薄氷の魔女

 はるか南の山脈。

 見上げるほど高く、山頂には雪が積もる。


 獣が住むその山に一人魔女が住む。


 雪を従え、氷を生み出す。


 その魔女を薄氷の魔女と人は呼んだ。


「こんな所に人とは、珍しいこともあるようですね」


 髪や服、瞳までもが氷に染められた冷たい青色の魔女は、倒れる私を優雅に見下ろす。


 その動き一つ一つが実に美しい。


 私は雪に埋もれ震える体を抑えて、今日ここに来た理由を話す。


「え、何年も前の恩返しをしたい? 獣に襲われた時の?」


 はい、と私は答えるが魔女は頭を捻らせている。


「ごめんなさい。覚えてないです」


 その言葉に一瞬私は言葉に出来ない感情に駆られたが、別に覚えられてなくて良かったとも思た。


 あの時の幼かった私は、獣から助けられた感謝よりも魔女の力を見た恐怖の方を優先してしまった。

 逃げ出した私は後悔し、感謝の言葉と逃げた謝罪をするため何年も修行しこの山を登る実力をつけた。


 そして今日ようやく長年の願いが叶った。

 私は満足だ。


「それじゃあ、下に送りますから。もう来ないでくだい」

 


◇◇◇◇◇



 初めての魔女への訪問から数ヶ月後。


 私は再び魔女の下へと辿り着いた。

 今回は物資を全て使い果たしたが、魔女の前で倒れることなく立てている。


「はあ、またアナタですか。もう感謝と謝罪は受け取りましたから来なくていいです。帰ってください」


 宝石の付いた小さな杖を振るう魔女だが、私はそれを言葉で止めた。


 私はあなたに会いに来た


 端的にそう伝えた。


「あなたは愚者ですか。山の下の村で私がどう言われているか知っていますよね? その私と話せば、アナタは村から追い出されるかも知れませんよ?」


 山の下の村では、魔女は悪として話されている。

 魔女が山を雪で覆うせいで、この村では作物が実らず異様に寒い。魔女は悪だ、魔女を追い出せ、魔女から村を守れ。そう言われている。


 しかし、アナタは———


「私がここにいることで作物が育たないのは事実です。分かりましたか? 私は悪い魔女なんです。アナタは村に帰って私を罵ればいいんです」


 魔女が杖を振るい、私は雪に覆われた。



◇◇◇◇◇



 2回目の来訪から半年。3回目の訪問に来た。


 今回は物資も残り、立って魔女の家の前まで来ることに成功した。


「………」


 これには魔女も驚いたようで額を抑えている。


「アナタは言っても分からないようですね。なら、直接の体に叩き込みましょう」


 その前に一ついいですか?


 杖を構える魔女。だが、私はどうしても一つだけ聞きたいことがあった。


 もう山姥は全滅しましたか?


「………どうしてそれを?」


 私の家の地下に保管されていた本。そこには魔女が山に住んだ当時の記録が書かれていた。


 魔女が山に住み始めて作物が育たなくなった。しかし、なぜか山姥が減った。もしかするとあの魔女が山姥をこの村から追い出したのかも知れない。だが、作物が育たないから次は餓死で人が死ぬ。やはり、この村に救いはないのか。


 山姥とは、当時流行っていた病気を指す。目が覚めると身体の至るところが脆くなり、皮膚が裂け、血が出る。それを当時の人は山に住む怪物である山姥の仕業だと考えた。夜な夜な山姥は寝ている人を襲い、自分と同じ姿にすると。


「……山姥は遠くの国では別の名前が付けられ既に治療法が確立されて、必ず治る病気になっています。私はただ、そんな病気で死ぬ人を見ていられなかった」


 やっぱりアナタは良い魔女だ。


「ですが、作物を育たなくしているのも間違いなく私です。私は、どうやっても悪い魔女にしかならないんです」


 そんなことありません。私が、私が村のみんなに説明して来ます。そうすれば分かってくれる人たちだって…


「馬鹿な真似はやめなさい。アナタはただの村人。私を責める権利のある村人」


 魔女は私の言葉を制して、冷たく言い放った。


「もう村を出なさい。そして、私のところに来ないで。さようなら」


 …私は諦めませんよ。



◇◇◇◇◇



 あれから1ヶ月。

 私は力の限りを尽くして村の人々を説得した。

 しかし、無理だった。

 何も変えることは出来なかった。


「アナタ、その傷は…」


 あはは、実は村から追い出されましてね。これは、逃げている最中に受けた傷です。


 もはやどこに傷を負っているのか分からないが、もう助からないことは分かる。振り返れば、私の辿って来た道の雪が真っ赤に染まっているから。

 この出血量では助からないだろう。


「今すぐ治療します。アナタは意識を強く持って」


 もう私は大丈夫ですよ。


「大丈夫です、必ず私が助けます」


 いえいえ、怪我の手当てなんて。力のない私がダメだったんです。私は貴方の力になりなかっただけなんですけどね。


「家の中に運びます、動かしますよ」


 会話が成り立っていない。私は嫌われたのでしょうか。


 いや、違う。

 そうか、もう声も出せないのか。


「ダメです、目を閉じないでください!意識を持って、大丈夫、大丈夫だから!」


 いつものカッコいい姿はどうしたんですか。


「私はアナタがここまで来てくれて、嬉しかったんですよ! たまにしか来てくれなかったけど。けど、嬉しかった」


 急になんですか。


「それに、アナタは分かってくれた。私の頑張りを分かってくれた。私だって、この氷がが村の人の為になると思ってたのに、村の人は私を悪い魔女だって、みんなで責めて。私が病気から助けてあげたのに、みんなで私を責めて……悔しかった、悲しかった…」


 そうだったんですね。ごめんなさい。


「けど、アナタだけが分かってくれた。私はそれで満足だった。このままアナタが何度もここに来てくれると思って、色んなことしたかった!」


 そうですね、私もそんな未来が楽しみです。


「だから、死なないでよ! 残すなら、もっと他のものを残してよ!」


 ………わ、たし…は


「貴方が…好きで……した…」


 私の声は届いただろうか。

 最後に見えたのが、魔女の泣き顔だったから少し不安だ。

 呪いになっただろうか。それとも、思い出になっただろうか。

 ただ、私は魔女の記憶に残りたかった。


「◼️◼️◼️◼️◼️」


 ああ、私は幸せだな…。




 誰が呼んだか薄氷の魔女。

 薄い氷は張られやすく壊れやすい。それは彼女の心の有り様を形にした、まさに的確な表現だ。

 心が不安定な彼女は、たった一人のために他の一切を捨てることを厭わない。



 南の山脈の雪山が、今日———










 消えた

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