第15話  プロイセン代理公使ブラント・榎本軍の評判


十二月二十五日   

二月六日

     朝、柳川の親分の若頭武蔵がやって来た。武蔵が言うには游軍隊のアジト

     を見つけたということだ。親分が土方に伝えて来いと言ったので武蔵が 

     来たのだ。


武蔵   「土方総督、朝早くにすまねぇです。游軍隊のアジトを突き止めたんでご  

     報告に来やした。」

土方総督 「すまねぇな。アジトはどこなんだ。

武蔵   「地蔵町(現在の末広町・豊川町界隈)に石崎屋伝七っていう雑貨屋があり 

     やす。そこがアジトでさぁ。」

土方総督 「武蔵、親分によろしく伝えてくれ。ご苦労だった。」


     土方は、森・島田・角谷を呼んだ。


土方総督 「森君、島田君、角谷君、游軍隊のアジトが見つかった。柳川の親分が

     知らせてくれた。」

森常吉  「場所は。」

土方総督 「地蔵町の石崎屋伝七っていう雑貨屋だ。」

島田魁  「目と鼻の先じゃないですか。」

土方総督 「島田君、古参隊士を連れて伝七をとっ捕まえてきてくれ。」

島田魁  「京都を思い出しますね。私と角谷君と蟻通君それに若手五人ほど連れ

     ていきます。若手にも見せて置きたいので。」


     一時間ほどで島田は戻ってきた。


島田魁  「土方総督、アジトでしたよ。

     伝七は今取調室に連れて行きまし た。蟻通君と角谷君が取り調べをしま 

     す。 軍服五十二枚、提灯六十張、旗, 糧食、草鞋などを押収してきまし 

     た。隊士を変装させて見晴らせてます。」

土方総督 「ご苦労。あっ、それから蟻通君にあまり手荒なことはするなと伝えてく

     れ。」

      

土方の日記

      俺は今一度自分が考えて来たことを整理することにした。

      激戦が予想される方面の守備隊

      江差    

      一聯隊  松岡四郎次郎 四百

      松前   

      遊撃隊 伊庭八郎   百二十

      陸軍隊  春日左衛門  百六十

      有川・福島 

      津遊撃隊 諏訪常吉 七十

      額兵隊  星恂太郎 二百五十二

      彰義隊   百八十五

      計 千百八十七 

 

