笑み
小学生の時、友人である真人の家に遊びに行った時の出来事だ。
真人の家にはよく遊びに行っており、テレビゲームをしたり、漫画を読んだりして過ごした。
真人のお母さんは私たちに「ゲームばかりしてないで勉強しなさいよ」とは言うものの、私のことを受け入れている感じがして、居心地が良かった。
この家の様子がおかしいと感じるようになったのはいつからだろうか。
真人の家に行くたびに、私だけが妙な音を聞くようになった。
濡れた雑巾を床に落とすような音だ。
「べちゃっ……べちゃっ……」と時折聞こえてくる。
私は「今の音何?」と真人に聞いても、聞こえていないようだった。
別の日、トイレを借りる際もその音が聞こえていたため、真人のお母さんをこっそりと覗いてみた。
お母さんは夕飯の支度で大根を切っており、その音の発信源ではなかった。
耳を澄ませると、音は玄関の方から鳴っていると思われた。
しかし、玄関の方に近づいてみてもその音はまたどこか、別の場所から聞こえる気もする。
どこかからの音が反響して聞こえているのだと自分を納得させようとして、真人の部屋に戻った。
ドアを開けて、私は悲鳴をあげそうになった。
満面の笑みを浮かべた真人が、直立不動でこちらを見つめていたのだ。
数秒経つと何事もなかったかのように動き出し、真人は私がそのことについて言っても聞く耳を持たなかった。
私は急に怖くなり、「おつかいを頼まれていた」と嘘をついて帰ろうとした。
私と真人は、部屋を出て玄関へと向かった。
玄関への廊下の途中には、真人のお母さんが料理をしているキッチンへ繋がる一面が磨りガラスのドアがある。
私は一言、真人のお母さんに挨拶をしてから帰ろうと思い、そのドアを開けようとした。
ふと見ると、磨りガラスの向こう側に人影が立っているのが見えた。
背格好からして、真人のお母さんに間違いなかったのだが、私はその顔を見て戦慄した。
真人のように、満面の笑みを浮かべて私のいる方を向いていたのである。
磨りガラス越しでも分かるくらいに、真人のお母さんはドアに近づいてこちらを見ていた。
背後にいる真人の表情は、怖くて見ることができなかった。
私は逃げるようにして、真人の家から出た。
その後、真人の家には遊びには行かなかった。
学校で真人からは「なんでだよ」と言われたが、色々な理由をつけてはぐらかした。
しばらくすると、真人の一家は引っ越すことになった。
最後に挨拶をしようと真人の家に立ち寄ろうかとも考えたが、真人の家の2階の窓から笑みを浮かべながらこちらを見る人影に気づき、私は足早に立ち去った。
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