第8話 土方歳三と中島三郎助
十二月十六日
一月二十八日
午前九時、土方は新撰組隊士大野右仲と島田魁を伴って千代ヶ岡
陣屋の中島三郎助を訪ねた。
中島三郎助は、主だった家臣と大玄関の前で待っていた。
土方歳三 「中島殿、出迎え恐縮です。」
中島三郎助「雪の中、よく来て下さった。さっ中へ。」
土方一行が通された部屋は二十畳ほどの部屋で薪が燃えて暖かくなって
いた。
中島三郎助「私も土方殿にお会いしたかったんです。部下を同席してもよろしいでし
ょうか。」
土方歳三 「どうぞ、右にいるのが大野右仲、左が島田魁です。今後大切な連絡の際
はこの両名のいずれが対応させていただきます。」
中島三郎助「どうぞよろしく頼みます。後ろに控えておるのは、息子の恒太郎、
英次郎、そして柴田伸介、朝夷三郎です。」
土方歳三 「中島殿、早速ですが貴殿は榎本武揚と親交があったと聞いています。
どのような男なんでしょうか。」
中島三郎助「土方殿が榎本殿のことを聞くだろうことは想定していました。榎本殿は
変わられたように思います。長崎海軍伝習所時代は明るく物腰の柔らか
い人でした。勤勉家で私も週に一度語学を習っていた時期がありました。
しかし留学から帰ってきて日本そして徳川の現状を目の当たりにして彼
に何がとりついたように見えました。狂気的というのじゃありません。
絶望感と焦りが入り混じった様な言動が多くなった。慶喜公はじめ重役
の方々に対して強硬論をぶつけていたと聞いています。
言葉は悪いですが当時彼は「浦島太郎」状態だったんでしょう。
新撰組ができる前に彼は留学しました。この六・七年で日本は大きく
変わったではありませんか。渦中にいる我々でさえ徳川の時代が終焉を
迎えるなぞ想像できなかったではありませんか。榎本殿も留学先で
多少のことは聞いていたかもしれませんが見ると聞くでは大違いです。
徳川が潰れたら苦労に苦労を重ねて身に着けた知識やもろもろの事が
無に帰す、彼にはあってはならないことでしょう。屋台骨(徳川家)
が消滅する、だから強硬論を吐く。勝海舟殿からも徳川の世は終わりだ
と諭される。彼もあきらめたんじゃないでしょうか。そこから彼は寡黙
になったようです。己のやりたいことをどう実現させるのか、その一点突
破だったんではないでしょうか。
榎本殿は大鳥殿、松平太郎殿と一時期蝦夷地で共に働いた時期があっ
た。三人でこれからの徳川がどうなるのか、薩長が創る新しい世の中と
はなどを語り合ったんじゃないでしょうか。」
柴田伸助は「今日の中島様はよく喋られる。滅多にないことだ。よほど
土方殿を気に入られたのではないか」そんなことを考えていた。
中島三郎助「そこで考え付いたのが、徳川が七十万石に減俸されて路頭に迷うだろ
う家臣を蝦夷地開拓に役立てる。また、諸外国の侵略の守備に充てる。
これで大義名分が立つ。榎本殿は幕府海軍副総裁船さえ手に入れば蝦夷
地に行けると。」
土方歳三 「中島殿、俺は榎本のことは何も知らない。しかし貴殿が話してくださっ
た話は合点が行く。
ここにいる連中が見ようとしている未来と榎本が見ようとしている未来
は違う。初めて会った時からしっくりしなかった。そういう意味では大
鳥も同類だと思っています。」
中島三郎助「大鳥殿の名前が出ましたので申し上げるが、彼は戦が下手だと言われて
います。」
土方歳三 「中島殿、大鳥のことは聞いていますよ。」
「ところで、今日入札で榎本、松平、永井、大鳥上に並んだ。戦を知ら
ない者と戦が下手な者達が指導者になる。やりにくいなぁ、
中島さん。」
中島三郎助「土方殿、此度の戦、勝てると思いか。」
中島三郎助は静かにそう言った。土方は中島恒太郎、英次郎、柴田伸
助、朝夷三郎の顔を見た。中島三郎助は目を閉じている。
皆、一点の曇りもない落ち着いた顔をしている。
土方歳三 「英次郎、君は此度の戦勝てると思うか。」
中島英次郎「土方先生、父も兄も柴田の爺様も勝ち負けはどうでもいいのです。大義
の為に戦をしに蝦夷に来ました。」
英次郎は気負った風もなく静かな物言いでそう言った。市村鉄之助と
同年代だろうと土方は思った。
千代ヶ岡台場は最後まで戦い抜くんだろうと確信を持った。
土方歳三 「英次郎、大義の為に共に戦おう。」
「話は変わりますが、海軍は大夫ですか。過ぎてしまったことを言っても
仕方がないが、制海権をどう思われる。」
中島助三郎「土方殿、開陽は幕府にとって否、日本国において最新鋭艦です。砲三十
五門は脅威そのものです。
弐番艦の回天でさえ砲十三門でそその開陽が沈没したと聞いた時私は、
此度の戦は終わったと思いました。制海権は薩長が断然有利です。海軍の
兵士で開陽が沈没するなど考える者など誰一人といなかったでしょう
な。開陽は浮沈艦のはずだったんですよ。私は開陽が、松前・江差に行
く時、猛反対したのですが、榎本殿は海軍に手柄を立てさせたいあまり
決行したのです。荒井、大鳥等が同調しした、見え見えでした。開陽は
決戦まで大切にしておかなければならなかった。本来なら榎本家はお家断
絶、榎本殿は切腹です。
それでも足りないことを仕出かしたのです。軽率な男と言わざるを得ませ
んな。」
中島三郎助は本当に無念という声で吐き捨てるようにつぶやいた。
土方は、中島三郎助はこの千代ヶ岡で見事な最期を遂げると確信した。
近いうちに会うということで陣屋を後にした。門には、浦賀から中島
三郎助に付き従って来た五十名近い部下達が見送ってくれた。
中島三郎助の人となりが分かる。
土方の日記
三十四年の人生であのような人に会ったことはない。
生きては帰れない箱館に中島を慕って浦賀からついてきた五十人もの
侍達。中島という男の魅力が今日の話し合いで分かったような気がし
た。徳川の大恩に報いる、途轍もなく純 粋な連通じゃねぇか。
大野右仲がぽつんと言っていた。 「あの親子は見事なくらい死ぬ覚悟が
出来ている。」と。
島田魁は、「中島殿の話をもっとお聞きしたかったです。気持ちが
シャキッとします。」と。
榎本のような男もいれば中島殿のような男もいる。何故か伊庭八郎のこ
とを思い出した。
伊庭八郎は、二十四歳。心形刀流 宗家(御徒町の練武館)の長男として
生れた。県道を始めたのは遅かったが次第に頭角を現して「伊庭の小天
狗」「伊庭の麒麟児」など言われた。二十歳の時、剣客五十名の一人と
して奥詰隊(将軍警護)に加わった。講武館の教授方になった。億詰隊が
改変され遊撃隊二番隊長になる。
小田原藩兵と箱根山崎の戦で足に被弾。さらに左手首を皮一枚を残して
切られた。品川沖から仙台に行く美香保丸に乗船。
その美香保丸が沈没。
今頃は本山小太郎と函館に向かっている頃だろう。
伊庭八郎も中島三郎助と似た侍のような気がする。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます