筆を折る話 / 打々須 作
名古屋市立大学文藝部
筆を折る話
筆を折った。
比喩ではなく。物理的に。
力んだら案外ボキッといけてしまって。
むしゃくしゃしていた。なんだか焦っていた。
何に、と言われると答えづらいけど、何かに、焦りを感じていた。
日が沈んで薄暗くなった部屋の中でスマホが光る。
メッセージが来たらしい。
誰から、なんてのは確認しなくても予想がついた。
みくるは、昨日の夜急に『読んでみてほしい』というメッセージを送ってきた。何かのリンクも一緒で、なんだろうと思って開いたら最近人気の小説投稿サイトの一ページだった。
みくるのおすすめだろうか。案外ファンタジーものが好きなんだなとカタカナの多いタイトルを眺めながら思った。読んでみるかって一話だけ開いて、閉じた。
会話で展開するストーリー。
一人称視点の地の文。
多用される空行と三点リーダー。
中学生の時のわたしを思い出して、反射的に顔が
とりあえず返信しなくちゃ、と、トーク画面に戻る。みくるのアイコンは先月の遠足で撮ったらしい後ろ姿の写真だ。長い黒髪がよく映えていて、
みくるとは程々に仲が良いと思っている。自由にグループを組めと言われたら別の友達を選ぶけど、誘われたら一緒にお弁当だって食べるし、遊びにだって行く。体育でペアになっても嫌じゃないし、会話もちゃんと続く。
だからこそ、不思議だ。この小説はみくるの何なんだろう。
五分くらい悩んで、打っては消して、やっと送信ボタンを押した。
『急にどうしたの?』なんてありきたりな返信しかできていないけど、これ以外に何を返したらいいのかもわからない。
大きく息を
慌ててトーク画面を閉じる。なぜかバクバクと音を立てている心臓を押さえながら薄目で通知を待った。
スマホが光る。
ゆっくりと画面を顔に近づけて返信を読んだ。
『私が書いた』『はなちゃんに読んでもらいたくて』『はなちゃんって文芸部だから小説のこととかわかるよね?』
スマホを落とした。不安を
驚きと同時に落胆があった。みくるは頭が良いし運動もできる。顔も可愛いし脚も細い。韓ドラも洋画もアニメも観る。なんでもできるよねって誰かが言ってた。その通りだと思った。
だというのに今の小説は。
床の上でまたスマホが光る。拾って、表示されたメッセージをまた読む。
『昨日やっと完結したんだけど、せっかくだから誰かに読んでほしくなったの』
みくるの顔を思い浮かべる。ぱっちり二重。色付きリップを塗った唇。可愛いみくる。
あんなに可愛いのに。
スマホのロックを解除して既読をつける。リンクをタップして小説のページを開いた。
もう一度、第一話に目を通す。
主人公は平凡な女の子。
目を覚ましたら豪華な部屋にいて、主人公と同じく知らないうちに部屋にいたもう一人の女の子と、お互いの記憶をすり合わせる。話しているうちに奇妙なマスコットが現れ、この部屋の外は異世界であること、二人が予言に示された大魔法使いとしての素質を持つことを告げられる。
だけど大魔法使いになれるのは本来一人だけ。二人も現れたことを巡って混乱する世界に巻き込まれながら、主人公は元いた世界へ戻りたいとただ願う——
ブラウザバックしたいのを我慢して読み切った。
ストーリー自体は、悪くないと思った。わたしもファンタジーは大好きだから。
だけど文体が幼い。書き慣れていないというか、小説を読み慣れていない雰囲気がある。誤字も多いし、数字は算用数字だし、登場人物の紹介がくどいし、主人公の自我が強過ぎて地の文ではストーリーに関係ないところまで拾ってるし、挙げ始めるとキリがない。
目次をスクロールする。最終話の話数はぴったり百だから、残りがまだ九十九話もあった。
長い。
『百話も書いたの?』『すごいね、どのくらいかかった?』
わたしが送信するとすぐに既読がつく。
『夏休みから書き始めたから、大体二ヶ月から三ヶ月くらい?』『でもサボった日もあるよ。
