第17話 黄色い蝶

 17.黄色の蝶

 

「今夜は黄色の蝶が舞っている」

 蝶などは見当たらない。望の腕の中で夜空を見た

「おぬしも酔っているのか?蝶など有らぬぞ」

 望は冗談を言っている顔をしていなかった。望は周りの景色を見渡した後、何かを思い出したように聞いてきた

 

「姫様の家の家紋は四角が4つの模様ではないでしょうか?」

 突然何を言うかと思ったが、望の話に付き合うことにした

「そうじゃ、詳しいのぉ」

「立派なお家柄でございます」

「左様か、して、何が申したい。苦しゅうない申せ」

「蝶のことにございます。姫様は吾妻鏡をご覧になったことはございますか」

「日本史の教科書にあったな」

「では、平家物語をご覧になったことはございますか」

「古典の教科書にあったな。

 勿体ぶるでない。有り体に申せ」

「平将門の反乱の折、奥羽藤原の反乱の折、大量の黄色き蝶が予兆を知らせたとあります。あの小夜なる女、将門を討った俵藤太の本流の末裔にございます」

 

「妾は気分が悪くなった。何か飲みものを召せ」

 望は歩道に私を下ろすと微笑んで

「酔冷ましにまた、アルヌールに行きますか」

「歩くのは難儀じゃ、おんぶ致せ」

 望は直ぐにひざをアスファルトにつけて背中を

「姫様どうぞ」

 

 断られる想定だったが、今更後には引けない。私を見る通行人の視線が痛い。恥ずかしいが、泥酔して忘れた設定にすればいい。自分が自分ではない設定ならば気が楽だ

「ふむ、良い心掛けじゃ。褒めて遣わす」

「勿体ない、お言葉にございます。

 ところで姫様、いつまで時代劇調の喋り方を続ければよろしいでしょうか」

「妾が飽きるまでじゃ」

「御意にございます」

 反論されるかと思ったが、そんな気配はなかった

 

「姫様、苦しくないですか。もっとゆるりと歩きましょうか?」

「苦しゅうないぞ、善きに計らえ」

「御意にございます。何かありましたら何なりとお申し付け下さい」

「飽きた。望が言いなりでつまんない」

 望の顔が見られないのが辛い。望の心が読めない

「僕は容姿が人に劣っているので、こういうところはきっちりやりますよ。無念無想。迷いがあったら女性に失礼だ」

「余程、碧さん奪われてた事が悔しかったのね」

「言わないで〜」

 戯けて望は答えた。私がそんなことを言われたら相手を恨む筈である。望がいいなりすぎてつまらないのである。少なくとも望にはいいなりにさせることを望んでいない。理由は分からない

 

「過去は戻って来ないもんね」

 もっと気の利いた返答が瞬時に思いつかない

「かわいくて、頭が良い菫さんでも過去に後悔することあるんだね」

「そりゃそうよ、一番は高校時代かな」

「2年前の菫さんでもお姫様抱っこする自信があったな」

 望の頭を小突いた

「菫さんは過去に戻ってやり直したいと思う事がある?」

「う~ん。望や有美さんにだったら”思ったことはない”って正直に答えるだろうな」

 望の言葉の意味を誤解していたようだ。望は決して私の体重のことを言っているのではない

 

「望、酔っていてゴメン」

「僕もやり直したいことなんて思ったことなかったけど、さっきそんな欲望が僅かながら過った」

「さっき?」

「ああ、小夜さんと話をするんじゃなかったって思いました」

「なんで」

「黄色の蝶が舞っているんだよ」

 先ほどの繰り返しになるので話題を変えた


「ねえ望、名探偵ビオラが望が今、何を考えているか当てようか」

「名探偵の肩書きで?」

「そうよ」

「名探偵の肩書きを汚すわけにいかないので、今思っていることでいいよ」

「じゃあ、有美さんのこと考えているんだ」

「そう来たか。実は菫さんが酔っ払っているから、お尻に手を伸ばしても怒られないかなって考えていた」

 私の貧相な胸を望の背中に押し当てた

「わぁお~」

 望はいやらしい声を上げた

 

「ねえ、私の右胸と左胸のどっちが好き?」

「観測していないので判断が出来ないな」

 望の頭を小突いて

「調子に乗るな!」

「今日死んでしまっても悔いは無いな」

 

