第15話 滅茶苦茶

 敵の操られていたはずの災獣は、一目散に帝国軍の軍勢に突っ込んで行ってしまった。


 遠目で帝国軍の様子を確認してみると、それは見るも無惨なものだった。


 災獣対策などしているはずもない帝国軍の軍勢は、意図も容易く蹴散らされ、散り散りになってしまっていた。


 もはや、統率という言葉がそこには存在せず、ただあるのは耐性のない兵士たちによる必死の脱走のみだった。


「え、ええ……?」


 俺はその様子を眺めながら、ただ唖然とすることしかできなかった。


 あの災獣はどうして帝国軍の方へ突っ込んで行ったんだろうか。


 俺はそれがただただ不思議でならなかった。


「やっぱり……コレおかしいよな……?」


 俺は右手の紫色の紋章を見つめながら、そう呟いた。


 この紫色の紋章は、あの災獣の態度をガラリと変え、操ることさえ出来てしまった。


 ネルも、あの災獣も、これを見ると何故か態度を変えてしまう。


 今思えば、この紋章はリヴィアと過ごしてから出現した気がする。


 もしかして、リヴィアは……すごい力を持っているのかもしれない。


「ガルルルルルル……」


 俺が呆然と自分の右手を見つめていると、目の前から災獣のゴロゴロという鳴き声が聞こえてきた。


「あ……」


 ふと顔を上げると、目の前の災獣が俺をじっと見つめていた。


 どうやら帝国軍を散り散りにし、殲滅し終えて帰ってきたようだった。


 その様はまるで飼い主の命令を従順に遂行する飼い犬のようだった。



 ……まぁ、敵意がないのは理解できる。


 むしろ、甘えたそうなペットの犬みたいなつぶらな瞳をしている。


 それでも、圧倒的な体格差とその凶悪な容貌からは目を背けることはできなかった。


「お、お前は俺の味方なんだな……?」


 俺は震えた声で、目の前の災獣に手を伸ばす。


 すると、目の前の災獣は嬉しそうに、凶悪に尖った尻尾を振りながら、俺の手に顔を擦り付けた。


 手にザラザラとした感触が伝い、俺のすぐ目の前まで災獣の頭の角が迫る。


 俺は内心めちゃくちゃ焦りながらも、災獣の頭を震えた手で撫でた。


「くぅーん……」


 すると、災獣は気持ちよさそうな顔で目を細めた。


 う、うん……味方で間違いないらしい。


「と、とにかく……今はそこら辺に隠れてくれ……」


 俺は頭が痛くなりそうになりながらも、災獣にそう命じた。


 すると、すぐに災獣は動き出し、遠くの山奥に飛んで行って消えてしまった。


 その間、わずか数秒。


 その機動力も去ることながら、俺の言葉を理解できるその知能。


 何かの偶然で味方にできたけれど、あの災獣が元々敵だと考えたら、背筋が凍る思いになってしまう。





 ******





「───ふふっ、これを飲めば痛みを感じることは無くなり、死ぬまで戦い続ける狂戦士になることができますよ! まぁ、痛みを感じなくなるだけで、普通に死ぬんですけどね!」


 帝国軍を撃退し終わり、ネルの方へ向かうと、ネルは何やら忙しそうに王国兵に何かを渡していた。


 その何かは、怪しげな試験管に詰められた緑色の液体だった。


 痛みを感じなくなるだけの薬って……。


 そんな怪しい薬を配ってたら、王国兵に怪しまれて布教できなくなるだろ……。


 俺は深い溜息を吐きながら、ネルを止めようと動き出した。


「聖女様! 私にもその薬を!!」


「聖女様!! 神のお恵みを私にもお願いします!」


 すると、王国兵たちはそんな怪しい薬を狂ったような目で見つめて、それを欲しいと熱く懇願していた。


 聖女様聖女様! と叫び訴える彼らの顔は、どこか狂気を帯びていた。


 え……? こんなに怪しい薬を、こんな怪しいヤツから受け取るのか……?


 てか聖女様ってなんだ?


 いつから、こんな怪しい宗教のシスターが聖女様なんて呼ばれるようになったんだ……。


 俺は目の前の状況を呑み込めず、その場で困り果てる。


「ふふっ、どうですか使徒様! この薬には痛みを消すと同時に、脳内に快楽物質を生成する効果もあります。あと数ヶ月もすれば、この薬なしには生きられない身体にできますよ。そうすれば……ふふっ、薬の為なら何でもする敬虔な邪神教徒の完成です!」


 ネルは渾身のドヤ顔でニヤニヤと笑みを浮かべながら、とんでもないことを言い放った。


 いや待て待て待て! それはダメだろ!


 いくら邪教とは言え、非人道的すぎるだろ。


「ま、待て待て!! その薬を渡せ!」


 俺はネルの両手いっぱいに収まる試験管を奪い取り、その場で地面に叩きつけた。


「はぁはぁはぁ……」


 あ、危なかった……。


 少しでも遅れていれば、この領内に中毒者が続出していたかもしれない。


 いや、もう手遅れの可能性もあるか……。


「ふふっ、まぁまぁ落ち着いてください使徒様。私だって、薬だけが頼りではありません。ちゃんと教典を偽装したものを王国兵全員に配布してあります」


 俺はネルのその言葉に再び嫌な予感を覚える。


 次はなんなんだ?


「……?? なんだあれ……」


 すると、不意に地面に適当に散乱している本の山が目に入った。


 な、なんだ……あれ。


 あの量を一人で運んだのか……?


 俺は疑問に思いつつも、本の山から一冊取り出す。


「女神教……?」


 その本の表紙には、デカデカと女神教と記されていた。


 なるほどな。


 邪神教ではなく、女神教という形で布教をするのか。


 邪神ではなく、女神と聞けば万人受けも良いだろう。


 これは……確かに合理的だ。


 俺は目の前のネルを見て、感嘆の息を漏らした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る