第36話
実里は、泣きながら好きと訴える俺の前に一歩近づいた。
雪が、止んだ。
「これ、開けよう」
俺の足元に置かれていたお菓子の缶をとって、実里が囁くようにそう言った。俺が肯く前に、実里は缶の蓋を開け出した。中から出てきたのは、俺が入れた小ぶりの箱と、実里が入れた封筒だ。変わっていない。七年前にここに埋めた時と、なんら変わりのない様子に、一瞬にしてあの時にタイムスリップしたみたいだった。
「一緒に開ける?」
「うん」
実里は小さく肯くと、封筒を止めてあったシールを丁寧に剥がし始めた。中から抜き取ったのは一枚の便箋だ。その手紙を、黙読し始めた。
俺は自分の埋めた小さな箱をそっと開けて、中身を確認する。彼女が未来の自分に宛てた手紙を読む間、俺はじっと将来のことを考えていた。
「俺さ……来年就職するのはやめようと思うんだ」
実里が手紙に集中していると知りながら、話さずにはいられなかった。ここ数日の間、ずっと溜めていた決心を、誰かにこぼしたくなった。
「内定がもらえなくて、逃げたって思われるかもしれないけど……そうじゃないんだ。内定なんて、どこからももらえないってことは、春頃から分かってた。俺、ずっとやりたいこととかなくて。一年浪人してまで大学に行って、周囲に流されて大学院に進んだけど、途中で、やめてしまって。なんとなく大学で専門だった職業に就こうと思って就活をしてみたけど、それもダメだった。心がちぐはぐなんだ。だから実里と出会ってからずっと考えてた。実里と再会して、過去のこととか全部思い出してさ。俺はこれからどうなりたいんだろうって、自分に問いかける毎日だった」
未来とか将来とか、簡単な言葉で人は夢を見るけれど、俺にとっては未来も将来も、姿形の見えない怪物のようだった。
実里は俺の言葉を聞いているのかいないのか、視線はずっと自分の書いた手紙へと向いていた。
構わずに、俺は続けた。
「記憶ってさ……不思議だよな。絶対に忘れないと思ったぐらい幸せだった記憶も、時が経てば全てを思い出すことができなくなる。逆に、辛かったことも、辛かったっていう感情はずっと残ってるのに、その時に誰かと交わした会話とか、見ていた景色とか、細かいことは覚えていない。実里は事故で記憶を失ったって言ったよね。俺との記憶がなくなったって。でも俺は、記憶喪失でもなんでもないのに、実里との思い出を全て思い出せるわけじゃない。それが、どうしようもなく寂しくて、やるせなかった。同時に、研究してみたいと思ったんだ。記憶のこと。人の記憶と感情のこと。だから……だからさ、もう一度、大学に入り直そうと思って。記憶のことを研究できる科に行きたいって思うんだ」
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