第3話 嘘の代償

 嘘の代償


 それにしても、有美が言った”彼女も生きづらさを感じている”という言葉はこの上ない感動を与えてくれた。幸い望は私に対して好意的だ。まあ、奈緒や有美が一目を置く望ならば親しくしても損はないと思った。

 いや、これは言い訳だ。今朝あの夢を見て泣いているのが私の本心だ。”右翼の魔女”と呼ばれる彼女は私と同じような孤独を抱えている筈だ。そして、有美が望と笑顔で話していることが羨ましい。今まで誰にも話せなかった私の話を2人に聞いて欲しい。

 ずっと独りで解決してきた話を。

 

「望と話したことあるの?」

 奈緒の声には怒りが宿っていることが解る。辻褄の合う話を作ることにした

「試験中、帰りの電車で偶然一緒になって、話しかけられたのぉ~」

「何て?」

「奈緒ちゃんが聞くんだねぇ~」

 奈緒が動揺していることが解った

「あいつ、小夜から菫に乗り換えたな。口説かれたのか?」

 私は奈緒の恋敵に昇格したようだ。有美がいなければ引き下がるところだが、折角の好機を逃したくない。今、望が有美にしている話をしたことにしよう

「昔、声かけた人が私と感じが似ているんだってぇ~」

「望め、見え見えの下心出しやがって」

「菫ちゃん、かわいいからよく男の子に声掛けられるんだよぉ~別に気にしていないから安心してぇ~」

 奈緒は怒った顔で

「自分でかわいいって言うか?」

「ううん、声掛ける男の子がみんな言うから、そうななのかなぁ~って」

「望も言ったのか?」

「う~ん、どうだったかな。そういえば”高嶺の花”って言ったかなぁ~

 あれれぇ~もしかして奈緒ちゃん望君のこと・・・」

「んな訳あるか!」

 奈緒に怒鳴られた。しかし幾分言葉が柔らかになった気もする

「望の奴、一途に見えて結構プレイボーイだな。危うく信頼するところだった。小夜も迷っていたのだが、やはりあいつは曲者だな」

 望に申し訳ない気分になった。私の嘘で奈緒と小夜の印象を著しく落としてしまったようだ。黙っていた小夜が口を開いた

「なんか、さっぱりしたというか、残念というか複雑な感じ、大抵の男は浮気するからね。結局、私みたいなブスは1番にはなれないよね」

 小夜の言葉が突き刺さる。どうも私は取り返しの付かないことをしてしまったようだ

「いや、いや、違うよ~、望君は私が暇そうだから声かけただけだよ、今でも小夜ちゃんのこと見ているじゃない、ただの昔話だと思うよぉ~」

 小夜が冷ややかな声で

「菫さんももう毒を喰らっているね」

 小夜の客観的な口調に複雑な三角関係が存在することを察した

 奈緒は顎に手を当てながらしっかりした口調で、

「あの野郎、今日の飲み会でしっかり追求してやる」

 

 救いの女神が舞い降りた

「奈緒、小夜助けてよ。前期試験でコケたから後期で挽回しなくちゃならない」

 倫子が授業で分からなかったところを聞きに来た

「しょうがないわね、次の授業一緒だったね、ここで教科書を開けないから先に教室行って説明してやるよ」

「奈緒様〜小夜様~留年したら私に莫大な投資をした両親に勘当されるよぉ~」

 どうやら倫子は私の真似をしているようだ

「はいはい、泣かない泣かない

菫は違う授業だったね、今日の飲み会、くれぐれも逃げないように」

 私はうどんの麺をすくって口に運んだ。冷たいなとため息をついて洗い場にどんぶりを運んだ。私は”右翼の魔女”の言葉に従うことを決心した。

 

「あのショートカットのどこがいいか言え」

「有美さんがこっそり僕とデートしてくれたら言います」

「チョロいな、いつにする?」

「誘わないこと分かってて言うんだから、酷いな」

「あれ、ポニーテールがこっちに来るぞ」

 

 耳が良すぎることは、市井の人々と同じ感性でいられるのは無理ではないかと思うことがしばしばある。侘び・寂びの感性が麻痺してしまったとでも言おうか、でも、少なくとも今日は役に立っている。

「望くん、話良いかな?」

 私は勇気を持って切り出した。一般女性ならばもっと緊張するだろうが、望が私に敵意を持っていないことは超・聴覚能力で確認済みである

「高嶺の花が向こうから来たぞ」

 有美がからかう

「構わないよ、それにしても、菫さんの今日の髪、素敵だね。こんなに手入れしている髪、写真でしか見たことがない。玄人の髪だ」

 望は有美の言葉に否定しなかった。大抵の男は”高嶺の花”の否定から入る。髪の毛をこんなふうに褒めてくれたことは嬉しい。朝の苦労が全て報われたようで気分が良くなった。そういえば、望も有美の彼氏の渉も写真部だった

