第16話 辺境伯アレクシス

「─────アレクシス様! 既に本陣が突破されました!」


 うるさい喧騒の中、私のいるテントの幕を上げ、一人の兵士がそう報告した。


 その兵士の声は震えていて、告げられる報告の内容にも悲壮感が漂っていた。


「あ、ああ……わ、分かった……」


 私は無意識に椅子から立ち上がるも、すぐに椅子に戻った。


 そうだ……。


 私が何をしようが、結末は変わらない。


 そのことだけは確かな事実だ。




 帝国は近年とてつもない勢いで、その勢力を伸ばし続けている。


 その要因は戦場で暴れ回る災獣の存在だった。


 その災獣の脅威は、私の治める辺境の領地にも牙を剥いた。



 私の領地は帝国領と接しており、約数百年に渡って小競り合いを経験してきた。


 しかし、数百年もの間、この領土を帝国の手に明け渡すことはなかった。


 それでも、今回ばかりは話が違った。


 今の帝国軍は異常だったのだ。


 たった数百の兵で、数千の兵を蹂躙する。


 そんな状況が私の目の前で何度も繰り広げられた。


 先の戦争でも、私の軍は災獣を前に大敗を喫してしまっていた。


 何とか崖っぷちで踏ん張り、何とか領土を死守しているものの、これがあと何ヶ月か持つか分からない。


 今回の戦争でトドメを刺される可能性もある。



「王都はどうした!? 王都からの救援は無いのか!?」


 私は大きな円卓を拳で叩き、そう叫び散らかした。


「は、はい! 王都からは……何もまだありません……」


 私の側に控えていた兵士がそう答えると、更に重苦しい空気が当たりを流れた。



 王国の中心である王都は明らかに、この帝国軍の異常な戦力を甘く見ていた。


 たかが数年、帝国軍に押されている程度のことで、ギャーギャー喚くなと、辺境貴族の進言を片っ端から退けてしまった。


 援助をすることもなく、聖騎士を派遣することもなく、ただ私たちが死ぬ行くのを見ているだけだった。


 つい先日、私が救援要請を送っても、その回答が来ることは今日までなかった。



「ははは……なら……もう私は終わりか」


 私は掠れた笑い声を出しながら、椅子から立ち上がる。


 もう終わりだ。


 王都の助けもなければ、聖騎士の派遣もない。


 この戦争を乗り越えても、いつかは帝国に領地を奪われる。


 私は帝国軍に捕まり、処刑され、私の家族もろとも破滅の道を辿ってしまう。


 結末が分かっていても、私はどうすることもできない。



 私はフラフラと揺れる覚束無い足取りで、テントの幕を上げる。


 そして、目の前で行われている惨状を見つめる。


「はははは……三百年無敵だった我が軍が……はは……」


 私の目の前では、数千の私の兵士たちが災獣に意図も容易く蹂躙されていた。


 その様子はもはや笑えてくる。


 三百年間帝国軍と対等に渡り合い、恐れられてきた我々がこのザマだ。


 よく見てみれば、たった1匹の災獣に蹂躙されているではないか。


 たった1匹に、一国の領主の兵が蹂躙されている。


 もはや、笑いしかでない。


「……もう……終わりだな……」


 私は小さく溜息を吐くと、その場で剣を抜いた。


 これ以上、帝国に抵抗しても無駄だ。


 これ以上、無駄な犠牲を出すべきではない。


 民のため、兵のため、私は降伏を選ぶべきだ。


 どうか、この首一つで、私の死のみで許してはくれないだろうか……。


 私はゆっくりと剣を自分の首に近づける。


 冷たい金属の感触が、私の首元に伝う。


「…………あ……れ……?」


 あれ?


 見間違えか?


 よく見てみれば……災獣に蹂躙されてるのって私の軍じゃなくて、帝国軍の方じゃないか?


