第22話 翅愛づる姫君・二

 むかし……とはあんまり思いたくないけれど、とある退治人結社の班長となる男とその乳母子が初冠をして間もない、ある程度むかしのことです。


 二人は都に住んでいたのですが、色々な事情があってこの地に赴任することになりました。


 到着すると早々に同時の班長は豪快に笑いながら、挨拶回りへと二人を連れていきました。その訪問先の最後が、蟲使いの男が責任者を務める烏羽玉の支部でした。


 蟲使いが扱うのは玉蟲やら、蝶やらといった美しい翅を持つものではなく、蜈蚣、蚰蜒、紙魚、歩行虫、あげくのはては蛭などの翅を持たない恐ろしいものたちばかりと聞いていたので本当に勘弁してほし……じゃなくて、二人は戦々恐々としながら邸に向かいました。


「おい……、あのときはお前がギャーギャー言ってただけで……、俺は別に……」


 えー、それだと私一人で騒いでたみたいで格好がつかないじゃないか。


「みたいじゃなくて……、実際そうだっただろ……」


 なんだと、この……


「まあ、人には得て不得手がありますから」


「そ、そう、ですよね! と、ということで、班長も、ハクさんも、そんなにケンカ腰に、ならないで、ください!」


 ……ともかく、そんなこんなで一行は烏羽玉の支部に向かい、蟲使いの男と顔合わせをしました。


 屋敷の中は意外にも普通とかわらないものでしたが、天井や床や物陰から終始カサカサという音が響いてきます。さすがに乳母子のほうも気が滅入ったようで、顔合わせ中は二人して酷い顔色になっていました。

 すると、蟲使いは特に表情を変えずにこう言いました。


「蟲の管理に使う薬などの匂いは人によって体調が悪くなることもある。すこし中庭に出て、外の空気を吸ってくるといい」


 ちがう、そういうことじゃない。


 そう思いながらも、二人は厚意に甘えて中庭に出ました。


 すると、そこには先客がいました。

 まだ髪上げも終わっていない少女です。


 のちに班長となる男のほうは、結社の誰かの子供だろう、くらいの感想しか抱きませんでした。


 しかし、乳母子のほうは明らかに目を輝かせて頬を染め……


「おい……。それだと……、俺がなんかまずいかんじの性癖の人っぽくなるだろ……。だいたい……、彼女は俺たちと一つしか違わないんだし……」


 ……そんなに怒るなよ、ちょっと話の雰囲気を明るくしただけじゃないか。


 ともかく、乳母子はその少女に目を奪われていたのです。

 ただ、その理由もなんとなくは察することができました。



 その目つきは少女のものというにはあまりにも、澱み荒んで疲れ切っていたからです。



 少女は二人に気づくとひどく社交的な笑みを浮かべて会釈しました。そして、自分は蟲使いの娘で使役する蟲の餌を集めているところだと教えてくれました。


 何かの幼虫や翅と脚をもいだ蟲が蠢く小さな壺を持ちながらも少女は笑みを崩していません。


 しかし、袖から覗く手首はたしかに粟立っていました。


 色々と思うところもありましたが、二人は自分たちが青雲の退治人であることと蟲の気配にあてられて外の空気を吸いにきた旨を話しました。すると、澱んでいた目に光が宿りました。

 そして、少女はこう言ったのです。


「それなら、私をそちらの結社に連れていってください。なんでもお手伝いをしますから」


 突然の申出に二人は言葉を失ってしまいました。そうしているうちに目の輝きは徐々に消えていき、またひどく社交的な笑みが浮かびました。


「くだらない冗談でご迷惑をおかけしてしまい、もうしわけございませんでした」


 少女は深々と頭をさげると、カサカサという音が響きつづける屋敷の中に戻っていきました。それと同時に班長が呼ぶ声も響いたので、二人も屋敷の中に戻りました。


 そんなこんなでその日の顔合わせは済んだのですが、当時はこの辺りも厄介なあやかしが多くいたので烏羽玉とのやり取りもそれなりの頻度でありました。


 そんななか、乳母子がどうしてもと言うので連絡係的な役割は彼に……


「ちょっとまて……、俺が連絡係になったのは……、お前が泣きながら……、烏羽玉に顔を出すのを……、嫌がったからだ……!」

 

 ……でもさー、あの娘さんのこと気がかりだったから引き受けたってふしもあるだろ?


