第23話 翅愛づる姫君・三
「やっぱりさぁ、咬神の姫君は助ける方向でいきたいよね。相当厄介な仕事になると思うけど」
午前の陽が差し込む部屋のなか、退治に必要な荷物をまとめながらセツが呟く。リツも飛び道具の切先を確認しながら頷いた。
「ええ。可能な限りは」
その答えが甘いものだとは自分でも理解している。それでも、今朝のハクの様子を見ても「人に仇なすあやかし、及びそれに魅入られた者は殲滅すべし」という結社の信条を貫こう、とは思えなかった。
「あやかしとの荒事は夜になるだろうし、烏羽玉の支部に着いたらまずは姫君の様子を診るわけだけど……、リツは同席しても大丈夫かな?」
「……はい。本部にいたころ似たような退治をしたこともありますから」
そのときは、結社に所属する女医たちが掻き出した卵を潰す役を受け持った。それほど凄惨な記憶になっていないのは、あくまでも産みつけられただけの卵だったからだろう。
しかし、今回は。
「とにもかくにも、まずは実態を見てみないとだね。予想よりもずっと簡単かもしれないし」
「そう願います」
「うん、まったくだね。さて、私のほうも支度ができたからそろそろ行こうか」
「はい」
二人は軽く頷き合い部屋を後にした。
※※※
リツたちは支度を終えると徒歩で烏羽玉の支部へと向かった。いつもであれば、任務へ向かう道中に和やかな会話をすることも多い。しかし、今日は沈黙が一行を包んでいる。
そんな重苦しい空気のなかたどり着いた支部の入口には、黒い装束を纏った白髪頭の男が立っていた。
「お待たせいたしました。咬神支部長」
それまでの空気を打ち破るようにセツが笑顔で声をかける。すると、咬神は無表情のまま軽く会釈した。
「いや、気にするな。こちらこそ忙しいなか無理を言って済まない」
そう告げる声も表情も至極淡々としたものだ。しかし、目の下には色濃いクマができている。
「詳しい話は中で」
短い言葉を残して咬神は踵を返す。それを追って邸に入ると、天井、壁、床の至る所から軽い音が聞こえてきた。
蟲に似たあやかしの退治は何度も請け負ったことがあるが、さすがに気が滅入る。そう考えて周囲を見ると、セツはいつもよりいっそう青白い顔をし、メイはいつもよりいっそう怯えた表情を浮かべていた。
そしてハクは。
「……」
怒りとも自責ともとれない表情を浮かべ、手を握りしめている。
上司としてなにか声をかけなくてはと思うが言葉がうまく見つからない。そんな視線に気付いたのか、憤然とした表情は苦笑に変わった。
「副班長……、すまない……。俺なら大丈夫だから……」
あからさまに大丈夫には見えない表情がそんな言葉をこぼす。すると、すぐ隣で深いため息がこぼれた。
「当たり前だ。事情を聞いたうえで着いてきたんだから、大丈夫じゃなきゃ困るよ」
突き放すような言葉に憤然とした表情が再びよみがえる。しかし、それはすぐに力無い苦笑に戻った。
「ああ……、班長の言うとおりだ……。早く詳しい話を聞きにいこう……」
「そう、ですね」
やりきれない思いを飲み込みリツは頷いた。
その後、一行はカサカサと音がする入り組んだ廊下を進み南天の植る壺庭に近い部屋に通された。
「さて、ことのあらましは班長殿に文で送ったとおりだ」
咬神はそう言うと部屋中をゆっくりと見回した。その視線を追うと壁際に所狭しと置かれた壺や甕が目に入る。そこからはやはり乾いた音が鳴り続いていた。
「……人目のつかぬ置いて守ってやるのが、蟲を扱う素質のないあれにとっての幸いだと思ったのだけどな」
不意に、哀れみを帯びた目を向けられリツは姿勢を正した。
「退治人として生きるとなると、本来なら女がするべきではない荒事にも駆り出されるのだから」
あからさまに自分のことを差した言葉だ。多少引っかかる言種ではあるが、おそらく同情から来ているのだろう。
特に反論する必要もない……
「ははっ」
……そう思ったが、セツからは乾いた笑いがこぼれた。
「まあ、それはそうかもしれませんね。それに比べれば、生理的に無理な場所に閉じ込めてあやかしに唆されるほど追い詰めるほうがよほどいい」
あからさまな挑発に軽い眩暈と頭痛が訪れる。
「セツ班長。お言葉が過ぎますよ」
「えー、でもさー。リツが本部にいたから退治できたあやかしが結構いたって聞くよ。それを全否定するようなことを言われるのは腹が立たない?」
「咬神支部長はそういう意図で言ったんじゃないでしょう。それに、仕事を評価されないのには慣れてますから」
「……そうだったね。よし! ここはひとつ咬神支部長を交えてライ班長の悪口大会を」
「不謹慎な大会を開催して事態をさらにややこしくしないでください! ただでさえややこしい事態でみんな滅入っているんですから! ……あ」
思わずこぼれた本音に冷や汗が背筋をつたった。慌てて顔を向けると、咬神の顔には苦笑いが浮かんでいた。
「……もうしわけございません、咬神支部長」
「いや、気にしないでくれ副班長殿。こちらも無神経な言い方だった。うん、今はいい職場と夫に恵まれているようで安心した」
淡々とした声から、嘘や悪意は感じられない。
「あれは今、隣の部屋で休ませてある。どうかよしなに頼む」
白髪頭が深々と下げられる。
やっぱりさぁ
咬神の姫君は助ける方向で
いきたいよね
リツは出発前に聞いたセツの言葉を胸のうちで繰り返しながら手を握りしめた。
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