第6話 フラクタル

 水原は不安な思いを隠して広司を見舞った。

「おい、びっくりしたよ」

 と言って、水原は広司の足を見た。


「ちょっと、ここを出よう」


「結構、腫れているけど、大丈夫なのか」



 二人は談話室の隅へ行って腰掛けた。

「彼女は、もう来たのか」


「知らせていない。今の俺には、麻美を引き止める自信がない」


「この間、彼女から広司をまだ愛していると聞いたよ。彼女は、広司を信じて待っているからな。

本でも読まないか。広司が悩んでいる事と同じ小説でなくても、良い本なら悩みの結論を導き出してくれる。良い本は、何かしら固執した頭の中を活性化する作用を持っているもんだ」


「俺は、読書が苦手だから、ほとんど読まない。本を読んで、他人の考えに惑わされたくない。自分で考えて行動したいんだ」


「俺なんか、小説を読んでいると色々な考えが浮かんできて、小説を読んでいるのか、考え事をしているのか、分からなくなるぐらいだ。これは、他人の考えではなく自分の考えであって、小説の刺激で頭が活性化されたというべきでないか」


「考えが閃くという事か。気になる言葉がある。『フラクタル』と言うんだ」


「その本を買ってきてやるよ。興味があれば、何かしら良い考えが閃くかもしれないからな」

 と言って、水原はちょっぴり安心した気分になり、帰って行った。 



 水原は、その足で本屋へ行った。しかし、『フラクタル』という本はなく、今度は図書館へ行った。そこで、本を三冊見つけた。



 広司は、一つの現状から飛び出すのは簡単だが、そこから這い出すのは容易な事でないと、実感していた。ここまで来て、自殺で逃げ出そうとした自分の弱さが情けなかった。しかし、今回の事故で広司は、生に対して前向きになった。島村の生と広司自身の生に対してであった。



 次の日、また水原がやって来て、図書館から探し出してくれた本を三冊置いていってくれた。

広司は水原が帰った後、フラクタルの本を読みふけった。大学の時にフラクタル理論を知り、今まで気にも留めなかった。しかし、これらの本は、広司に科学理論とも違う何かを芽生えさせた。彼は、本を読み進むにつれ、今まで悩んでいた結論らしきものが浮び上がってきた。



 それから数日後、また水原がやってきた。

広司が唐突に話し始めた。

「病室に一人がテレビを持ち込んでね。それに、皆が群がっているよ」


「俺が出勤している間に、ビデオを録画しても、帰って来て面白いテレビがやっているとビデオが見られずにたまってしまう。 

 最近、ビデオを見ながら番組がテレビの小画面に出る二画面テレビが出来ただろう。それがあると、その日のうちに見たいテレビとビデオが見られていいよ。それに、ビデオを見ていると速報が出ないので困る。その点、二画面テレビだと速報も見られる」

と、水原は笑った。


「ああそうだ、フラクタルの本どうもありがとう。その二画面テレビというのは、入れ子構造を取り入れたもので、自然界にあるフラクタル理論が元になっていると、あの本に出ていた。

 ブノワ・マンデルブロが提唱した理論で、株価の変動がフラクタル理論の出発点らしい。俺はフラクタル理論の事を、今まで技術としてしか理解していなかったが、この入院中のベッドで、木や雲を眺めていて思いをめぐらしていたよ」

広司は、あの老婆を思い浮かべた。


「フラクタルを説明する時、良くコッホ曲線が引用されている」

と言って、広司は図形を描いてみせた。


「これは、線分を三等分し、真ん中の三分の一の長さを一辺とする正三角形を作っている。次に四本分のそれぞれの線分で同じ操作を行う。この操作を無限に繰り返した時の極限がコッホ曲線だ。


 これらの図形は、部分と全体が相似になっている。こうした自己相似構造を持つ図形がフラクタルだよ。このフラクタル図形は、いくら拡大しても微小部分に際限なく自己相似構造を持つ図形が現れる事で、直線に表わそうとしても有限領域に納まりながら無限大の長さになる。この種の現象が自然界の至る所にあるというのが、フラクタル理論さ。


 テレビ中継をしているときに、その番組がテレビに映れば、そのテレビの中にテレビが映り、またその中にテレビが映るという具合に、限りなくテレビの中にテレビが映ってしまう。これと同じ状況は、合わせ鏡で簡単に再現できるが、これでは今の二画面テレビには成り得ない。相似の中心がただ一点であり、特殊な部分だけではなくどの部分をとっても全体が反映していなくては、フラクタルでない。だから、画像の位置の動きをコッホ曲線のようなフラクタルにすると、相似中心はどの像にも映し出されるので相似中心が無数に出来るという。これが、二画面テレビの入れ子構造というものらしい。


 フラクタルは単なる相似形ではなく、どの部分から見ても相似形になっていなくてはならない。これもフラクタル次元が、点の0次元でもなく、直線の1次元でもなく、平面の2次元でもなく、立体の3次元でもない。その中間次元つまり整数でないフラクタル次元というところに、入れ子構造の二画面テレビの誕生があったという事になるようだ」

と言って、広司は真剣に耳を傾ける水原に説明している。



「フラクタル理論をマンデルブロが1975年に提唱したとき、専門家はショックを受けたらしい。何といっても、フラクタル図形は特徴的な長さも持たず、接線も接平面なども定義できないという、ニュートン力学以来の数理的な科学の中心であった微分を否定した見方だったわけだから。


 それまでに、複雑とか不規則とか混沌とかカオスとか言って、およそ科学の対象に成りえないとされてきた形や物理現象を定量化したからね。

 それからフラクタル理論は物理・地理・気象・経済学・言語学など幅広い分野で応用が始まったらしい。最近はコンピュータグラフィックスの技術向上により、フラクタル画像が容易にできるようにもなっているという。


 木や雲の他には、海岸線や山肌・稲妻・葉脈・波紋・ひび割れ・河川の枝分かれ・天の川や銀河系宇宙と数多くのフラクタルが知られている。人間の血管や神経系統の枝分かれもフラクタルなんだ。

 こうして改めてフラクタルを考えてみると、自然界ばかりではなく、人間界もそうかなと思うようになった」

と言って、老婆の言った言葉を噛みしめた。

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