自分の心の整理はまだ未完なまま
眼鏡のれんず
元旦のはなし
※Rちゃんへ
東北出身の私は、現在、西日本に在住している。
2011年3月11日。
私は普通に仕事をしていた。何も知らなかった。外出先から戻ってきた時に、受付のお姉ちゃんが「れんずさん、東北の人だよね?」と声をかけられ、その時に知ったのだ。
テレビのあるミーディングルームへ行き、その映像を見て、何がなんだか、わからなかった。
東京の実家に連絡し、母の安否はすぐに確認できたが、新宿勤務の父と、神奈川県川崎市勤務の妹と連絡がとれたのは、次の日だった。
居住地は、平和そのもので、連日流れる映像も、ひどい話だよねえ、という世間話とあいさつ代わりの出来事だった。
それはそうだ。ここは西日本なのだから。
ただ、私は、流れて来る映像の中に、小学生の時によく遊びに行った蕪島や花火を見に行った河川敷の無残な姿と、平和な西日本のギャップに、多少混乱していたと思う。
2024年1月1日。
我が家にいる受験生は元旦より塾があると言うので、早朝に家族で初詣に行ってきた。
受験生を塾に送り、それからは、のんびりとしたよくある正月だった。
午後になり、もう一つある古い神社へお参りに行くか、という話になった。
その神社は山の中腹にあり、歩いて行かなくてはならない。
往復で40分程度だが、何せ、鳥居をくぐってからの石段がキツイんだよね、ということで、今日はやめておこう、という結論に至った。
その結論から10分後ぐらいであったと思う。
Yahoo!防災がけたたましくなり、震度4の地震が我が家を襲った。
県庁所在地ではあるが、どちらかと言えば半島に近い場所であるので、恐らく、他よりも揺れは強かったと思う。
私は呑気にも食器棚を押さえ、揺れが収まるのを待った。
結構、揺れたね、と言いながら、旦那はテレビをつけて震度の情報を得ようとした。
私も、スマホを見てから、塾に大丈夫であったか連絡をしようと思っていた時だった。
スマホの画面が黒と黄色のアイコンにかわり、けたたましいブザー音が鳴り響いた。
緊急地震速報だった。
私はYahoo!防災に、東京都青森と居住地を登録してあるので、一瞬、東北の地震かと思った。
が、それは違った。
縦揺れからの横揺れ。それはまさに体験したことのない揺れ方だった。
私は食器棚を押さえていた。それしかできなかった。
「外に出る?」
そう、旦那が叫んだ。私はリビングのドアを開け、玄関を開けたところで、揺れは収まった。
全身の震えが止まらなかった。
とにかく、体験したことのない、揺れであった。
家具が倒れることはなかったが、本棚の本が飛び出し、引き出しが開いていたり、やはり普通の揺れ方ではなかったように思う。
震源地はどこか、私はスマホに触れた。
東北か関東なのかと、思ったのだ。
能登半島であった。
確かに、ゴールデンウィークの時にも地震はあったが、まさか、こんな時に、と思う。
思っている間にも、なんどか余震が続いていた。
塾に電話をかけても、繋がらなかった。
とにかく、迎えに行こうと、私は家族に告げて外に出た。
テレビでは「つなみ にげて」の文字がデカデカと表示されていたが、山側に自宅があるため、恐らく大丈夫であろうと思い、とにかく受験生を迎えに行こうと思ったのだ。
自宅は割と古い集落にあり、灯篭が倒れている家が幾つかあった。
普段なら菅さんとしている道路は、当然ながら渋滞し、時折走ってくる緊急車両に道を空けた。
線路の高架を登りきったところで渋滞のため停止する。
ふと、遠くの山並みが、なんだかいつもと違う気がして、ジッとみた。
その手前の高台にある高校、いつもはあんなにしっかり見えただろうか、確か林があるから見えづらかったはず。
思いながら、よく見て、そして、気づいてしまった。
いつもは高校を隠していた木々が崩れ落ち、高校の校舎が丸見えになっていたのだ。
こんな身近で、あんな土砂崩れが起きていたのかと、ゾッとした。
あとから、高校の土砂崩れは、手前の林はおろか、校舎の基礎が剥き出しになるほど崩れてたのだと、ニュースで知った。
普段であれば20分ほどの道のりだったが、渋滞でまったく動かない。途中にあるガソリンスタンドには、すでに長蛇の列がついていた。
信号が動いていたので、停電は一時的なものだろうと思う。
Twitterにはフォロワーさんからの心配のリプがきていたので、それらに返しながら、塾へと向かった。
塾へ行くには、自分が通った国道と、山側に新しくできた環状線と二通りの行きかたが出来た。
環状線の方が信号も少なく、塾に行きやすいのだが、何せ山側にあるので、土砂崩れがあったら嫌だなあ、という判断で国道を選んだのだ。
