第31話 咄嗟に欲しいものを五つも思いつくのってすごいよね

 咬神の娘にまつわる一件が落ち着くと、青雲第七支部にはまたある程度の平穏が戻ってきた。こまごまとした依頼は相変わらず途絶えなかったが、謹慎中だったハクも復帰し人手が足りないということはない。


 そんな日々が過ぎていき、季節はいつのまにか晩秋になっていた。


「咬神支部長の娘さん、体調は少しずつ良くなってきてるって」


 午前の陽が差し込む部屋。セツが文机に広げた絵巻物をながめながら呟いた。リツも歌物語の写本をめくりながらうなずく。


「それはなによりです」


「まったくだね。支部長の文によると呪いを解く実験も順調にすすんでるみたいだよ」


「それはよかったです」


 頷きながらも文という語が胸につかえた。


 自分から送ることはしなくなったが、それでも妹からの文を待つ気持ちが捨てきれない。あやかしに誑かされた娘にまつわる任務をこなした後なのだから尚更。


 都では平穏に過ごせているのだろうか。


「そういうわけなんだけどさ、いま何か欲しいものとかない?」


「そうで……、はい?」


 唐突な問いに、思わず写本から顔をあげた。視線の先ではセツが楽しげに笑んでいる。


「いきなり、なんの話ですか?」


「いや、ほら。しらべがこっちに来てから色々と厄介な件もあったし、褒賞とかがあってもいいかなと」


「そんな。私だけがいただくわけには……」


「そう言うと思って、ハクとメイにもちゃんと欲しいものを聞いてあるよ。だから、遠慮はしないで」


「そうですか……、なら砥石の予備がいくつか欲しいですね」


「えー? もっとこうさ、実務的じゃないものじゃなくていいの?」


「そう、言われましても……」


 口元に指を当てながら考える。部屋の調度品を増やそうと提案されたときと同じように、今回もすぐに思い浮かばない。それでも何か捻り出さなければ、目を輝かせるセツを落胆させてしまうだろう。


「……書類に使う筆の先が痛んできていました」


「うーん。筆かぁ……、悪くないけどそれも仕事用だよね」


「まあ、そうですね。あとは……、切り傷用の膏薬がそろそろ尽きそうですね」


「それはすぐに用意しよう。でも、そういうことじゃなくてさぁ」


「そうですよね。ただ必要なものとなると……あ、新しい飛び道具があれば試しに使ってみたいです」


「それは、思いっきり仕事道具だね」


 思いつくかぎりの物を口に出しても、逐一却下される。自分のことを思ってのことだとはわかるのだが。


「もうちょっとさぁ、年頃の娘さんらしいものを欲しがってくれてもいいじゃないか」


「……」


 なぜか拗ねたように口を尖らせる姿に多少の苛立ちも感じた。


 本人が欲しいと言っているのだからそれでいいだろうに。そんな言葉を飲み込み、代わりに出てきたのは。


「わかりました。なら、龍の首の珠を仏の御石の鉢に入れて、火鼠の皮衣で包み蓬萊の玉の枝に掛けて、燕の子安貝を吹き鳴らしながら持ってきてください」


「ごめん、しらべ。もうちょっとだけ手加減を……いや、でも、待って、近い物なら本部に問い合わせればなんとか……」


 無理難題を割と前向きに検討し出した夫を前に、リツは大いに脱力した。

 

「いえ、ただの冗談なので気にしないでください」


「そうなの? でも、燕の子安貝なら春になればなんとか」


「いうにことかいて、中納言の人と同じような台詞を吐かないでくださいよ。縁起でもない」


「あはは。ごめん、ごめん。でもさ」


 セツは苦笑しながら首を傾げた。


「必要なものじゃなくて、しらべが心から欲しいものを用意したいんだ」


「必要ではなく欲しいもの、ですか」


 再び口元に手を当て考える。


 思い返せば、幼い頃から退治人として生きるのが当然だと考えてきた。そのため、仕事に必要な物以外を欲したことはあまりなかった。


 仕事ぶりを評価してくれる者がいてくれたら、などと鬱屈していた日々もあった。しかし、今はその望みも叶っている。


 物語の絵巻物や写本には心惹かれるが、読みたいものはすでに手に入っている。本部にいたころはライに見つかるとあまりいい顔はされなかった。それでも今は、何事もない日に共に物語を読み耽り感想を語り合える相手もいる。


 つまり、一番欲しいと願っていたものは。


 自ずと視線が一点に集中していく。


「ん? どうしたのしらべ?」


「あ」


 困惑した声を受け、一気に我に返った。


「失礼いたしました」


「いえいえ。それで、何か思いついた?」


「いえ……、その、幼い頃から明日をもしれぬ生業をしている身なので、あまり物を持とうと考えたことがなくて」


 一番欲しがっていたものは伏せ答える。すると、目の前の顔が俄かに翳りを帯びた。


「……そっか」


「あの、セツ班ちょ……」


「じゃあ、私のほうで似合いそうなものを見繕っておくよ!」


「……はい」


 翳りを振り払うような笑顔に、それ以上の追及はできなかった。


「ありがとうございます」


「いえいえ。でもさ、欲しいものが思いついたらいつでも教えてね」


「はい」


 気にかかるところもあるが話も終わり、二人はまた各々の読書にもどろうとした。


 まさにそのとき。


「たーのーもー!!! 班長いるかー!!?」


 突然、部屋を震わすほどの大声が響き渡った。


「うわー……」


 セツの顔から一気に血の気が引く。あからさまな拒絶反応にリツも身構えた。しかし、声が大きい他は嫌な気配も感じない。


「えーと、気分が優れないなら、要件だけ聞いてお帰りいただくようにしますか?」


「ごめん。ダメ元でお願いしていい?」


「ダメ元?」


「うん。まだ話が分かるほうではあるんだけどね」


「かしこまりました?」


 腑に落ちないながらも部屋を出て玄関に向かう。


「お待たせいたしまし……っ!?」


 門の外に立って居たのは、毛羽だった髪を下げみづらに結った水干姿の少年だった。それだけなら、国司たちの使いにも見えただろう。しかし、そうではないことは一目で分かった。



 日を受けた瞳が金色に輝いている。



「おー!! ねーちゃんはたしか、班長の嫁さんだってな!! どうだ、仲良くやってるか!?」 

 

「ええと、はい」


「ワハハハハ!! それは何よりだぜ!!」


「えっと、どうも」


 全く敵意の感じられないあやかしの子供を前に、リツは戸惑いながら相槌を打つことしかできなかった。

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