第30話 翅愛づる姫君・十
詰所に戻ると、リツはいつもどおり湯浴みを済ませ報告書を書き上げた。
そして──
「それで、今回はどのあたりを手伝えばよろしいでしょうか?」
「話が早くて助かるよ」
──部屋に入るなり、単刀直入に本題を切り出した。
予想したとおり、セツは大量の紙束を前に絶望の表情を浮かべている。いつもならば、小言の一つもこぼしていただろう。しかし、今夜は勝手が違う。
「じゃあ、ハクが渡してくれた覚書をまとめてもらおうかな」
「かしこまりました」
「助かるよ。アイツは支部長の真名をみんなの前で叫んじゃった件で、しばらく謹慎処分だからね」
苦笑いが建前を口にする。きっと本来なら、第七支部の面々しかいなかったのだからこの件はうやむやになっていたのだろう。しかし、今のハクたちには少し落ち着く時間が必要なはすだ。
「記録係の報告書の書き方は分かるよね?」
「はい。以前も何度か手伝ったことがあるので」
「ふふ、さすがだね。じゃあ、お願いするよ」
「承知いたしました」
「ありがとう。私は烏羽玉向けの報告書を仕上げちゃうから」
「お願いいたします」
書類を受け取り、いつの日から当然のように用意されていた自分用の文机に向かう。広げた資料には細やかな字で今夜の任務の仔細が書き連ねられていた。これならば、取りまとめにそう時間はかからないだろう。
「今回は主戦力として退治に参加していたのに、完成度はいつもどおりですね」
「うん。あいつはそういう所は器用だからね。その器用さをもう少し別の所にも回してほしいものだったけど」
「それは、まあ」
目の前にある覚書も相まって、今日の出来事が鮮明に蘇る。咬神の娘の世話、もとい、謹慎処分ともろもろの後始末のため烏羽玉の結社に残ることになったハクの表情も。
「結果的にあいつの望みは叶った、と言えるのかな?」
「それなら、あんな顔をしていないと思いますよ」
「だよね」
短い会話のあと、部屋に聞こえるのは筆を走らせる音のみになった。
「……姫君、どうなるのでしょうね」
「……少なくとも、身体が落ち着くまではあの邸で安静にさせておかないとね。必要な薬は随時渡すようにするし」
「そう、ですね」
「うん。それと、烏羽玉への報告は咬神支部長がよしなにするんじゃないかな。ちょうどいい手土産も
「……そうですね」
仮にもこのあたりのあやかしを取りまとめる者の生きた首とその子供だ。一番厳しい処分を受けることは避けられるだろう。
「ただ、咬神支部長本人はお孫さんともども最前線に送り出されるだろうね。もともと、あの支部は咬神支部長を最後に畳む計画だったみたいだから」
「……」
筆を持つ手に思わず力が入った。
本部での任務は命の危険が伴うものばかりだった。それは烏羽玉でも同じだろう。
今回の件がなければ、退治人としては穏やかすぎる余生を過ごすことができたはずだ。
「なぜ、あのあやかしは人との子をほしがったのでしょうね」
今さら口に出してもしかたない言葉がこぼれる。
「あれの言葉を借りるのは癪だけど、『便利だから』だろうね。人の血が混じっていれば、何かあっても問答無用で退治される危険は少なくなる。その分、血が続いていく可能性が高くなるんだし」
セツの口から分かり切っていた答えが返された。
「……せめて、あやかし側にも情があれば結末はまた違ったのでしょうか。たとえば、ソシエ殿と武光殿のように」
「どうだろうね。どちらにしろ、子供が翅を持たない可能性が高いことを黙っていた時点で姫君が絶望するのはさけられないから……、むしろより悲惨なかんじだったんじゃないかな」
「……それも、そうですね」
思い返してみれば、翅音で心を乱されていたとはいえ、咬神の娘のほうもあやかしの血を利用しようとしていたのだ。
「うん。想いを踏みにじられたって思い込んだあやかしは厄介だよ。応えてもらえるまで自分の信じる
どこか悲しげな顔が見てきたような言葉を放つ。否、退治人をしているのだから実際にそんな被害者も見たのだろう。
現に少し前に、自分も当事者として近い状況に関わったのだから。
あの男を惨たらしく殺めて
貴女の受けた口惜しさを
思い知らせてやろうと
そうすれば
きっと貴女は私のことを受け入れて
つとめて忘れようとしていた声が鮮明に蘇る。
「……なんにせよ、この話はもう決着がついたのだから、もしもの話はおしまいにしようじゃないか」
「……そうですね」
「そうそう。それよりも、もっと建設的な話をしたいから……、ちょっとこれを確認してもらえない?」
書類を差し出す顔にいつものどこか軽薄な笑みが浮かんだ。なんだかろくでもない企みをしている予感がする。
「拝見いたします」
書類は烏羽玉で管理している武具の在庫を記した帳簿だった。しかも、一つには朱書きで「実態」と記されている。
「あの、これは?」
「ふふ、昼のうちにハクに調べてもらったんだ。武具の管理は姫君の夫が担当していたんだけど……ほら、咬神支部長は蟲を使役できるから他の武具はあんまり使わないみたいでしょ?」
「そうですね……、あ」
何が起こっていたかはすぐに分かった。
「うん。言ったらなんだけどその旦那さんっていうのが、他の女性をたぶらかせるほど魅力的じゃないんだよ。でも、高価な贈りもので目が眩む子なんてめずらしくもないじゃない?」
「……つまり、見つからないと思って結社の武具を金品に変えて遊び回っていたと」
「ご名答。でもさ、烏羽玉の武具はあやかしの骸を加工したものも多いわけで」
「横領に対する罰は青雲よりも厳しい、ですよね」
「その通り! だから、『姫君の呪いを解く実験に協力させたらどうですか』って提案するんだ。青雲第七支部長として正式な形でね」
烏羽玉の呪術解析班は耳を覆いたくなるような実験を日々行なっていると聞いている。
「今回の件で貸ができましたから……、副長の正式な署名もつけておけばさらに無下にはできなくなりますよね」
「ふっふっふ。さすがしらべ、話が分かるじゃないか!」
「ええ、原因の一端には然るべき責任をとっていただくのが筋かと」
「そうそう! ま、いまさら罰したところでという話かもしれないけど、少しは溜飲もくだるだろう」
「そう願います」
帳簿を返すとセツの笑顔に少しの翳りが見えた。
「やりきれない結末をむかえたとしても、ちょっとした意趣返しくらいはしてやらないとね」
やはり、兄弟同然の相手にはもっと正常な形で望みを叶えてほしかったのだろう。
「ええ、本当に」
リツは深くうなずき細かな字が並ぶ覚書に目を戻し、取りまとめの作業に戻った。
西の空には半分ほど欠けた月が浮かんでいた。
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