「お願いがあるの」

 望は笑顔で

「菫さんのお願いなら、御両親に会う位までは無条件対応するぞ」

 私の瞳から熱いものが流れた。どうして泣いたのか私には分からなかった

「ごめん、親御様を亡くされているのか、申し訳ない。不用意なこと言ってしまって」

 望は直ぐに謝罪の言葉を言った

「アインシュタインをペテン師と言った女泣かせの望、私は席、外すな」

 有美も気を使った

「有美さん、一緒に聞いてほしいです。それと私の両親は健在です」

 望は笑顔に戻って

「今日の菫さんはいつもと喋り方が違うね。まあ立ち話も何だから座んなよ」

 望はティッシュをくれた。私は腰をおろして望の好意に甘えた。緊張しているのだろう。いつもの喋り方も出来ずにいる。

「お願いって?」

 落ち着いたところで望が聞いてきた。喋り方が違う所には触れなかった

「奈緒さんと小夜さんに嘘ついてしまって、嘘の裏口を合わせてほしいの」

 望は笑顔で

「いいよ、小学校の学芸会の演劇を思い出すな、あの頃デブだったからたいした、役をもらえなかったけど。

まあ、僕の話はどうでもいいね、で、どんな設定」

 望も昔は太っていたのだと思った

「いいの?」

 望は表情を固くして

「もしかして、からかいに来たの?

まあ、かわいい菫さんにこんな手の込んだ仕込みされたら、むしろ興奮するけどね」

「ごめん、すんなり了解してくれたので面食らったんだ」

 有美が笑って

「高嶺の花に頼まれちゃ断らないわよね」

「私なんか…」

 望は笑って

「私なんか何だよ」

 躊躇なくはっきり言った

「私なんか有美さんには遠く及ばない」

 有美は笑って

「当然よ、でも望はあなたのお願いなら断らないわ」

 望は笑顔を絶やさず

「流石に、ここで死んでと言われたら断るよ。ここで裸になれと言われたら、ギリギリやるかな」

望がズボンに手を掛けると、有美が望の頭を小突いた

「どうして?私のお願いをそんなに簡単に聞くの?」

「それを聞く?・・・う~んと、菫さんは何て答えると一番喜んでくれるかな?」

 私は望に何を言ってもらいたいのだろうと自問自答した。望は私の顔を凝視している。心を読み取ろうとしているのだろうか?望はずっと笑顔のまま

「そんなつまらないことを考えなさんな。昼休み終わっちゃうよ」

 有美が口を挟んだ

「菫さん、裏口を合わせるのは恋愛系の話?」

 私は黙って頷いた。今度は有美が質問してきた

「なあ、菫さん。あのおっぱいのでかい女、望のことをどう思っていると見ている?」

 有美が頭脳明晰なことは知っている。下手に気を回しても意味がないと思った

「奈緒ちゃんのことですね、私の見る限りでは望のことが気になっているのではないかという印象があります」

 望と有美は目を合わせた。口を開いたのは有美だった

「よく見ているわね。さっき望はね、ショートカット(小夜)が振り向いてくれないのは、望が気になっているおっぱいのでかい女(奈緒)に気を遣っているからじゃないかって言っていたけど、菫さんもそう思う?」

「はい」

 私は言葉少なに即答した

「自分の幸せは、自分で引き寄せなきゃダメなのに、あのショートカットは」

 重い話を遮るように望は

「有美さんお願いがあります」

「なんだ」

「今日、菫さんが僕に話しかけたのは、”有美さんに聞きたいことがあるから”という設定にしてもらえますか、まさか奈緒さんが有美さんに聞きに来ることはないと思いますが」

「パフェおごれ」

「御意にございます」

 私は慌てて

「それ、私が払います」

 有美は私の言葉を無視するかのように

「何を聞きたいという設定にする?」

「マクスウエルの魔物(Maxwell‘s intelligent demon)はどうでしょう?」

「熱力学第二法則の矛盾か、説明しがいがあるな。それでいこう」

 有美は満面の笑顔で応えた

「菫さん、そういう設定で」

「エントロピーの話ですね、了解しました」

 有美は笑顔のまま右手を出した。握手を求めているようだ

「望の言う通りだったな、これからもよろしくな」

「私なんかに構って貰って恐縮です」

「私って、そんなに怖い?」

 望が吹きだして、右手の指でクチバシ形をつくり、腹話術のように指を動かして

 ”ズミレチャンハタベラレチャウカトオモッタヨォ”と言って笑った。有美はまた望の頭を小突くと鞄から何かを取り出して私に見えないように望に手渡した。

「ジュース1週間分で買い取れな!」

 そう言うと、手を振って学食を後にした。


「なに渡されたの?」

 望は困った表情になった

「有美さん規格外の人だから・・・」

 言いにくそうにする望に何となく察しがついた

「もしかして、エッチなもの?」

「あんまり、女性が持ち歩いているものではないと思うんですが・・・、時期に分かると思うのですが、有美さんはそういう人なので驚かないで下さいね」

 望がそそくさと渡されたものを鞄に入れるとき、それがなにか見えた。

 

