第26話
「どうして……」
実里の口からこぼれ落ちてきた当然の疑問は、空虚な目をした俺の前に、はっきりとした輪郭を帯びることもなく消えていく。俺の口から答えを聞くことはできないと悟ったのか、実里は抵抗することなく肩を落とした。寂しくて、今にも死んでしまいそうなくらい暗い表情をして。
「……ごめん」
実里にあげられる言葉があるとすれば、謝罪以外に何もなかった。ありがとう。本当に楽しかった。愛してる。でも俺は、きみをこれ以上、俺の人生に付き合わせることはできない。そんな言葉を今彼女にぶつけたところで、きっと納得なんてしてもらえない。無駄に彼女の気持ちを翻弄し、これまで二人でつくってきた幸せな思い出を黒く塗りつぶすようなことはしたくなかった。
俺は硬直したままの実里に背を向けて、一歩足を踏み出す。
「待って、これで終わりなの……?」
実里が、今まで聞いたこともないような絶望の滲む声で俺を引き留めた。終わりたくない。彼女の全身がそう叫んでいると分かる。雪が、先ほどよりも激しく降り始める。冷たい。ああ、痛いな。手袋をしているはずの掌が、こんなにも凍りつくほど痛くなるなんて。神様はよく分かってる。
「本当にごめん」
俺は振り返らずにもう一度そう口にした。
今振り返ったら、実里がどんな顔をしているのか分かる。いや、振り返らなくても大体は想像がついた。
「……そっか」
蚊の鳴くような声で彼女が呟いたのが、俺たちの会話の最後だった。
お互いに、言いたいことはたくさんあった。でも、言葉は時として人を縛りつける。今彼女が俺に何かを伝えて、俺が彼女に返事をして、そのことが一生俺たちの人生の重しになるかもしれない。実里もきっと分かっていたはずだ。だからこそ、それ以上はなにも言わずに、俺を行かせたのだ。彼女がどこまで、俺の背中を見つめていたのか分からない。なにせ俺は一度も彼女の方を振り返らなかったのだから。
冷たい雪が降り頻る中、春を待っていた俺たちの心に、ぽっかりと埋まらない穴が空いたのだと、思った。
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