後程知るが、塾のお迎えに利用する環状線のインターチェンジは、土砂崩れで通行止めになっていたとのことだった。
50分程かけて、塾の駐車場につき、受験生を車に乗せることに成功した。彼は、地震当時3階の教室にいて、一度目の地震の際に同級生が避難したのを「大げさだな」という気持ちで見送ったのだと言う。その後の本震は、立っていられなくなり、とにかくおさまるまで一人で机の下に隠れていたら、講師が見つけてくれて、揺れる建物から、なんとか外へ逃げ出したのだと言う。
「生存バイアスって怖いね!」
彼は何度もそう言っていたところをみると、相当怖い体験だったのだろう。
自宅は、停電も解消し断水もなかったが、とにかく余震が何度もきていたため、家族4人リビングと横の和室で就寝することにした。
特に受験生が疲れ果てていたので、彼の姉と二人で和室で寝ろ、ということにした。
テレビは変わらず「つなみ にげろ」と言うので受験生は避難所に行きたがったが、居住地の防災マップをアプリで見せて、ここまで津波が来たら、県全体が沈むことになるから、自宅避難で大丈夫、と伝えた。でも、念のため、洋服を着たまま就寝し、車の中には防寒具やシュラフを入れておいた。
夜中も何度か余震があり、あまり眠ることができなかった。
東日本大震災の時も、被害状況の把握に数日を要していたので、今回もそうだろうと思っていた。最初の報道にあった二桁の人数は絶対に嘘だろうと思った。
二日目になり、塾は安全確保を確認するので休みとなった。今思えば、呑気な話だ。
家の周りをみていると、お向かいさんから言い争う声が聞こえてくる。お向かいさんは能登半島に帰省中だったが、この地震で家屋が半壊し停電となったため、高齢のご両親を連れ帰ってきたのだという。そして次の日になり、高齢のご両親は、家を片づけないとならないから帰る、タクシーを呼べと言い出した、とのことだった。
この話は同僚や近所から、この後に何度も聞くことになり、被災地から連れてきた高齢の家族が、被災の事を忘れてしまうのか、家に帰せと言い出したり、実際に帰ってしまったりするのだ。
県庁所在地は、2日になると、ほぼ平常通りとなっていたからだろう。そのギャップに、地震の事を忘れてしまうのだろうか。
2日になって、断水地域に住む夫の兄が、水を汲みに来た。その時に、液状化現象で家が傾いて大変なんだと聞いた。それは大変だなーと思った。呑気にも。
4日になり、仕事はじめになった。
最初にすることは、担当相談者の安否確認だった。県庁所在地とその周辺市に住む人は自宅もろとも無事だった。が、海に近く液状化現象が多く起こった町の相談者の自宅が心配で、訪問する事にした。相談者の家のある通りはいつもどおりで安心した。断水も少しずつ解消しているのだという。
だが、町内には、この通りの人だけが住んでいて、半分以上がまだ避難所にいるのだという。
「見る?覚悟してね」
相談者の方は、まあみておいた方がいいよ、と案内してくれた。相談者の家から、ほんの数メートル、角を曲がって坂を下りる道だった。
角を曲がると、そこから世界が違った。
真後ろは平和な日常しかないのに、目の前の世界は、日常を切り捨てられた世界があった。
坂の真ん中でアスファルトに段差ができ、その先は全て廃墟となっていた。15℃以上傾いた家、基礎部分が液状化現象で崩れ落ち、入る事すらできない家、地面を幼児が捻じ曲げたかのような、でたらめに波打ったアスファルトと罅割れたコンクリート。振り返れば、日常風景。この、たった数メートル、同じ町内で起った災害は、同じ地に住む方々に言いようのない感情を落としてしまっただろう。
この、数メートル差の、日常と廃墟、当事者である相談者の気持ちを思えば、筆舌に尽くし難い。
「テレビでよく出ているのは、あっち」
と教えてもらったが、とても行く気にはなれなかった。相談者の家も、これから調査が入る。
変わらずに住み続けられのかどうかは、正直わからない。それほど、この土地は、揺さぶられ捻じ曲げられてしまったように見えるのだ。
自身の生活は変わりない。
だが、現在、仕事内容は変わってしまった。
はやく、同じ県内に住む県民が、安心して”自宅に”戻れるように願っている。
そして自分は、自宅へ戻るまでの仮の住まいで、安心して過ごせるように整えることだ。
最後に全国の支援に、心より感謝を申し上げます。
自分の心の整理はまだ未完なまま 眼鏡のれんず @ren_cow77
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