岩の壁に反射して響いた。崖下の車を引き上げるためのクレーン車が到着したのだった。

クレーン車の傍らでは、いつの間に持ってきたのか、ベーカムカメラを担いで撮影している間島がいた。報道カメラマンにでもなったつもりなのか、カメラマンのタマゴとして、すでにカメラマンの性を担いでいるのか、浩一は複雑な気持ちでそれを見つめた。

原宿の表参道で、街頭インタビュー撮影を行っていたときのことである。一時的にスタッフが歩道を歩く人の通行を妨げてしまったことがあった。

 「テレビだと思って大きな顔してんじゃねえよ。何しても許されると思っているなよ!」

と言って、通り過ぎて行った男のことを思い出した。

浩一は、その言葉を忘れられない。自分達が求める映像のために、知らず知らずに人に迷惑を掛けていることがある。VEは、画像の質に細心の注意を払い、写り込む道端のゴミまでも取り除き掃除する。

しかし、それはあくまでも自分達の切り取る映像の中だけのことであった。今、間島が興味本位で一心不乱に撮影している様が、浩一自身を見ているようでならなかった。

長野社長一家3人の遺体は、毛布に包まれて引き上げられた。車内に取り付けてあったビデオカメラは、警察に押収された。


 数日間は、慌ただしい毎日であった。

通夜、葬式の受付を手伝った浩一は、へとへとで暫くは、館山でのことも頭から消えてしまったようであった。

弔問客の氏名と香典を照合して、金額を記入する作業が、特に疲労を増大させる要因の一つだったが、弔問に訪れたフリーカメラマンの波田が、黙って浩一の肩をポンッと叩いてくれたのが、唯一、救われたように嬉しかった。

あの事故後、連絡を受けた小山が館山暑に向かった。事件、事故の両面から、長野社長一家3人の遺体は司法解剖にまわされた。

そして、櫛田と谷田部が警察から事情聴取を受けた。

道路使用許可無届けで撮影を行ったことについてのお咎めはあったものの、警察は、長野が慣れない車を運転した結果、ハンドル操作ミスにより崖から転落したということを結論付けた。

『館山で、企業教育ビデオ撮影中に乗用車転落、出演中の一家3人死亡。運転ミスによる事故』

夜のテレビニュースで、放映された映像には、間島が撮影した素材が使われていた。小山は、社長代理を務めて、事務的に物事を片付けていった。

一方、櫛田は、憔悴しきっていた。なにしろ、急遽、車内撮影を追加で行ったばかりに、長野とその家族を死に至らしめてしまったのだから。

今まで、浩一の目には、櫛田は、快活な女性ディレクターとして見えていた。

しかし、事故後は、喪服に包まれた豊満な肉体と、背中に垂らしたロングヘアーの櫛田が、長野の死を悼む愛人のように思えてならなかった。

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