      箱館    

      新撰組 森常吉   百五十

      伝習士官隊 滝川充太郎 百六十  

      計 三百十


      どう考えても今まで考えてきた作戦に勝るものはねぇ。後は二股口で

      どう戦うかだが敵より早く陣地を取りをしなくちゃなんねぇ。台場山  

      を本陣にして天狗岳を前衛とする。

      間違いなく激しい銃撃戦になる。銃弾は四万発は必要だ。敵は千人規 

      模、見方はせいぜい三百。

      地の利を確保すること。銃弾除けを強固なものにさせる。二股口を最  

      低でも四週間は守る。

      その為には兵一人に二丁銃を持たせる。三百人で六百丁。銃があるか 

      は五稜郭に確認する。

      ただ撃ちまくればいいってもんじ ゃねぇ。各小隊長に効果的な射撃を 

      考えさせる。一月十日の訓練で考えさせる。どっちにしてもこの方面は 

      最低でも五月中旬までは死守しなくちゃなんねぇ。

      弁天岬台場に増員させるべきか、自由に動ける部隊を作った方がいい 

      か。どうする。  

      敵がいつ寒川に上陸してくるかだ。 俺は二股口にいる。同時に攻めら 

      れたらどうにもならねぇ。

      だが敵将なら多方面同時攻撃を仕掛ける。だか、敵は第一陣を上陸さ  

      せながら艦砲射撃をしてくる。

      敵艦何隻かはそのまま江差・松前沖に残って陸上の援護射撃をするだろ  

      う。残りの船は第二陣を運ぶためにすべて青森に戻るはずだ。だから寒 

      川への上陸は遅れるとすれば俺は五稜郭に戻ってこれる。

      どうにもならなくなったら二股口は滝川君に任すしかねぇ。

      よし、整理がついてきた。俺は五稜郭に戻ったら自由に動ける一隊を 

      もって動き回る。


      あまり知られていない奥羽越列藩同盟諸藩とプロイセンドイツ帝国の

      首相ビスマルクに送った代理公使ブラントの報告書

      蝦夷の気候は北ドイツと似ており、 米・トウモロコシ・ジャガイ 

      モ、あらゆる農作物が作られている。

      百五十万人のドイツ移民を受け入れることが出来るでしょう。蝦夷 

      こそが植民地にふさわしいと申し上ます。こう報告している。

      新興国のプロイセンはイギリスなどの大国と同等に扱われることを望 

      み、その為には東アジアで利権を持つことが必要不可欠と考えた。プロ 

      イセンにとって戊辰戦争はまさに絶好の機会。この時代、大国として扱 

      われたいのであれば植民地を望むのは当然のことでありプロイセンにと 

      ってこの計画は達成すべきものだった。

      巧妙な手口で奥羽越列藩同盟諸藩に近づいた。

      現在保管されているドイツ連邦文書館にある資料には北海道地図があ  

      り細かく色分けされている。

      青色で塗り分けられた個所を会津藩の管理地域とある。

      ただし、これはあくまで代理公使ブラントが勝手に書いたもの。

      この当時、プロイセンの一商人が東北諸藩にエンフィールド銃五千丁と  

      軍需物資を撃売った記録が残っています。

      当時、日本にあったガトリング砲は三台、そのうちの二台が東北諸藩  

      にわたっていた。

      プロイセンは会津藩・庄内藩に多額の軍資金を課す代わりに蝦夷地の権  

      利を譲り受けようと目論んでいた。それに危機感を持ったのがイギス 

      だった。

      イギリス公使パークスは部下の外交官アーネスト・サトウに新政府と 

      の交渉を命じた。

      アーネスト・サトウは新政府に対して新潟港を閉鎖してくれたら局外中 

      立を撤廃し、新政府に全面協力すると持ち掛けた。新政府は明治元年 

      九月に新潟港を封鎖し電撃的に上陸し列藩同盟の守備隊を壊滅した。 

      会津藩の降伏は二か月後の十一月六日。

      榎本はこれらプロイセンの動向をどこまで知っていたのかわからないま 

      ま蝦夷地に向かった。


      榎本政権が箱館を統治してから行った悪政とは

      榎本軍は上陸早々すでに軍資金に事欠いており、「笱生日記」の十一 

      月十日の項に総額一万両の臨時御用金と称して納めさせている。

      賭博場からは仕入金と称して徴収した。

      場所請負人からは年二回の運用金の一括前納を命た。

      八幡宮や神明宮などの縁日祭礼の物売りや見世物小屋からは売上(代金 

      の一割五分)を上納させた。

      市中の後家・小宿・居酒屋・屋台等の密売女から切手(営業鑑札)を発行 

      して運上(一人前つき一両二朱)を取った。

      榎本政権は独自の二分金と一朱銀(私鋳金)を造りそれで買い物するよう 

      市中に命じた。

      箱館市中を混乱させた。この粗雑な私鋳金は四万両も造られた。

      箱館湾から大森浜までの約一キロに策を築き一本木関門を設置し、通 

      行人改めと称して書付のない者は一本木の町代笹屋方で書付(一枚二十 

