第16話 もう少し先の未来へ


(今ごろ、晩餐会は始まっているのだろうか)


 私が落ち着かなく部屋の中をうろうろしていると、部屋をノックしてくる音がした。出てみると、執事のベッカーだった。


「ユリア様に少しお話がありまして」


「分かりました。どうぞ」


 私は部屋の中に彼を入れた。彼はとても深刻そうな顔をしている。


「何かあったのですか?」


「ええ、レオンハルト殿下のことなんですが」


「どうかされましたか?」


「いえ、気になることがあるんです。レオンハルト殿下は私にこうおっしゃってました。今日で全てのことが解決するから。もう大丈夫だと」


 私はうなずいた。


「殿下は相当お辛い思いをすると思います。でも、殿下はきっとうまくやり抜いてくれます。私は信じてここで待っているのです」


 執事のベッカーはゆっくりとうなずいたが、やはり、不安そうな顔をしている。


「私は王宮に長い間、つかえています。だから、あの方の恐ろしさも存じているのです。王妃ベルタ・ネッツァーはその美しい姿からは想像できないくらい、狡猾でしかも冷酷な女なのです」


 私の中にみるみると不安が広がってきた。


「低い身分からのし仕上がり、そして、王妃を失ったばかりのクラウス王をたちまち虜にして、そして、王妃の座にまで上り詰めました。反対する家臣は少なからずいたという話でしたが、次々と失脚したり不慮の死を遂げたりしています。何ひとつ彼女がやったという証拠を残さずに」


「今まで証拠は全く残していないんですか。それでは、殿下が告発するのは難しいのでしょうか?」


「彼女は人を簡単に操ることができます。しかも操った人間でも用がないとみなすと、別の操っている人間で始末させることもします。操られた人間も彼女から誘導されたことがわからないくらい巧み動かされているのです。彼女は目的のためならどんな冷酷なことでも躊躇なく行える。しかも、計算づくで」


「でも、殿下は今日必ず解決するとおっしゃってました。何か確かな証拠があるのではないですか?」


 執事のベッカーは首を傾げながら、こう答えた。


「本当に何か決定的な証拠があったなら、王になる前に告発しているはずです。なぜ、晩餐会のような場で行おうとしているのか。私にはさっぱり分かりません。そのような晴れやかな場で、しかも確かな証拠もないのに告発するような愚かな王なら、集まっている貴族たちの反感を買いますし、ゆくゆくは施政に妨げとなるやもしれません。なぜ、そのような博打を打つような真似をするのか……」


 私の中で、重苦しい何かが膨らんできている。もしかしたら、殿下は私のために無理をしようとしているのかもしれない。殿下は焦っているのだろうか。それではいけない。私はすぐに決意した。


(殿下をすぐにお止めしなければ)


「今から、王宮に行けますか。私、殿下から真意を聞いてみます。場合によっては殿下の告発をお止めしたほうがいいかもしれません」


 彼はすぐにうなずいて、こう言った。


「あなたが殿下を説得していただけるなら助かります。いきましょう、晩餐会の会場へ」


 執事のベッカーは慌ただしく馬車の準備を始めた。


(どうか、間に合ってくれますように)


 私は祈るようにつぶやいた。


 ◇


 宮中の中に入って、私たちは晩餐会の会場に着いた。


 すでに晩餐会は始まっていて、扉は閉じられていた。二人の体の大きな衛兵がしっかりと番をしている。


「レオンハルト殿下に少しだけでも会いたいのです。通してくれませんか」


「いかん。会が終わるまでいかなるものも通してはならんと、ベルタ王妃のお言いつけだ」


 彼らは全くこちらのいうことを聞いてくれる気配はなかった。


(どうしましょう)


