第34話
「目が覚めた時、仁くんの記憶がなくなっていた。記憶がなくなったのなら、もう仁くんのことで苦しまなくて済むと思うでしょう? だけど私は、心にぽっかりと空いた穴をどうしても埋められなかった。周囲に明るく振る舞うことで、自分を取り戻そうとしたの。嘘が見抜けるなんて嘘をついたのは、注目を浴びたかったから。それしか、一人で立っていられる方法を思いつかなかった」
俺の知らない時間に、実里が体験した壮絶な過去を思うと、俺が別れても実里のことを気にしていた時間なんて、なんて平和だったんだろうと思う。
「記憶が戻ったのは、仁くんと再会した日の少し前なの。どうしてそんなタイミングで思い出したんだろうね。神様がわざと、そうしているとしか思えなかった。久しぶりにあなたと会って、予想通りあなたは変わってしまった私にびっくりしていて。ちょっとだけ、仕返しをしたいという気持ちはあったの。でも、話していくうちに、変わらないあなたの声や、仕草や、優しさに、惹かれている自分が、いて」
俺はそっと顔を上げた。
硬く強張っていた実里の表情が少しずつ開いて、切なげな瞳で俺を見下ろしている。
「あんなに苦しくて憎くて、復讐でもしてやりたいって思っていた人だったけど、それ以上に私は仁くんのことを好きだったんだって、分かった。仁くんはどう思ってるんだろうって気になってた。でも、会えば会うほど、このまま進んでいっていいのか怖くなった。また七年前と同じ傷を負うことになるんじゃないかって思うと怖くて、どうしようもなくなって、あなたの前から、逃げ出したの」
実里からぱったりと連絡が来なくなった時のやるせなさを思い出す。高校生の頃、まっさらだった彼女を傷つけたのは俺だ。それなのに俺は、実里の気持ちを推し量ろうともせず、自分が彼女に会いたいという気持ちだけを押し付けていたんだ。
俺はもう一度視線を下げる。雪の積もっていく地面が、俺を埋めて沈めていくんじゃないかってぐらい恐ろしいものに感じられた。
「……昨日の夜、久しぶりに『まつかぜ』を開いた。本当に、単なる思いつきで。クリスマスイブの前日だったからかな。毎年この時期になると、寂しくなる。仁くんから逃げよう、と思っていても、心はあなたと関わっていた時のことを想って、耐えられなくなってたのかもしれない。ただ、何かを得ようっていうつもりはなかったの。昔を懐かしみたかっただけ。それなのに、久しぶりに開いた『まつかぜ』に新しいコメントがあって本当にびっくりした」
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