「小夜と確率の話をしていたみたいだけど」

「がっかりしたな、小夜さんの量子力学の認識は確率なんだ。それじゃアインシュタインと一緒じゃないか」

 有美との会話の中で望がアインシュタインに好意を持っていないことは感じていた

「アインシュタインが嫌いみたいね」

「ああ、資本主義と共産主義の広告塔として利用された適応障害者というのが有美さんと僕の共通見解。人には言わないけどね。有美さんから”電磁誘導”を解説してもらうまでは、アインシュタインはペテン師だと思っていたくらいだからね」

 こんな感情的な言葉で話す望は今日の会話の中で初めてである

「なんでそんなに嫌いなの」

「慣性運動上における相対性理論はほぼローレンツ博士の実績じゃないか。社会的事情で担ぎ上げられた科学者をマスコミは天才として維持させつづけた。発言力のある老紳士ほど厄介な者は無いさ…それは建前で、中学校の時嫌いな先生がアインシュタインの顔に似ていたからかな」

 

「ふふふ、子供みたいね」

「おかしいな、少年の心を持った男の子はモテモテだと聞いたけど、菫さんには当てはまらないみたいだね」

「モテモテといえば、奈緒が望のこと好きだっていっていたじゃない。惜しいことしたね」

 

「名探偵は言葉巧みに僕の心を探るね。途中から奈緒様に振り向かない奴が気に入らなくなったんだろう」

「で、実際はどうだったの、デートに誘えば断らなかったんじゃない?」

「髪型を変えたら考えたかな」

 望が化学薬品過敏症であることを思い出した

 

「私の髪の薫りも辛い?」

「回答に困るね。でも今突然、世界が終わったとしたらこんな仕合わせな結末は願ってもないことだ。だって子供の頃憧れていた人とそっくりな人をおんぶしているのだから」

「忘れていたくせに。それに私は贋作ってことね」

「贋作か。マンガの登場人物のいやらしい場面に発情する感じに似ているかな」

「何よ、その例え」

 

「例えば奈緒さんが好きで、雑誌のグラビアで奈緒さんの体型に似た人がいて欲情した場合、奈緒さんを思って欲情しているのか、グラビアの女性で欲情しているのかって話」

「シュレーディンガーの猫みたいな話ね。大分下品だけど」

「アニメ化されていないマンガの登場人物だったら、声優さんもいないので生身の人間につながらない映像に欲情している訳だ。それは生き物としてどうかと考える」

「でもそれは認識の中にある女性像が偶像化されて欲情しているんじゃない?」

 

「ぼくは菫さんしか意識していないよ。小学生の気持ちや女性感のままなんてあり得ない。残念ながら小夜さんはこういう事象を確率で考えようとするのだ。そして幻滅したんだ。グラビア30%、奈緒70%みたいな確率で成り立っているって考え方なんだ。僕の考え方と違う」

「望はどう考えるの?」

「ミキちゃんはきっかけに過ぎない。もし、菫さんが花散里みたいな容姿でもきっと今の気持ちは変わらない」

 ”今の気持ちは?”と聞きたかったが止めた

「どうだか?」

「経験上、自分がかわいくないと思っている女性に声を掛けるのはエネルギーを大量消費するよ。知恵が回る女性ならば、自分に声を掛けられるのはおかしいって考えるからね。きっとそいつは自分の資源を奪う侵略者だと考えるみたい。菫さんが花散里みたいな顔をしていたらきっとそう思うはずだよ」

 望の言っていることは太っていた頃の自分に重なった。それに自分の超・聴覚能力で知ってしまった人間の闇の部分、私は望の言葉を疑いたくなかった。たとえそれが欺瞞であったとしても。

 なんと答えていいか分からない。黙っていると望が声をかけた

「美人に生まれるってのも大変なんでしょう」

 

 望の首に腕を回した

「望の髪の匂い独特ね」

「外国製のものなんだけどね、これは病気がでないんだ。まあ、使い始め1週間は馴らしに使ったけど」

「なんてシャンプー」

「ハットトリックっていうんだ」

「ハットトリック?ああクリケットの言葉ね。そうするとUK製?」

「ああ、マクスウエル博士と同じスコットランド産だって」

「ふふふ、マクスウエルの魔物ね。剛速球を投げる人」

「Demon bowlerか。菫さんは色々なことを知っているんだね。さっきのモンテカルロ法を知っているのは驚いたよ」

「偶然読んだだけよ」

「ゲーム理論なんて偶然は読まないでしょう。

 頭の良い女性って生きづらいよね。菫さんだけじゃなく、有美さんも紫さんもそうだった。人間には嫉妬という要素が構造上組み込まれているからね。菫さんも相当苦労してきたんでしょう」