困り顔の絵文字が添えられている。
『全部読んでとは言わないから、ちょっとだけ感想とか、アドバイスが欲しいの。お願いできる?』
そう、続けて送られる。
わたしは少しだけ天井を見て息を深く吐いた。
『何話か読んでみるから明日送るね!』
可愛い犬が頭を下げているスタンプを送って、スマホを机に置く。
蛍光灯に照らされた机の上には、充電の切れたノートパソコンが、黒い画面をわたしに見せて
部屋の電気を
昨日と変わらない姿で放置されたパソコンは、わたしが小説の執筆に使っているパパのお下がりだ。
だけど最近は使ってない。
今は修学旅行明けの十月半ば。夏休み前から始めたはずの長編は五章編成の三章までで手が止まった。部誌のために書き下ろす短編は、締め切りが二週間後に迫る中でまだプロットすら終わってない。
だめだった。なんだか行き詰まって、全く手が動かない。原稿の画面すら見たくない。
早く書かなくちゃという焦りが余計に心を重くする。
みくるは書いたのに。あのみくるでも。あんな小説でも。
スマホの画面がまた光る。
みくるからの返信を、昨日から全く見ていない。気が重くてメッセージアプリすら開けない。みくる以外のメッセージも全部無視してる。多分部活の連絡とか、明日の授業変更とか、別の友達との遊びの約束とか、見なきゃいけないのもいっぱいあるんだけど。
疲れた。
締め切りの日付だけ書かれたノートが開きっぱなしになっている。雑に閉じて机の下に投げた。
机の下はごちゃごちゃしていた。片付けなさいってママにも言われた。中学校の時使ってた裁縫セット。使い切った授業ノート。一年生の時の教科書。もういらないプリント。ゲームのパッケージ。読みかけの小説シリーズ。
さっき折った筆の半分。
穂先の部分はもっと奥に入り込んでしまった。
柄だけになった姿はもう筆とは呼べない。
書道の授業で使う毛筆だった。習字セットでついてくるやつだ。ママにバレたらかなり怒られるのは目に見えてる。
でもなぜか悪い気分じゃなかった。むしろ、ほんの少しだけだけど、気が晴れたようにすら感じる。
折ってごめんね、と小さく
ついでだからと机の下に手を伸ばす。プリントの山を次々ゴミ箱に突っ込んでいくと、どんどん楽しくなってきて、机の上にも手を出した。
書いてる途中のプロットも捨てた。どうせ悩んだってアイデアは出てこない。新しい紙に書いた方がすっきりするだろうし、まだ締め切りまで二週間あるし。まあ、なんとかなると思った。
パソコンは充電器に
ゴミ箱から袋を出して口を縛る。
持ち上げると案外重くて驚いた。
今度はスマホを持ち上げる。
スマホの通知画面には、ゲームの通知、ニュースの通知、部活関連のメッセージ。一番上に、みくるのアイコンがある。トーク画面を開く。
『わざわざ読んでくれるの? ありがとう!』
一通目。
『ゆっくりでいいからね!』
二通目。
筆が一本少なくなった筆巻きを巻く。そもそもどうして折ったかって、書道の授業の用意で久々に出してみたらすごく握りやすくて折れそうだったからだ。いけそうだと思って力を込めたら折れた。
本当に折れてしまった。馬鹿みたいだ。
折ったら元には戻らないのに。
もう書けなくなってしまうのに。
筆巻きを
画面をスクロールする。閲覧数は昨日の夜から少しも伸びてない。
だからみくるはわたしに読んでって言ったんだろう。
あのみくるが書いた下手くそな文章。テンポの悪い会話。わたしならこうやって書くよなって、頭の中で勝手に校正が進む。
言葉が、頭の中を飛び交ってる。
スクロールし切った画面を
パソコンの電源を入れると、「ようこそ」の文字が浮かんだ。
筆を折る話 / 打々須 作 名古屋市立大学文藝部 @NCUbungei
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