 私は少しちゅうちょした。正直、私たちは単なる部外者にすぎない。それに、私の不安がただの思い過ごしかもしれない。


 そこに、ジョヴァンニとヴィクターがやってきて声をかけられた。


「ユリアさんどうされました」ジョヴァンニは心配そうに尋ねてきた。


「レオンハルト殿下に話があるのです。一度だけでもお話を伺って、殿下のお考えをお聞きしたいと思いまして」


「ああ、だが、晩餐会には俺たちも入れないんだ。ここで待っているしかないんじゃないかな。もう、始まってしまっているし」ヴィクターは申し訳なさそうにそう言った。


 とその時、ここで私の頭の中にイメージが現れた。


《レオンハルト殿下がグラスに口をつけた瞬間、その場に倒れ込む。皆が騒然として立ち上がっていた。その中で一人、黒いドレスを着た女がゆがんだ笑顔を見せている》


 私はすぐに扉に向かって走り出したが、すぐさま衛兵たちに取り押さえられた。


「どうした、ユリアさん。何か見えたのか?」ジョヴァンニが駆けつけてきた。


「放して、王太子殿下が、レオンハルト殿下が毒を盛られて死んでしまう」


「なにっ、なんだって」ヴィクターが血相を変える。


「とんでもないことを言うな。さっさと連れていくぞ」


 衛兵たちはすごい力で私の腕を掴むと、ずるずると後ろに引きづっていく。


「いや、離して。急がないと手遅れになってしまう」


「よっしゃ、任せろ」ヴィクターが一人の衛兵を殴り倒した。


「私たちに任せなさい、ユリアさん。すぐに行くんだ」ジョヴァンニがもう一人の衛兵を打ち倒す。私は急に解放された。


 私は立ち上がると扉をこじ開けた。そして、次の瞬間、中の様子が目に飛び込んできた。出席者は総立ちになって、一人の倒れている人を見ている。そして、その人は……


 さっき見たイメージ通りの光景が目の前に広がっていた。


「いや、いや、いやー」


 叫び声が大広間に響き渡った。


 私はすぐさま駆け寄って、レオンハルト王太子を揺すぶった。


「ねえ、起きて、起きてください。私を一人にしないで、もう一人はいや、お願いだから、ねえ、お願い」


 私の大切な人がいなくなってしまう。激しい後悔が私を襲ってきた。こんなことになるなら、もっと必死に彼を止めればよかった。私のせいだ。私がダメだからこんなことになってしまった。次から次へと思いは浮かび、涙がとめどなくあふれてくる。


 すると、レオンハルトの手が動き、私の手をつかんだ。


「なんだよ。僕のことを信じるって言っていたのに」


「へっ」


 涙でびしょ濡れの私は、起き上がったレオンハルト殿下の顔を見た。


「あんまり泣かれると困るな。起き上がるタイミングを逃してしまったじゃないか」


 え、なに、どうして。???という顔をした私に、彼は少し微笑んだ。


「やあ、みなさん。どうもすいません。急にめまいがしたものですから。僕のことは気にしないで、また、楽しい会を再開しましょう」


 彼は服についた埃を払いながら立ち上がった。


「誰ですか、その女」


 声の方を見ると、黒いドレスを着た、とても美しいけど、凍えるような冷たい目つきをした中年の女性がいた。


「継母さん。彼女がユリアさんです。ローレンツ侯爵家の」


「そう、ローレンツの」


 彼女は私を下から上まで品定めするような目つきで見た後、フンという感じで横を向いた。


「王妃殿下、初めてお目にかかります。ユリア・ローレンツです」


「そう」


 彼女は返事をした先から、私に全く興味をなくしたかのように立ち去ろうとした。


「せっかくだから、彼女も参加していいよね、継母さん」


「勝手にしたら」


 王妃は吐き捨てるようにそう言った。


 ◇


 そして、皆がそれぞれ自分の席に着いた。レオンハルト殿下は主席に、その左に王妃ベルタ・ネッツァー、右に弟オスカー・ネッツァー。その後は地位の順番に整然と並んでいる。


