隠されたフレーム
がんぶり
第1話 憧れの世界
秋の夕陽を受けて、柿の実がさらに赤みを帯びて美しく輝いていた。
束の間の静寂により、現実から離脱してぼんやりする癖は、幼い頃から変わっていない。十数名の文化功労者の取材は、現場から現場への移動と撮影の繰り返しで、身体はくたくたであった。
「はいっ、オッケーです」
局ディレクターの声が、りっぱな屋敷の中庭に木霊した。
今日、最後のインタビュー撮影が終了したのだ。
ビデオカメラをヴィンテンの業務用三脚から外すカメラマン、バッテリーライトを肩にかけたまま、カメラマンを補助するカメアシ(カメラアシスタント)。
浩一もヘッドフォンを耳からはずした。
そして、ヘッドフォンを首から提げている音声ミキサーに引っ掛けて、レポーターからハンドマイクを回収すると撤収の準備をはじめた。
大きな鯉の泳ぐ池岸を、玉砂利に足をとられないように注意しながら、機材を搬出する。
東京で生活していると、田舎の空気は透き通っていて、撮影現場の喧騒を和らげてくれるようでもあった。
しかし、浩一にとっては、その喧騒こそが、活気に満ちた映像製作現場への憧れそのものであったので、敬遠するたぐいのものでは無かった。
山道を走る機材車に色付きはじめた紅葉が映り込み、白いボディーは、パステルカラーに塗り替えられたようであった。
浩一達は、群馬にあるUHF局の番組の外注ENG(エレクトリック・ニュース・ギャザリング)班として、もう1週間も民宿に寝泊りしていた。民宿に戻り、撮りテープの整理とバッテリーの充電を仕掛ければ、夕飯を食べる以外にはもう何もすることが無かった。
「この煮魚、チンしてくれる?」
頑固者のフリーカメラマンである波田純二(はた じゅんじ)のドスの効いた低い声は、民宿の食堂中に響いた。波田は、フィルムあがりのカメラマンであった。
今では、フィルム・カメラをビデオカメラに持ち替えていた。
波田は、フィルム時代の職人なので、事あるごとにビデオ映像の質感の無いことを嘆き、ビデオを馬鹿にしていたが、現代は、VTRの時代であったから、渋々仕事をしているという感じのようであった。
その昔、撮影中に良い画が撮れなくて下っ端スタッフ達を怒鳴り散らし、挙句の果てにカメラのパン棒でカメアシを殴ったという逸話を、AD(アシスタント・ディレクター)の笹井宏(ささい ひろし)から聞いたことがあった。
浩一のVE(ビデオ・エンジニア)としての仕事ぶりを、そろそろ認めはじめている波田は、冷蔵庫から取り出したビールを持ってテーブルの向かえに座った。
「どうだい。島田。仕事慣れてきたか?」
「ええ、現場で臨機応変に対応できるまでには、程遠いですけど……」
波田は、ビールをうまそうに一口飲んだ。
「経験を積んで、一人でVEの仕事ができるようになりたいと思ってます」
浩一は、まだ経験不足ということもあり、先輩VEの野村があらゆるパートをフォローしてくれていた。野村和彦(のむら かずひこ)は、1か月前に結婚したばかりで、今日、取材先で土産にもらった舞茸を、東京で帰りを待っている新妻に、宅急便で送る準備をしていた。テーブルの麦茶のポットを取り、波田と自分の茶碗に注いでいると、酔いが回ったのか少し情けない声で波田はしゃべり出した。
「島田は、一生懸命なんだ。いいね。俺なんてなあ、この歳でこんなことしているんだよ。特に親戚と法事なんかで会うと肩身が狭いんだよ」
波田の口からそんな愚痴がこぼれるとは、予想もしていなかった。
「そんなこと無いと思います。自分の感性で切り取った映像を作品として残すことは、素晴らしいことだと思います」
浩一は、自分の将来は、波田のようには成りたく無いと思った。なぜなら、希望を抱いて飛び込んだ世界だったから。
島田浩一(しまだ こういち)は、それまで勤務していたコンピュータソフト会社を退職し、この小さなビデオ製作会社に再就職して半年が経過していた。学生時代に映画研究会に所属して、ほとんどアルバイトと自主制作映画に費やした。
しかし、コンピュータ関係の会社に入社したものの、映像関係の仕事への憧れが断ち切れなかった。地方支社から東京本社に転勤になるとすぐに、映像製作会社の住所を調べて各社を回り、門前払いの果てに唯一入社出来たのがこの会社であった。
波田は、にっこり笑って頷くと、
「さーてと、今夜のナイターは、えーと、巨人対ヤクルトかあ」
いつものドスの効いた声に戻ると夕刊に見入った。
その広げた夕刊の向こうで、野村がレポーターの女の子と何か立ち話しをしているのが見えた。レポーターは、東京のプロダクションから派遣され、浩一達と同じ民宿に宿泊していた。
そう言えば、午前中の撮影のとき、インタビューでテイク・ファイブまでNGを出してしまい、局ディレクターに怒られていたのを思い出した。
そのとき、インタビューされる素人から、慰められている始末だった。移動途中のドライブインで昼食をとったときも、再三、局ディレクターに呼び出され、機材車の陰で泣きながら説教されているのを見かけた。
