天使の魔女

 『神の子』と呼ばれる人種が存在する。

 風貌は人間、中身も人間、思想も人間。それを知らない者からはただの人間にしか見えない。

 神の子本人も自分がそういう者だと知らない。

 それに、神の子だからと言って何か特別な力がある訳ではない。


 知らない者からすると普通の人間にしか見えないのだ。


 ただ、神の子を知る者からすると…

 神の子の願いと命は何よりも尊く、己の生命より価値のあるものだと。そう断言するのだ。


「と、言う訳で神の子よ。何か願いを言ってごらん? 私が叶えてあげる」


「…いきなり過ぎて状況が読めないが……とりあえず、天井直せ」


 状況を説明しよう。

 俺は轟音と衝撃によって起こされ、ベットの上には純白の羽を生やした魔女が浮かんでいた。

 天井を突き破り陽の光と共に侵入してきたこの魔女は俺の理解を捨て置いて、『神の子』について語りだした。


 そしてたった今、その語りが終わったところだ。


 ようやく話が出来そうだ。


「ほら、早くしろ。木屑の一つすら残すな」


「それが願い?」


「願いというか命令。早くしろ、出来ないとは言わせない」


「命令なら仕方ないか……ほほいのほいっとな」


 未だ純白の羽を生やして宙に浮かぶ魔女は、懐から取り出した杖を振るって魔術を使う。


 男の命令通り、木屑の一つすら残さずに天井を復元させる。


「復元……いや、時間逆行か?」


「分かる? 神の子は勤勉だね」


 あっという間に部屋の状態を元通りにする魔女。


 その手際の良さに男は驚愕していた。

 魔術を勉強したことのない人にはただの復元に見えるだろうが、一通り魔術の勉強をした男にはこの魔術がとてつもない代物だと分かる。


 人の毛ほどの木屑すらも元通りに直す魔術。どんな魔術を組み合わせれば可能なのか。


「はい、元通りにしたよ。それじゃあ、願いを聞こうか」


 天井を完璧に元通りにした天使の魔女。純白の翼は陽の光が当たらずとも美しい。

 その魔女がようやく床に降りて俺と目を合わせる。


「さあ神の子よ。どんな願いでも叶えてあげるよ?」


 願い。急に言われても普通ならばお金が欲しいとかしか言えないだろう。

 しかし、俺には2年前からずっと望んでいることがある。


「……その時間逆行、人に使えるか?」


「神の子は若返りたいのかな? だったらもっと別の魔術があるけど」


「違う。俺の願いは……死者の蘇生だ」


 魔女法第9条、魂に干渉することを禁ずる。


 死者の蘇生はその法に触れる重罪だ。

 紙とペンで方陣を考えるだけでも杖の剥奪。行動に移せばモルモットに。実行すれば永遠の牢獄へと送り込まれる。


 死すらヌルい。


 魔女法一桁の条に反するとはそういう事だ。


「魔女法については知ってるよね?」


「ああ、お前は生き返らせるだけでいい。刑罰は全て俺が引き受ける」


「……はっきり言うと、この魔術じゃ人を生き返らせることは出来ない」


「……だったらもういい」


 出ていってくれ。


 そう俺が言おうとした時、魔女が「けどね、」と言葉を遮った。


「そう言う魔術があるのを私は知っている」


「ほ、ほんとか?」


「ただし、この魔術は術者と死者の強い繋がりが鍵。つまり、思い出だね。二人の間に思い出ないとこの魔術は発動しない」


「思い…出」


「そう思い出。過去何年にも及ぶ、日記帳に書ききれないくらいの思い出。それくらいないとこの魔術は使えない。神の子にそれはある?」


 あいつとの思い出。そんなもの数え切れないくらいある。この家にあるものだって、話し始めたら止まらないくらい思い出が詰まっている。


 だから、俺は断言できる。


「ある、絶対に」


「分かった。その言葉を信じる」


 その瞬間、魔女から翼が広がり光る。薄暗かった部屋には翼から発せられる光に照らされ白く輝く。

 膝をついた魔女は、胸に手を当て俺を見上げる。それはまるで忠誠を誓った騎士のようだった。


「誓うよ、神の子の願いは必ず叶える」


「頼む」


 そう言うと、光が止んでいつも通りの部屋に戻る。


「それじゃあ神の子、行くよ」


「え?」

 

