第21話 翅愛づる姫君・一

 したい山的な一件が落ち着いてからしばらくは大きな依頼はなく、リツたちはまた小型あやかしの駆除や近隣の手伝いなど細々とした仕事をこなして過ごしていた。そのうちに朝夕の風が涼しい日が多くなってきたが、妹からの文は未だ届いていない。

 相変わらず寂しくはあったが、きっと向こうも気を使っているのだろうと、以前よりは不安を感じなくなっていた。


 そんなある日の朝、廊下の拭き掃除をしていると苦々しい表情のセツが文を片手にやってきた。


「おはようございます。セツ班長」


「あ、うん。おはようしらべ」


 見上げた顔に笑みが浮かんだ。しかし、どこかぎこちなさを感じるうえに頬は青ざめている。手にしているものは依頼の書かれた文に違いないだろう。

 つまりは。


「なにかものすごく厄介な依頼が来たのですね?」


「あはは、しらべは相変わらず鋭いね。うん、できれば受けたくないかんじの内容だから、うまく届かなかったことにして破り捨てちゃおうかな、なんて思ってるんだ」


「またそんな、ろくでも……」


 立ち上がりながらろくでもないと言いかけた瞬間、前回の大きな依頼が頭をよぎった。


 任務の前夜に感じた不安、窮地に聞いた悲痛な叫び、無事に全てが解決した際に感じた脱力と……心からの安堵。


「……もしも私たちの手に負えない依頼なのでしたら、他の結社に依頼を譲ってはいかがですか? たしか、この辺りには烏羽玉うばたまの支部もありましたよね?」

 

「私もそうしたいところなんだけどね……、何を隠そう今回はその烏羽玉の人間からの依頼なんだよ」


「は?」


 予想外すぎる言葉を吐いたセツは力なく項垂れた。


「まあ、聞き返したくもなるよね。彼らは退治人名を使ってないんだけど……リツはさ、咬神ようがみ 正則まさのりって名に覚えはあるかな?」


「ええと、はい。本部にいたころ他結社を交えた寄り合いがあったので、そこでお会いしたことがあります。たしか……」


 口元に指をあてながら、一度だけライとともに出席した寄り合いの記憶を探る。たしか、二人の婚約を報告する場を兼ねていたはずだ。

 出来の悪い婚約者だの班のお荷物だのという紹介に周囲が嘲りや哀れみを含んだ目を向けどよめいた。そんななかその男は淡々と名乗り、寄り合いを仕切りはじめた。最初はどよめいていた周囲のものも、あまりにも平然と場を進める様に徐々に静まっていった。

 主導権を奪われた元婚約者は顔をしかめ、小声でその男の家柄に対する雑言を吐き捨てた。


 賤しい毒蟲め、と。



「……虫を使役する術に特化した家系の方、でしたよね?」


「そう、そのとおり。それでその術関連のイザコザなんだけど、私は虫がものすごく苦手でね……」


「ああ、それで気乗りしなかったのですね」


「うん、それもあるんだよ。でも、本人はちょっと頭の硬いところもあるけど、わりとちゃんとした大人だから力になりたいとも思うんだ」


「……たしかに」


 正則が話題と空気を変えなければ、あの寄り合いの居心地はもっと悪いものだっただろう。



 セツが気乗りしないのであれば、自分が表立って……


「それに、咬神の娘さんはハクの思い人だし」


「たしかに……え?」


 ……という密かな決意は意外すぎる言葉そのニによって遮られた。



「ふっふっふ。今回も依頼を滞りなく進めるために、ゴタゴタしそうな話は先に済ませておこうと思って」


「いや、たしかにそうかもしれませんが、部下の恋心をいきなり暴露するのは問題があるかと」


「副班長の言うとおりだ……」


 不意に背後から聞こえた声に、リツは思わず飛び跳ねた。振り返ると、はたきを握りしめたハクが頬を染めて肩を震わせている。


「雪也……、お前……、本当に昔っから……」


「きゃあハクってば! 人前で真名を呼ぶなんてハレンチよ!」


「茶化すな……!」


 いつになく憤った表情に、いつの間にそこにいたのか、や、なぜセツの真名を知っているのか、という質問を口にすることさえ憚られた。それでも、このイザコザを収めないわけにはいかないだろう。


「えーと、セツ班長。やはり、勝手に懸想する相手を暴露したことは謝罪すべきかと」


「えー? まあ、ちょっとは悪かったと思うけどさー」


「ちょっとだと……?」


 火に油を注ぐような態度に、はたきからメリメリと音がした。なんとか怒りを収めないと、依頼どころの話ではなくなってしまうだろう。


 リツは呆れながらも、これ以上ふざけないようセツを咎めようとした。

 しかし、見つめた顔に一切の笑みは浮かんでいなかった。


「だって、事前にこの情報を共有しとかないと、私たち全員の命に関わるかもしれないし」


「命に関わる……?」


「そう。場合によっては、薄氷、お前が一番依頼の障害になるんだよ」


「俺が……?」


「ハクがですか……? あ」


 釈然としない表情のハクを見ているうちに、青雲と烏羽玉の一番の違いを思い出した。


 同時に、烏羽玉ではこの依頼を受けられない理由と、ハクが一番の障害になるかもしれない理由も。


「その様子だと、リツは何か気づいたみたいだね」


「副班長……、本当か……?」


「ええと、はい。それに、セツ班長がふざけているわけではないのも本当です」


「そうか……」


 はたきからの音が収まると、セツは軽くため息をついて苦笑を浮かべた。


「それじゃあハク、メイを呼んできて。後の世に物語の題材として使われそうなこの依頼について、説明会をしようじゃないか」


「……分かった」


 不服そうにしながらも、ハクは廊下の奥に消えていった。


「まったく。なんで人っていうものは、到底手に入りようのないものに恋焦がれるんだろうね」


「そうですね……」


 相槌を打ったものの、それが誰のことを指しているのかはリツには判断できなかった。

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