「次の授業一緒でしたね。あっちで話しましょうか。

 奈緒さんと小夜さんが一緒の授業でなくてよかった」

 望は有美と一緒にいるせいか、女性慣れしている印象を受ける

「ごめんねぇ~、私の嘘に付き合わせちゃってぇ~」

「菫さんならば、助けるさ」

 望は、喋り方を変えたことに無関心のようだった

「菫ちゃんならばぁ~?」

 今日はどうしたのだろう?失言ばかりしている。それ以上に不思議なのは、望が私の喋り方に無頓着なことだ

「今日の菫さんならば、が正しいかな。今日はとっても綺麗だから」

 こいつはなかなかの強者だ

「望くんはもっと硬派かと思っていた」

「菫さんはかわいいから、いろんな男に同じようなこと言われて免疫があると踏んだのですが」

 望には余計な駆け引きは不要と思った。私は教室に向かう通路で望の前に駆けだして、顔を見上げた

「望はどうして小夜さんが好きなの」

 装っている口調でないことを言ったあとに気付いた。

 望は想像したよりあっさりした口調で

「ショートカットで僕より頭がいいからかな」

 望は私を避けて進むと、私は望の背中が広いことに気付いた。

 小走りに望を追って隣に並ぶとシャツの袖を引っ張った

「待ってよぉ~望、怒ったのぉ~?」

「菫さんに興味を持ってもらって嬉しいですけど、小夜さんとは今日、区切りを付けたいと思っています。もう潮時はとっくに過ぎて、引き際を感じていました」

 有美に言った理由と同じことを言うか興味があった。そして私に対する言葉が堅苦しいのが気に入らない

「なんでぇ〜」

「小夜さん、僕では不足のようですから」

「そうかなぁ~」

「それに、愛美さんの一軒もありますし、小夜さんにその気がないなら迷惑でしょう」

 望が私に対する口調が堅苦しいのは、これから起こる出来事に向けて気持ちを整理しているのかもしれない

「私ね、中学時代、村八分にされていたんだ」

 これも失言だ、なぜ、こんな言葉を今発したのか分からない

「菫さん位頭がいいと、同級生には菫さんの気持ちが理解できないでしょう」

「分かったようなこと言わないで」

 私は声を荒らげてしまった、自分を抑えられなかった

「有美さんにも同じこと言われたな」

 取り乱す私に、望は穏やかな声だった。少しだけ冷静になれた。望を慰めるつもりで言ったのに

「私の何が解るって言うのよぉ~」

「なにも分からないけど、そういう人は過去に2人も逢っているから、そう思っただけ、気分を悪くしたなら謝るよ」

 いや、望の言葉は的を射ている。さっきの有美の言葉を解説したに過ぎない。きれは、私のお尻のように自分が分かっていて触れないことを、他人に言われて嫌なのと似ているかも知れない

「2人?」

「1人は有美さん、もう1人は中学の同級生だよ」

 いつの間にか、教室まで来ていた

「ねえ、望。喋り方気を遣わなくていいよぉ〜。同期なんだしぃ~」

 あんな喋り方をしている私が提案する立場ではないが

 教室に入ると私がいつも座っている席に腰を下ろした。望は隣に座った

「菫さんみたいなかわいい人と話すと緊張するから敬語になっちゃう」

 望の腕を平手で引っ叩いた。腕が硬くて私の手が痛かった

「ば、バカぁ~、簡単にかわいいって言うなぁ~」

「何だよ、菫さん位かわいいならば、いろんな人から言われるだろう、何を今更照れているんだよ」

 腕を叩いた音が思った以上に教室に響いたらしく、注目されている

「ば、バカぁ~」

 小声で言った

「お前、仕草もかわいいな」

 望の腕を拳で何度も叩いた

「死ね、死ね、死ね…」

「グーで殴るか?でも菫さんみたいな美人に殺されるなら悔いはないな」

 遠くで誰かが、“見せつけるね”と言っている。多分同じクラスの連中にも見られているはずだ、聞き覚えのある声がする

「何だもう終わりか」

「みんなに見られて、恥ずかしいよぉ~」

「何、自爆しているんだ?」

「望の布石、役に立っちゃうみたいだよぉ~」

「菫さん、囲碁打つの?」

 望のペースでは身が持たない

「そんなことより、望はショートカットが好きなのぉ~?」

「好きになった、という方が真実に近いかな」

「どういうことぉ~?」

「有美さんに話さないと約束してくれるなら話すけど」

 ここで教授が入ってきた

「全然、肝心な話ができていないじゃないか!」

 望はノートを開いた。授業中に喋る訳にもいかず、筆談にした。携帯手帳に

【有美さんには言わない】

 と書いて望の脇腹をつついた。

 望が卑猥な声を出したので、拳で脇腹を小突いた

【菫さんきれいな字を書くんですね】

 望との会話は調子が狂う。慌てて返事を書いた

【そんなことはどうでもいい、”好きになった”とはどういうこと】

 望は笑顔で手帳に書いている

【僕は、化学薬品過敏症で香料がダメなんだ。女性の髪の毛の匂いは苦手

 だからショートカットを選ぶ女性を好きになった】

 私は絶句した。

 <つづく>

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