 私はよくよく目を細めて、目の前の戦場を見つめる。


 こっちの王家の旗を上げてる方が私の軍で……あの国旗を掲げてる方が……。


 私は無意識に持っていた剣を地面に落としてしまう。


「アレクシス様! 奇跡です! 女神様の奇跡が起きましたよ!!」


 すると、私の方に歓喜の表情を浮かべる兵士が走りながら、そう叫んだ。


 女神……様……?


 聞き覚えのない単語に、私は首を傾げる。


「───貴方がここらを治める辺境伯のアレクシス様ですね」


 すると、いつの間にか背後に聞いたことのない女性の声が聞こえてくる。


 後ろを振り返ると、そこには聖母のような笑顔で微笑む修道女の姿があった。


 聖教会の修道服ではない……。


 まさか、本当に女神様とやらの……。


「あ、あなたは……」


 私は得体の知れない修道女に、掠れた声でそう尋ねた。


「私は女神教のシスターです。あなた達を救済しに来ましたよ。あの卑しき聖教から」


 女神教のシスターだと言う修道女は、咲くような笑みを浮かべながらそう答えた。


 女神教……? 少なくとも聞いたことはない。


 そう言えば、さっきのあの兵士は女神様の奇跡と叫んでたな……。


 え? 女神様の奇跡………?



 私はハッとして目の前の戦場をもう一度じっと見つめる。


 今度は冷静な区別ができる。


 1匹の災獣に蹂躙されている軍は…………我が軍ではなく帝国軍の方だ。


「あ、あれは!? あれは何なんですか!? 災獣が!」


 私は目の前の戦場を指さし、そう尋ねた。


「あー、あれはですね、女神様が遣わした使徒様の御力なのです。使徒様の手にかかれば、帝国軍の愚かな災獣など簡単に操れてしまうのです。これこそが女神様の奇跡なのです」


 大袈裟に手を大きく広げながら、修道女はそう言い放った。



 あの絶望的戦況を、その使徒やら一人で簡単にひっくり返してしまったのか?


 帝国軍の災獣を操り、帝国軍を撃退した?


 聞いたことすらない女神教とやらが?


 私の頭には疑問が何個も浮かび上がる。



 それでも、同時に涙が溢れだしてしまった。


 方法がどうであれ、私は命を何とか繋ぎ止めることができた。


 さっきまで死ぬという絶望で埋め尽くされていた頭は、その絶望から一気に解放された。


 意味不明な宗教である女神教とやらの力によって、私は救われてしまった。


「あの奇跡は私を救済するために……? こんな哀れな私を……救って下さったのですか!?」


 私は震えた声で目の前の修道女に縋り付きながらそう尋ねた。


「はい。そうです。女神様は貴方の窮地を重く見ていました。そして、貴方を救済するようにと、使徒様に命が下ったのです」


 修道女は私の頭を優しく撫でながら、そう言った。


 王都も聖教会も、何もかも私を助けてくれなかった。


 それでも、女神様だけは私を救ってくれた。


 目の前の聖母のような修道女と、偉大な力を持つ使徒様を遣わして下さったんだ。


 その事実に胸がジーンと熱くなり、心が締め付けられる。


「あー、でも、女神様はアレクシス様が聖教徒であられるのを悲しんでおられるでしょうね……」


 すると、目の前の修道女は困ったような顔を浮かべる。


「な、なります! 改宗します! 私を助けてくれなかったゴミみたいなクソ宗教なんて捨てます! もうあんな権威だけのカス見たくもありません!」


 私は胸に着けていた聖教会のロザリオを地面に投げ捨て、修道女の手を取った。


「お願いします! 女神教に……入信させてください!」


 私は恥も外聞もなく、修道女に頭を深々と下げてそう訴えた。


「ふふふ、良いですよ。これで貴方も邪神教……じゃなくて、女神教の一人です」


 修道女はどこからか取り出した分厚い教典を私に渡した。


 ああ、これが! これが女神様の教え!!


 私はその場で食い入るように教典を開き、内容に読み込んだ。


 もう人目なんて気にならない。


 私は既に女神教の信徒なのだから。


 一章は天地破壊か……なんと良い響きか……。

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