 急遽、私の席を使用人たちが慌ただしく動いて、末席ではあるけれど特別に用意してくれた。


「それでは、みなさん、楽しい晩餐会を再開しましょうか。もう一度乾杯をします」


 皆は各々のグラスを掲げた。


「そうだ、そうだ。それにしても継母さん。ついに馬脚を現しましたね」


「何を突然」


「僕が倒れた時、とても、嬉しそうにしてましたね。僕は見ていましたよ。まるで、まんまと暗殺に成功したかのようなふうでした」


 皆がびっくりして、レオンハルト殿下の方を見た。彼は微笑んだままだ。


 王妃ベルタは表情を全く変えず、口元を少し歪めながらこういった。


「何をバカバカしい。冗談にしては言いすぎですよ。先ほど倒れたのも、まさか冗談のつもりだったのではないでしょうね」


「フッ。そうですか。もう後戻りはできないと言うことですね」


 レオンハルト殿下は一瞬暗い表情になったが、すぐに笑顔を取り戻した。


「さあ、では気を取り直して乾杯しますか。オスカー」


「はい、兄さん」


 第二王子オスカー・ネッツァーはまだ、少年のような顔立ちをしていた。兄を見て目をキラキラさせている。きっと母親のことは何一つ知らないのだろう。


「そうそう。継母さん。僕がたとえばイタズラで、あの騒動の最中に誰かのグラスと僕のグラスを取り替えていたら、どうします?」


 ベルタの顔はたちまち顔面蒼白になっていった。


「いえ、いえ冗談ですよ。ではあらためて乾杯しましょう。乾杯」


 レオンハルト王太子が高々とグラスを掲げ、乾杯の音頭を取る。皆がグラスに口をつけた時。


 ガシャーン。


 それは、王妃ベルタが、第二王子オスカーのグラスを叩き落とした音だった。

 皆の注目など全く気にならない様子で、はあはあと息をしている彼女に殿下が優しく声をかけた。


「もう終わりだね、継母さん。証拠は揃ってしまった」


「証拠? 何を根拠に言っているの」


「だって、オスカーのグラスに毒が入っているかもしれないって、考えていたのは継母さんだけなんだよ」


「ふ、ふふふ、ふふふふふ。そうかしら、でも、その肝心な証拠とやらはもう残っていないんじゃない」


 彼女は床に砕け散ったグラスをチラリと見たあと、挑むような目で殿下をにらみつけた。


「そうですか。でも、もし、本当はグラスを取り替えていなかったらどうします? そして、このグラスから毒が発見されたら……」


 ギョッとした顔でレオンハルト殿下を見るベルタ王妃。


「僕は、継母さんに愛してもらいたかっただけなんですよ。本当にそれだけだったのに」


 王太子レオンハルトは沈んだ顔をして、声を絞り出した。彼の紺色の瞳は、深い悲しみの色を湛えていた。


 ◇


 それから


グラスからは毒が見つかり、王妃ベルタは牢獄に入れられた。王太子は死罪を望んではいなかったので彼女は終身刑となった。第二王子オスカー・ネッツァーは王位継承権を剥奪され、公爵家の養子に入っている。


「王位継承権のことはしょうがないけど、オスカーならきっと一人前の貴族としてやっていけると思う。僕もフォローするしね。そして、誤った道に陥ってしまった継母さんも彼なら改心させられるかもしれない」


 前王は程なく亡くなり、レオンハルト殿下は王として忙しい毎日を送っていた。


「継母さんに協力してきた貴族たちはこれから厳しい処分を下すことになるかもしれない。でも、僕は、改心さえすれば有能な人材は引き上げていこうと思っているんだ。実際、彼女に逆らえない人もいたからね」


 私の元婚約者カールの実家、シュタイン家は、バリバリの王妃派だったので、お家断絶の危機にさらされていた。この前、カールが頭をこすりつけるように地面へ手をついて、しつこく泣きついてきたので、しょうがなくレオに話をしてみた。