野村が手招きした。浩一が歩き出すとレポーターは、その場を去って行った。
「今夜、あの子と飲みに行く約束したんだ。島田ちゃんもいっしょに行かない?」
結婚したばかりなのに、この人はなんという人か。
浩一は、半分あきれて言った。
「俺、行けません。笹井さんが、今夜、ベーカムテープ(ベーター・カム・テープ)を届けに来るんです」
「そうか。残念だな。あの子さあ、レポーターやるのが初めてなんだって。今日もかなりへこんでいたから、励ましてやろうと思ってさあ」
野村のプレーボーイぶりは、そのすっきりした顎と彫りの深い顔立ちから想像できた。
冬には、スキー客で賑わうこの民宿も、今の時期の客は、浩一達のみであったので、夜もことさら静かで虫の鳴き声が喧しいくらいだ。
しかし、昼間の撮影で疲れた身体を眠りにつけるのは、簡単なことであった。
「島田ちゃん、島田ちゃん……」
潜めた声に肩を揺り動かされた。浩一は、暗がりに笹井の顔をボーッと見た。
「ごめんね。今日、MAが長引いちゃってこんなに遅くなっちゃったよ。」
浩一は、静かに起き上がった。6畳の和室を、波田と野村と浩一の3人で使っていた。枕もとに置いてあった腕時計に目をやると、深夜1時をまわっていた。波田は、鼾をかいて寝ていたが、野村は、まだ帰っていなかった。
「はい。テープ持ってきたよ。どう? うまくいってる?」
「うん、まあね」
ずしりと思いテープの束を受け取った。ベーカムテープは、長尺だが、テープスピードが速いため1ロール20分の撮影しかできないのだ。
「パパイヤは、どうなの?」
パパイヤとは、浩一が仲間内でつけたあだ名で、しもぶくれの笹井の顔が、どことなくパパイヤの形に似ていたからだ。
笹井は、浩一より入社1年先輩であったが、年下でありながらも、何かと浩一にこの業界での世渡りみたいなものを、彼なりに教えてくれた。浩一も先輩というより、下っ端同士という感覚で笹井と付き合っていた。
「もう、昼間は、撮影。夜は、編集だから、疲れちゃうよう。ところで、波田さん怖いでしょっ」とにやにやしながら浩一の顔を覗き込んだ。
「あー。うん、なんとかね。今のところパン棒では殴られてはいないけどね」
と微笑み返した。暫く、浩一と笹井は、お互いの近況報告を交わした。
そして、それが済むと、笹井は、
「じゃあね。野村さんいないみたいだけど、よろしく伝えてね。ぼく帰るね」と言い立ち上がった。
「車、気をつけて運転して帰って。それじゃ」
浩一は、そう言ってから、再び床についた。笹井は、廊下で野村とすれ違ったようだった。野村の「ごくろうさん」という声が遠くで聞こえた。浩一は、すぐに意識が遠のいていった。
阿佐ヶ谷の大通りに面したマンションの7階、ベランダは、部屋から溢れ出た照明機材やスタッフで一杯であった。ビデオカラオケの撮影現場を笹井は、独楽ネズミのように動きまわっていた。
突然、部屋の中央で撮影監督の大声が聞こえた。
「服脱いで、ベッドに寝てくれるかな」
すると、メークが、モデルの髪の毛を整えながら、撮影監督に勝るとも劣らない大声で言い返した。
「まずいですよ! ヴィーナス・プロモーションは、裸とか男性とのからみは、一切ご法度ですよ!」
「まあ、そう硬いこと言わないで、ちょっとだから」
カメラマンの谷田部省吾(やたべ しょうご)もカメアシの間島聡(まじま さとし)も黙っている。
「私、知りませんよ」
メークは、眉間に皺をよせている。
「だめなら、このカット使わないから。おーいっ、笹井。Tシャツ脱いで、おまえもベッドに入れ」
笹井は、ベランダから部屋に飛び込むように入るとTシャツを脱いだ。撮影監督の絶対権限に従い、機敏な行動をとる。少しでも、もたもたしていようものなら、怒鳴り声が飛んでくる。
撮影監督は、画コンテと歌詞を見ながら、モデルと笹井に、男女二人が一つのベッドで朝を迎えるシーンの説明を始めた。
「あいつ、もう1週間も風呂に入っていないんすよ。臭いよ。モデルの子がかわいそうっすよ」
間島は、谷田部に耳打ちした。笹井は、昼間撮影して夜は、VTRスタジオでMA(マルチ・オーディオ)と呼ばれる音入れ作業に立会い、自分のアパートにも帰れずじまいで、深夜、会社に泊まり込む毎日を過ごしていたのだから、風呂に入れないのも無理の無い話しであった。
「笹井っ。お前は、カメラの反対方向を向いて寝るんだよ。ちがう。逆だ!」
撮影監督は、しだいに苛立ちはじめる。笹井は、慌てる。いつものように悪い方向へ状況が向き出した。
谷田部と間島は、「またかよ」という陰湿な笑いをかみ殺していた。
笹井がそのあと、舞い上がった精神状態と身体の疲労により、パルサーというレンタル照明機材に足を引っ掛けて倒し、壊してしまったことは、AD笹井をさらに低い評価へと導いていった。
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