「それは……、その……」


「懸想した相手があまり好ましくない環境にいるのは心配になりますものね」


「そ、そうですよ! ですから、その、顔を赤くする必要は、ない、と、思うです、ハクさん!」


「とりあえず……、話を続けてくれ……」


 うん、そうさせてもらうよ。


 連絡係を続けるうちに、ハ……乳母子と少女が言葉を交わす機会も増えました。


 お互い憎からず思っているのだから二人はいつか結ばれるものだとばかり思いました。


 しかし乳母子のほうが……


「結社を越えた結婚は……、障害が多いから……、彼女にも負担がかかる……」


 だとか……


「彼女にはもう……、婚約者がいるから……」


 だとか……


「俺には……、何かを使役する才なんてないから……、咬神家の娘を娶るなんて無理だ……」


 ……などという弱音を吐いて結局は何もことを起こしませんでした。


「その完成度が低いモノマネは……、ケンカ売ってるのか……?」


 ごめんってば。


 えーと、それで結局のところね、二人は親しいけれど微妙な距離感のまま今に至り、少女だった娘は成人して父親が決めた相手と結ばれました。


 しかし、娘はながらく子供を授かりませんでした。そんななか、昨年の秋くらいから夫は都にある本部に異動となり、こちらには文すらよこさなくなりました。



 なんでも、向こうで親しくなった女性との間に子供を授かったそうです。



 失意にくれる娘の心の隙に、乳母子が入り込めればよかったのですが……


「……」


 ……悪かったって。


 でも、誑かしたのがハクだったら本当にどんなによかったか。



 そうすれば、彼女はあやかしの仔など身籠らずにすんだのですから。


「は……?」


 七日ほど前のある夜、蟲使いの男は物音に目を覚ましました。どうも、蟲たちが異様に騒いでいるようです。それに異様な気配もします。


「おい、ゆ……班長、一体なんのはな……」


 異様な気配をたどるうちに、娘の楽しげな声が聞こえてきました。今まで聞いたことがないくらい弾んだ声です。嫌な予感がして歩みを速めると中庭に面した廊下の戸が開け放たれていました。


 そして、男は見てしまったのです。


「お、い……」


 


 背中に翅を生やし恍惚の表情を浮かべながら宙を舞う娘の姿を。




「……」



 蟲使いの男が慌てながらも術を使うと背中の翅はズルリと抜けて、娘は微笑みながら落下していきました。それを受け止めるのに必死になっていたので、飛び去っていく翅を追いかけることはできませんでした。


 嘲笑うような月に向かって飛んでいくそれは、濁った金色の目を持つ大きな蜉蝣のように見えました。


「……それで、彼女はどうなったんだ?」


 ……娘は空な笑みを浮かべて自らの下腹を愛おしむように撫で続けていました。「ああ、きっとこれで私も」と呟きながら。残念ながら、今も状況はあまり変わっていません。



 ただ一つ、娘の下腹部が日に日に膨れていくことを除いては。



 そういったわけで、蟲使いは自分たちではなく青雲の面々に退治を依頼することになったのです。



 なにせ──。




※※※



「なにせ、助かる見込みのないものをあやかしごと処理・・することを許された結社は、今のところ私たち青雲以外にありませんからね」


 淡々とした表情でセツは依頼のあらましを語り終えた。部屋のなかには重苦しい空気が立ち込めている。


「以上が今回の依頼だよ。ま、でも、主な役目はあくまでも逃げていった蜉蝣っぽいあやかしの退治だからね。必ずしも娘さんごとの処理・・までするかといったら、そうとも限らないし」


「事情は把握した……。ただ……、少し気持ちを整理させてくれ……」


「うん、構わないよ。でも、依頼を受けるかどうかの返事は今日中にしないといけないから」


「大丈夫……、依頼は受ける方向で進めてくれ……。本当に少しだけ……、頭を冷やしたいだけだから……」


 苦々しい表情を浮かべハクは部屋を出ていった。珍しく戸を閉めずに去っていったことからも酷い動揺が伝わる。


「えっと、大変なことに、なっちゃいました、ね」


「ええ。まったくですね」


 メイに相槌を打ちながらリツは開け放たれた戸に目をやった。


 その刹那、番の蜉蝣が尾を交わらせながら飛び去っていく様が見えた気がした。

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