「カール? 問題外だな。有能ならともかく、とんでもなく無能な男だよ。君を貶めるようなことをしたのも気に入らない。でも、まあ、そのおかげでこうして君と一緒にいれるのは確かだけど。本当なら、牢屋にぶち込んで一生強制労働させたい気分だ」


レオはその美しい顔をゆがませ、吐き捨てるようにそう言った。


 妹マリアンネは彼の実家が断絶しかかっているので、カールと別れたがっていたけど、妊娠してしまったため別れるに別れられないでいる。この間、実家に戻ってきて『話が違う、姉さんに騙された。本当のことを知っていればあんな奴を掴まされなかったのに』とか『今からでも姉さんにこいつを押し付けられないの、レオンハルト様こそ私に相応しいのに』とか、歯軋りしながら盛大に怒り狂っていたみたいだ。私はもう実家に戻っていないので詳しい事情はわからない。


「でさ、卒業までやっぱり待たなきゃダメかな」レオは私にそう言った。


 私の右手の薬指には宝石がちりばめられた指輪が光っている。そう、私は婚約したのだ。でも……


「あの、その話、前にもお話ししたはずですけど」


 ここは学校の食堂。テーブルにのっている皿の上の料理は食べやすいように一口サイズに準備されていて、レオが私にいつでも食べさせられることができるようになっている。周囲の人間はもう見慣れてしまって、誰も私たちを気に留めるものはいない。


「それに、私、もう右手は動きますから大丈夫です。それより、お仕事いそがしいんじゃなかったんですか?」


「いやいや、まだ、君の手の動きは十分じゃない。それに、君のためなら仕事なんてすぐに終わらせられるさ。それより、毎日僕がこうして学校にこなくちゃいけないのは、ユリアが悪いんだよ。だってさ、結婚式は学校を卒業してからなんていうから」


「せめて、その…… 人が見ていないところでお願いできたら嬉しいんですけど……」


「ああ、そうそう、今度、王国中の腕利きの職人を集めて、君のドレスを作らせるコンペを開こうと思うんだ」


「いえ、その、もう毎日着ても終わらないくらいドレスは持っています」


私はクローゼットにずらりと並んだドレスのことを思い浮かべた。それにアクセサリーや数々のプレゼントもすでにたくさんいただいている。


「ああ、楽しみだ。今度はどんな美しい君に会えるんだろう。そうそう、来月は避暑地にゆっくり二人っきりで旅行しようよ。君に見せたい場所があるんだ。あそこは料理も絶品で絶対に気に入ること間違いなし」


「あまり、私にお金を使いすぎないほうが……」


「何言っているんだい。ユリアのアドバイスで政治や経済改革をしたら、かなり予算も潤って、今、国中は未曾有の好景気になっているよ。ちょっとくらい君に予算を割いたって国民の中で不満を漏らす奴はいないだろう。貢献の大きさを考えるとまだまだ足りないくらいだ。それにしても君は能力もすごいけど、鋭い考え方や知識の豊富さにはあらためて驚いた」


「私はただ聞かれたことに答えていただけです。実際に現場では動いていません。それに、あまり贅沢したことがなかったので、なんだか落ち着かないんです」


「そうか? みんな絶賛していたぞ。国の宝だって。それはともかく、君の実家の奴らはひどいな。あとで制裁を……」


「それだけはやめてください」


 レオンハルト殿下はクールで知的だったはずだったのに、いったいどうしてこうなってしまったんだろう。私は恥ずかしさや戸惑いで、どうしていいか困惑している。彼は相変わらず美しい顔立ち、優しげな深い紺色の瞳で、私のことをうっとりと見つめていた。


 2


そして、私の頭の中にはもう、レオが私を溺愛するイメージしか見えてこない。

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