      四文)を買わなければ通行できないようにした。

      このころの榎本軍兵士の行動というと、酒浸りで金銀を湯水のように 

      使ったり、市中でゆすりたかり、妓楼に入り浸っての女遊びの数々。

      市中の店に行って金を借りに行った彰義隊士佐野豊次郎は慚愧悔悟して  

      自刀したことなどが書かれている。

      箱館市中の民にとって榎本軍は悪そのものだったと言ってよい。


十二月二十六日

二月七日

     この日、土方は中島三郎助と森常吉を伴って柳川熊吉宅を訪ねた。箱館市 

     中での榎本軍の評判が日に日に悪くなっている様なのでその実態を聞きた 

     かった。

土方総督  「親分さんはいるかい。」

柳川熊吉  「土方先生、よう来なさった。どうぞ中に入ってくだせぇ。」

土方総督  「親分、以前話をした千代ヶ岡台場の中島三郎助殿だ。」

中島三郎助 「中島です。柳川殿のことは土方総督から伺っております。本当にありが 

     とうございます。」

柳川熊吉  「土方先生、今日は柳川鍋を食っていって下さいよ。ちょっこら準備し

     てきます。」


     熊吉は部屋を出て子分にいろいろ指示を出している。小気味のいい親分  

     だ。子分達もきびきび動いている

     その間、土方は新撰組隊長森常吉に親分に頼んだ内容を聞かせた。森は 

     感動している。森も会津の惨状を見ている。


森常吉   「これで思い切り戦えます。安心して死ねますよ。」

中島三郎助 「森君、体の方はどうなんだい。七重峠下の戦いでの傷のことだよ。森 

     君も鳥羽伏見から始まったこの戦、戦い抜いてきたんだ、松平定敬様の 

     為にも死んじゃいけませんよ。」


     新撰組森常吉隊長は桑名藩主松平定敬の京都所司代に就任に従い主席公 

     用人となった。鳥羽伏見の戦いで敗れたのち森は彰義隊に属した。さら

     に藩主の逃げた仙台へ転じ、蝦夷地に渡る藩主に同行するために他の藩士 

     と共に新撰組隊士になった。明治二年初め森は新撰組の取締役改役に任 

     命される。

     弁天岬台場、箱館山、箱館市中を守備したが弁天岬台場に籠城、降伏す 

     る。戦争終結後に投獄、その後桑名藩に引き渡されるが同藩交戦派の全 

     責任を負って切腹を申し付けられる。享年四十四歳。


     柳川熊吉が戻ってきた。


柳川熊吉  「今、用意させています。ところで今日はどのようなご用件でいらした 

     んです。」

土方総督  「榎本軍が蝦夷地制定を宣言してからいろいろな政策を打ち出し始めて

     ている。市中の 評判は悪いと聞いている。親分、実際どうなんだい。

     教えてくんねぇか。」

     「森君、親分がこれから言ってくれ話を今後の市中見回りに役立てるん

     だ。」

森常吉   「もちろんです。親分さんどんなことでも言ってください。お願いしま

     す。」

柳川熊吉  「市中の案じているのは、榎本軍は箱館に上陸した時点ですでに軍資金 

     が底をついていると。そうじゃなければ豪商から一万両もの大金を取り  

     立てないだろうと。それから限りのいろんなものに税を課して取り立て 

     る。

     戦が長引けばさらに税を重くするに決まっている。一刻も早く榎本軍を滅 

     ぼしてもらいたい。

     それと、弁天岬台場から五稜郭に暮らしている者は家を焼かれたりひどい 

     目に合うのは必然だと囁いていますよ。これらは遊軍隊が先導していま 

     す。土方先生、正直あっしらも被害者だ。出店・屋台にも税をかけるわ、 

     博奕場でも税を課す。女郎にも毎月税をかけている。毎月一両二朱もの金 

     を取られたら女郎は立ち行かねぇよ。」

     「それに私鋳金とやらはいけねぇ。質の悪い金を使ってこれを使えなんて 

     聞いたことがねぇですよ。」

森常吉   「親分さん、どの隊が評判悪いんでしょうか。」

柳川熊吉  「派手に遊んでいるのは彰義隊だって聞いている、女郎屋通いがもとで 

     腹切ったっていう隊士がいたと言っていたね。それに士官以上の隊士には 

     給金が出ていねぇって、それで商売している店先で金をせびる奴がいるっ

     て子分が言ってたよ。」                    

土方総督  「親分、ありがとぅよ。」

柳川熊吉  「土方先生、言い出したらきりがねぇくらいあるんだよ。市中取り締ま

     りを厳しくしてくんねぇかぃ。」

土方総督  「親分、分かった約束するよ。」

柳川熊吉  「じゃぁ、この話はこれまででいいですね。柳川鍋と行きましょう 

      や。」


      子分達が柳川鍋の用意をしに部屋に入ってきた。

      江戸で食った柳川鍋より旨かった。


土方の日記

     新選組の局中法度を榎本軍に使うか。そうでもしない限りこの状況はさ 

     らに悪くなる。

     榎本に言ってみるか。

     後は、游軍隊を根絶やしにしなく ちゃならねぇ。

     明日、榎本に会いに行く。その前 に弁天台場だ。

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