 魔女は俺を抱いて翼を羽ばたかせる。

 そして、真上にへと飛び上がった。


「材料を集める旅に出るよ」


「ちょっと待てちょっと待て、お前また天井壊したな!」


「細かいことは気にしなぁい。それじゃあ3日で帰って来れるように飛ばすから、舌噛まないでね」


 その後のことはよく覚えていないが、とりあえず風圧で喋ることが出来なかったのは覚えている。



◇◇◇◇◇



「神の子、見てみて。これがこっちとあっちを繋ぐ宝石ね。周りの氷塊と色とかが一緒だから見つけにくいんだよね」


「お、おおおお、おい。この、この寒さは、、、どどうにかならないのか!?」


「あ、忘れてた。そうか神の子はこの寒さ耐えられないよね」


「ぎゃ、逆に何で、、、お前は、だ、大丈夫なんだよ。魔女って、、ほんとに、狂ってる」



◇◇◇◇◇



「……なあ魔女さん」


「な、何かな?」


「………」


「無言やめて! それが一番怖いからー!」


「俺たち、このままだと処刑だぞ?」


「だってそれは神の子が邪魔したから……」


「兵士を気絶させるだけでいいのに、城ごと破壊する魔術を使うからだろ?」


「…だって、だって……神の子以外どうでもいいし」


「お前なぁ……」



◇◇◇◇◇



「ねえねえ神の子、何処いってたの?」


「……お祭りを見に」


「ここのはやめといた方がいいかな? 多分、神の子の趣味には合わないよ」


「先に言って欲しかったな。俺は処刑なんて見たくなかった」


「まあ、私たちも魔女連合に見つかればあれより酷い目に合わされるんだけどね」


「……死者の蘇生って重罪なんだな」


「そうだねぇ。誰が決めたんだろうねぇ」



◇◇◇◇◇



「なあ、魔女」


「なあに、神の子」


「俺は、愚かなことをしているのかな……。死者を蘇らせるのは悪なのかな……」


「それは常識について聞いてる? それとも私個人の見解について聞いている?」


「お前の…君の考えが、聞きたい」


「なら、保証するよ。神の子の願いは悪でもなく愚かでもない。その願いには価値がある。その価値は私が保証する」


「………」


「……この世の生物は簡単に死んでしまう。魔女や神の子でさえも。だったら、簡単に生き返っても良いんじゃないかな? 私はそう思うね」


「…ありがとう」


「元気出た?」


「ああ、もう大丈夫だ。おやすみ」


「おやすみ」



◇◇◇◇◇




 旅が始まり3日。


 ついに帰ってきた。

 

「それじゃあ、始めるよ。神の子は死者との思い出を頭に思い浮かべて。どんな些細な事でもいいから、たくさん思い出してね」


「分かった」


 魔女が魔術の行使する。

 贄に舞に歌に方陣。一切の省略を行わないこの魔術は効率こそ最悪だが、結果は保証される。


 あとは、俺がどれだけ思い出を持っているかだ。


『来たれ、過言より生まれし理よ』


 思い出せ。あいつとの思い出を。


『我は望む。魂の返却を』


 薬の調合が好きだったあいつ。

 いつも俺を実験台にして研究を進めていたな。


『確定した存亡に我は異議を唱える』


 初めてあいつと食事をした日は、温かかった。

 それから会う機会が増えて、ついに俺たちは同棲を始めた。


『異を唱えるなら、我も意を唱える』


 薬草の水やりを俺が忘れた。

 食材の買い出しをあいつが忘れた。

 初めはうまく行かなかったが、楽しかった。


『矛盾をここに定める。前と後を合わせよ!』


 世界が白く包まれる。

 目が開けられないほど強く輝く。


 一瞬の光が幾重にも感じられた。


「せ、成功……?」


 光が止む。

 視界が広がる。


「あ、あああぁぁ」


 陣の中央、原点、源流。


 そこに、彼女がいた。俺が求めていた彼女が。


「やっと、やっと会えた」


 2年前死に別れた彼女が、確かにそこに寝ている。

 血色を帯びた肌は健康そのもの。

 生きている、生きた彼女がそこにいる。


「魔女、ありがとう。本当にありがとう」

 

 天使の魔女へ感謝を。

 普段、感謝など言わないが今は別だ。願いを叶えてもらったのだから、感謝の言葉ぐらいは言うべきだろう。

 旅の間ではすぐに調子に乗るから、感謝なんてほとんど言わなかったが。いざ言うと、少し恥ずかしいな。


『神の子の願いを叶えられてよかったよ』


「え?」


 どこからか、声は聞こえた。

 しかし、魔女の姿は何処にもない。

 さっきまでいたところには、何故か服だけが落ちている。


 魔女だけが消えた。


「なんで? どういう…」


 等価交換、辻褄合わせ。

 一つの命を連れてくるなら、一つの命を送らなければならない。


「そう言う事なのか?」


 魔女は、あいつは自分の命と引き換えに彼女を連れてきてくれたんだ。

 こうなる事が分かっていたのか?

 他に方法はなかったのか?

 

 …なかったんだろうな。

 

 あの魔女は言っていた。

 神の子の為なら、この命を捨てる事なんて簡単だと。


 こんな非常事態でも、空は青く快晴だ。憎いほどに。

 涙は出ない。あいつとはたった3日程の付き合いだ。今は、彼女が生き返った喜びの方が大きい。


 しかし、感謝ぐらいは言える。


「ありがとう」


 心地よい風が祝福してくれているように吹き抜ける。

 草木の揺れる音が気持ちいい。


 風に乗って、何処からか魔女の帽子が飛んできた。

 

 俺はその帽子に手を伸ばし、拾い上げようとした時。

 帽子が飛び跳ね一回転。一瞬俺の視界を塞いだ末に、俺ではない誰かの手に拾い上げられた。

 帽子を拾い上げた人物は、純白の羽を生やした魔女であった。

 

「神の子が御礼を言ってくれるなんて、うれしいねぇ」


「え、お前……なんで?」


 天使の魔女が、今目の前にいる。

 消えたはずのあの魔女が。


「簡単な事だよ。あの世に送ったのは私の魂の模造品。だから、今私がここにいるには何も不思議な事じゃないよ」

 

「そんなことも出来たのか…」


「まあね、こう見えても魔女歴は最高峰だからね」


 天使の魔女が笑う。

 ああ、確かにこの笑顔は天使と言うだけのことがあるな。


「それじゃあ、私は後始末に行ってくるよ」


「後始末?」


「ちょっと魔女連合の奴らを黙らせてくる。もう当分はここに来ないだろうけど、君が呼べばすぐに駆けつけるよ」


「あ、おい———」


 俺の言葉なんて待たずに、天使の魔女は何処かへ飛んで行った。









 誰が呼んだか天使の魔女。


 神の子の願いだけを叶えるために魔術を追求する変人。

 その願いの善悪などは関係なし。神の子が、そう願っているから叶える。ただそれだけの魔女。


 今日も今日とても天使の魔女は世界を駆ける。

 神の子の願いを叶えるために。


「よぉ〜し、今日も頑張るぞぉ!」

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