「”分かったような口利かないで”って言いたいところだけど、有美さんや紫さんの名前が出てくるならばそれは言えないね」

「小夜さんも頭が良くて生きづらい生活をしていると思ったのだけどね。小夜さんの場合それ以前の問題だった」

 私はそれ以上深追いしなかった


「お父さんの背中みたい」

「頼りない背中で申し訳ない」

「子供の頃、私の話に何でも答えてくれた。どんな質問をしてもわくわくするような答えをくれた。私はお父さんが答えられないような質問をしても必ず答えてくれた。そしていつか眠りについてしまった」

「いい話だね。菫さんの質問に答えられるなんてお父さんも教養のある人だったんだね」

「望も私の質問に答えてくれる?」

「いいけど、寝ちゃダメだぞ。寝たら菫さんを襲うから」

「じゃ、寝ちゃおっかな」

 望は足を止めた

「菫さん。独り言だから聞き流してほしい。

 僕は今日菫さんと話して菫さんのことが好きになった。

 何も言わず。江ノ島に行く日まで待って欲しい。

 僕はね。菫さんのことが誰より優先したい人なんだ

 小夜さんのことを片付けなければならない」


 酔っているから気が楽だ

「望、独り言だから聞き流してほしい。

 私に相談して欲しい

 私を頼ってほしい」

「菫さんは小夜さんに係わってはいけない。

 いや係わるべきではない。小夜さんは例えれば呪いや祟りみたいなもんだ

 触らぬ神に祟りなし。菫さんは係わっちゃダメだ

 というのが、僕の見立てだ。手に負えなければ江ノ島に行ったとき相談するから、まずは某が抑えてまいります。だからこのことは命令しないで欲しい」

 

 数時間ぶりにアルヌールに到着した

「どうする?このまま入る」

「下りるぞ、大義であった」

 望の腕に手を回したてアルヌールに入った。アルバイトだろうか、高校生らしい男のウエイターが不機嫌そうな顔で席を案内した

「俺もあんなかわいい娘と腕組んで喫茶店に行きたいって顔をしていたぜ」

「性格悪っ!」

「仕事と心情は別にしないとダメだと思う。美人と一緒にいると結構な頻度でああいう顔をされる。紫さんや有美さんと一緒にいるときも野郎どもにああいう顔をされる」

「人ってどうして嫉妬するのかな」

「マクスウエル分布を理解していないんだろうな。世の中は平等であるべきと勘違いしているからじゃないか」

「それ私用でしょう。奈緒と一緒ならばどういう?」

 望は顎に手を当てて考えた

 

「そうだな、神様はサイコロを振って未来を決めないっていうかな」

 この言葉は知っているアインシュタインの言葉だ

「望は決してそういうこと言わないよね」

「そうだね、菫さんや有美さんになら”神様が世界をどうするかについて人間如きが注文すべきではない”って言うだろうな。そもそもウチは仏教だから”神様は人間の幸不幸に係わっていない”って言う発想ですし」

 

 望の回りくどい言い回しだが、奈緒と2人で出かけることはあり得ないということを言っているのだろう

「私が12時までのシンデレラだから持ち上げている?」

「奈緒の使っている香水は拷問だ。基本的に僕から髪の毛が長い人に声を掛けることはないよ」

 

「量子さんはどういう髪型だったの」

「ごめんなさい、ミディアムでした」

 2人で笑った。

  

 その後は、大学に入る前の話や趣味の話をした。望は聞き上手な上にお酒も入っていたので気持ちよく話せた

 

「ねえ、望。誰にも言っていない望の秘密を教えてよ」

 12時までのシンデレラは欲張りな質問をしてみた。”ないよ”と言われると思ったが意外な答えが返ってきた

「聞いて、後悔しない?」

 これは断る口実だと思ったので気軽に答えた

「後悔する質問はしないって」

 望は周りを見回した後、私を凝視した。

 <つづく>

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