第2話 ビデオ製作会社

 画面下のタイムコードがカウントアップとカウントダウンを繰り返す。

 「そこっ。そこで止めて」

櫛田洋子(くしだ ようこ)のノートに、タイムコードが書き込まれていく。

 「はい、次は、おじさんのフルショットまで進めて」

本来、粗編集は、櫛田一人の作業で済むのだが、浩一の練習も兼ねて会社の編集準備室の隅、二人で一つのモニターに顔を寄せ合っている。

浩一は、群馬の仕事を終えて東京に帰って来ていた。とりあえず、次の仕事は、日の丸航空の機内ビデオ製作である。社長であり、もとニュース・カメラマンの長野茂(ながの しげる)は、浩一に一通りの業務を、見習い期間に経験させるつもりらしい。

 「どっしようかなあー」

いたずらっぽい声で櫛田が悩むと、浩一のジョグダイヤルを操る指も止まる。櫛田は、会社が外注しているフリーの番組制作ディレクターで、日の丸航空の機内ビデオ製作と企業教育ビデオの専任である。

 「昨日、夜遅くまでクロちゃんと曲のイメージ考えていたのよ。あたしはね。戦場のメリークリスマスみたいな感じがいいと思うの」

今回は、奈良の吉野桜をテーマにした紀行番組で、一度放映された番組を放送局と著作権契約し、音楽とナレーションを差し替え再構成する。

国際線の機内で上映する関係で、英語のテロップを入れたり、サブチャンネルには、英語のナレーションも入れなくてならない。

 「平家物語の琵琶の音色じゃあ、ちょっと重苦しいかなと思ったのね。それより、吉野の山に咲き乱れる桜を華やかな音楽にのせて……」

 「島田ちゃん達。お昼が届いたよう」

ドアを少し開けて、丸眼鏡にクリクリヘアの小柄な小山幸雄(こやま さちお)がこちらを覗いているのが見えた。小山の頭は、パーマをかけているのか、それとも天然なのか不明であった。

 「島田くん。あたしの鴨南、持ってきてくれる?」

 「だめですよ。機材上もしくは、近辺で食事したら。特に汁物は駄目だって、谷田部さんから強く言われているんですから」

 「ここは、谷田部ちゃんの管轄下だから、しかたないわね。従うわ」

浩一は、ポーズ状態のテープを、ローディング解除するとベーカム・レコーダの電源をOFFした。そして、編集準備室を後にした。

休憩室のテーブルには、出前の丼が並べられており、吉山ゆかり(よしやま ゆかり)が、お茶を用意していた。ゆかりは、笹井の半年先輩のADで、今日は、会社で企業教育ビデオのロケ準備をしていたのだった。

浩一が、自分の注文した親子丼をかき込むように食べ始めた。

 「島田さん、よく噛んで食べないと……」

 「おやおや? 面倒見の良い彼女がいて幸じゃない。島田くん」

思わずむせる浩一に小山は、

 「島田ちゃんは、まだ半人前だから教えてもらうことが沢山あるんだよね」

と言って、ゆかりの顔を覗き込んだ。ゆかりは、てきぱきと物事をこなしていくので、みんなからは、一目置かれているADであった。

しかし、普段は、結構おとなしかった。そんなゆかりに浩一は引かれていた。

 そこへ、どやどやと、人が入ってきた。午前の撮影を終えた社長の長野、谷田部と間島である。小山が「おつかれ」と声を掛けても長野は無視を決め込む。それに追従するかのように、谷田部も小山が眼中には無いようだ。そそくさと自分の丼を持って事務所の取締役席に退散する小山。

社長の長野と専務の小山は、大学生時代からの付き合いで、卒業すると二人でこの会社を設立した。しかし、資本は、ほとんど長野から出ているとの噂であり、正確には長野の親が、一人息子のために山を売って作った会社とのことであった。

小山もそんな長野には、頭が上がらないし、VEとしても、所謂に、出来る方では無かったので、社内で、機材の簡単な修理とか事務雑用を行っていた。

 「小技さん、相変わらずエロいっすよね」

吐き捨てるように、また、自分の存在をアピールするかの如く一声を発し、間島が浩一の右胸を触ってきた。すぐに、他人の煙草を胸ポケットに探してくるのだ。あいにく空であった。

 「おれ、事故っちゃいますよ。デーハーな女が歩いている度にスピード落とせだなんて……」

櫛田は、セーラムを間島に1本渡すと、くわえ煙草で休憩室を出て行った。

 「おまえが、小技さんの言うなりになっているからだろ」

と、谷田部がきっぱり言うと、間島は黙った。

『花のパリーグ面白スナップ』というテレビ番組のレポーターが落語家の春風亭小技であった。

間島は、西武球場での取材の帰り、新宿の末広亭に小技を送ってきたのだった。

 「今日は、もう、上がりだから帰ってシチュー作ろ、シチュー」

谷田部は、甘ったれた声で言った。

 「へーえ。谷田部さん。お料理するんですか?」

ゆかりは、調子を合わせた。

 「うん、彼女、今夜遅いから、俺が夕食の当番なんだ」

谷田部の同棲相手は、日本シネVという大手ポストプロダクションの女性ディレクターであった。彼女が会社に寄ったとき、浩一も一度だけ会ったことがあり、細くて小さい身体の割りにタフで活発な物腰は、印象深かった。

 「社長、家族手当てお願いしますよ。いいじゃないですかあ」

谷田部は、長野と同郷であった。また、カメラマンとしても会社の稼ぎ頭になってきていることを良いことに、長野に慣れ慣れしく接していた。

 「だめだめー、ちゃんと結婚して籍を入れてください」

長野は、椅子に深く座ってにやにやしている。怒るときも顔がにやけていると、浩一は感じていた。ただ、小山と話すときは、口元がゆるんでいても、目の奥が光る異種異様な表情を見せた。

すると、間島が浩一のそばにやってきて耳打ちした。

 「おれ、バイトで明日の夜、ピンクのカメアシやるのよ。これ、会社にはオフレコなんだけどね、島田ちゃんも竿ふり手伝わない? ガンマイクの練習にもなるしさ、女優は、麻吹舞(あさぶき まい)なんだぜ」

年下でありながらも先輩風を吹かし、少し軽率に思える態度が浩一は、苦手だった。麻吹 舞といえば、今は落ち目のAV女優であった。

浩一は、学生時代に三本立てオールナイトの映画館で見た麻吹舞を思い出した。それと同時に思い出したのは、穿いていたジーンズの上から太ももの内側を隣に座っていたスーツの男から撫でられたことであった。その悪寒が背中を走ると同時に間島の顔が迫ってきた。

 「OK? よしっ、決まり」

間島は、勝手に決定してしまった。

会社は、浜松町の貿易センタービル内にあり、タイル問屋ブースが立ち並ぶ通路の、そのまた奥の一区画を間借りしていた。浩一は、ゆかりとさまざまなデザインタイルの展示された通路を歩いて、ビルのエントランスに出た。

 「笹井くんがまた、ポカしちゃってね。壊れたパルサーの返却に私もついて行ったのね。それで、運転する笹井くんの横顔見ていたんだけど、すごく落ち込んでいてね。可愛そうだった」

浩一は、黙って聞いていた。外に出ると大通りを行きかう車と、昼休みでオフィスから溢れ出た人々の熱気に圧倒された。ゆかりは、声のトーンを上げた。

 「夕方には、笹井くん会社に戻るから、帰りに3人で飲みに行かない?」

 「うん。俺は、かまわないよ」

 「どこがいい?」

 「近場にして、岩手屋だね」

そう言って、岩手屋の方向に目を向けると、カーマニアの谷田部の運転する山梨ナンバーのセリカが、地下駐車場から出て、滑るように大通りの流れに合流していくのが見えた。


 もうもうと大量の煙がたち込めて、客たちを凌駕していく様は、まるでニワトリが悪魔になって人間達に襲い掛かってくるかのようだ。

 「吉山さん。ぼく、やめようと思うんです」

笹井は、串から肉を歯で引き抜き、口の中でもごもごと、させながらしゃべる。

 「この業界向いていないんですよ。きっと」

大ジョッキの生ビールをあおる。大ジョッキに隠れた顔が再び現れると、目はとろんとして遠くを見つめていた。

 「まわりも悪いのよ。けっこう無理なこと、笹井くんにやらせるでしょ」

はじめは、憤りをもってしゃべったゆかりであったが、最後の方では少し笑いを含んでいるようだった。浩一も、どちらかというと笹井のオッチョコチョイのところが可笑しいのだが、それが、親しみを持つ部分でもあった。

 「ADの仕事って、なんか見ていて大変だと思うよ。みんなきりきりしている中でタイミングとる必要もあるしね」と言って浩一は、ジョッキの中の生ビールを飲み干した。

ゆかりは、砂肝やハツが進まないようだった。そういえば、内臓は苦手なことを、以前いっしょに入った居酒屋で言っていたのを思い出した。ゆかりの好みを考慮した注文に声を張り上げる。

 「すみませーんっ。手羽先を3本に、これおかわりっ」

高々と持ち上げたジョッキから水滴がジーンズの太ももにしたたり落ちた。浩一は、間島とのバイトを頭に思い浮かべた。

 「とにかく、来週は、館山ロケがんばろうね。民謡の乗りで」

ゆかりは、ビデオカラオケと並ぶ、もう一つの会社のライフワークである教育ビデオのロケにより、笹井を奮起させるつもりだ。

 「ほら、元気出して、笹井くんっ」

 「島田ちゃんも、今度のロケ、いっしょだから、ぼくをフォローしてよね」

 「うん、俺もヘマしないように気をつけるよ」

浩一は、言ってしまって思わず肩をすぼめた。

 「あーやっぱり、そう思っているんだ。島田ちゃんも、そういう人なんだ」

ゆかりが、プーッと吹き出すように笑い出した。浩一も下を向いて笑うと、笹井もクスクス笑っている。そこへ、ジョッキが運ばれてきた。

浩一は、元気良く音頭をとった。

 「パパイヤが元気になるようにっ、あらためて乾杯!」

中ジョッキ一つと大ジョッキ二つが空中でカチンと触れ合った。

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