第19話 愛はいつだって突然に


 淵から再び上がったソシエはうつむきながら川辺の岩に腰掛けていた。その横でモウモウサンが赤黒い目を光らせながら腕を組んでいる。

 リツはなんとも言えない脱力感を覚えながらセツに顔を向けた。


「セツ班長。ソシエ殿の処遇はいかがいたしますか?」


「そうだね、リツを傷つけようとしたわけだからそれなりの報いを与えたいところだけど……、依頼はあくまでも城に近づかないようにしてくれだからなぁ」


「ですよね」


 相槌を打ちならがらうつむく頭に視線を送る。今のところ意気消沈しているようだが、簡単に退治ができるとは到底思えない。


「……あの方が少しでもそう望んでいるのなら、この辺りでおいとましないといけませんわね」


 鋭い牙が並ぶ口から寂しげな声がポツリとこぼれた。その声は、自分たちを油断させるための演技には聞こえない。


「それでは、これでお引き取りいただけるのですか?」


「ええ、ええ、リツ様。お人形たちも全て壊れてしまいましたから。さきほどは囓ろうとしてしまい、もうしわけありませんでした」


 ソシエは姿勢を正し深々と頭を下げた。


「いえ。こちらもそちらの命を取るつもりで対応していたので、お気になさらずに」


 我ながら物騒な会話だなと思いつつ、リツも頭を下げる。そんなやり取りのなか、メイがおずおずと手を挙げた。


「あ、あの、ちょっと聞いても、いい、です、か?」


「もう、ぼっちゃまったら! いいに決まってるじゃない!」


 勝手に了承するモウモウサンの横で、硬い鱗に覆われた手が差し出される。


「ええ、ええ。どうぞ、メイ様」


「あ、えっと、ありがとうございます。その、帰っていただけるなら、助かるん、です、が……、兄に会って行かなくても、いいん、ですか?」


「ええ、ええ。構いませんわ。いま会ったところで、恩を返すこともできませんもの」


 落胆気味の声にほのかな罪悪感が芽生えた。だからと言って、城の者たちを殲滅して人形と入れ替えるなどという話を認めるわけにはいかない。


「あの兄さんなら……、『先日は助けてくださり、本当にありがとうございましたわ』的なことを伝えれば……、それだけで喜びそうだけどな……」


 ハクが完成度の著しく低い声真似を交えながらつぶやく。すると、ソシエは苦笑いを浮かべながらうなずいた。


「ええ、ええ。そうでしょうとも。それでも、苦しむあの方の力になれないのならワタクシなど……」


「ちょっと待ってくれ!」


 突然、河原に大声が響いた。


 一同が顔を向け先には武光が……


「今! 正に! 是非とも! ソシエ殿の力をお借りしたい!!」


 ……破れたり返り血らしきもので汚れたりでボロボロな衣を纏って立っていた。


 再びなんとも言えない脱力感に襲われていると、セツも力なくため息をついた。


「えーと、武光殿?」


「どうしたのだ!? セツ殿!」


「聞きたいことが満載なのですが……まず、その格好は一体?」


「うむ! これは、城の者たちが倒れた父を見て、『あやかしの仕業にに見せかけて中央の奴らがやったんでしょう!?』だの、『今からやつらの所に殴り込みに行きましょう!!』だの騒ぎ出してな!」


「それはそれは、また厄介な」


「そうだろう! しかも、落ち着けと言っても全く聞かないから、実力行使で黙らせてきたのだ」


「なんというか、お疲れ様です」


「ああ、本当にな」


 武光はうなだれると深いため息を吐いた。


「たしかに俺たちは元々、都から来た者たちとは違う勢力だ。ずっと昔はそれで国司たちと一悶着あったとも聞いている。それでも今は協力関係にあるし、とくに目殿なんかには色々世話になっているんだ」


 河辺に深いため息が再び響く。


「それを大昔の因縁だの、血筋がどうだの言って恩を仇で返そうとする奴らにほとほと嫌気が差してな。弟の件でもずっと思うところはあったし」


 疲れ果てた顔を眺めながら、リツは腰に差した短刀に手をかけた。この状況でソシエの力を借りるということは。


「リツ」


 しかし、穏やかな声が動きを制止した。


「ダメだよ、話は最後まで聞かなきゃ」


「……承知いたしました。セツ班長」


 たしかに、武光から殺意は微塵も感じない。


「紛らわしくてすまなかったな、リツ殿」


「いえ、こちらこそ失礼いたしました。それで、どのような形でソシエ殿の力を借りたいのですか?」


「ああ、それはだな。今回の件で城を出ていく決心がついたのだが、この状況で俺がいなくなれば絶対に親父たちが騒ぐから……、俺の人形を作ってくれないか?」


 申し出を受けると、ソシエは目を見開いた。


「え、ええ、ええ。それは構いませんが……」


 おどおどした赤い目と視線が合う。

 人形を用いて人に危害を加えるつもりならば、退治人として見過ごすわけにはいかない。しかし、今回はあくまでも諍いを防ぐための身代わりをつくるという話だ。


「私たちとしては別に咎めるいわれはないですよね? セツ班長」


「うん。私たちは人を害するあやかしを退治したりするのが仕事だけど、合意の上で秘術的なものを使う分には別に、だし」


 セツが答えると、側でハクもうなずいた。


「放免的にも……、謀反とか起こしちゃいそうな奴らを……、見張ってくれる人形を置いていってくれるなら……、めちゃくちゃ助かるし……」 


 退治人一同の言葉を受けて、岩のような鱗に囲まれた赤黒い目が輝いた。


「ええ、ええ! それなら、武光様のため! 尽力いたしますわ!」


「もう! よかったわねソシエ!」


「ええ、ええ! 本当に!」


 ソシエとモウモウサンが喜び合うなか、武光も満足げにうなずいた。


「うむ! ソシエ殿、本当に感謝する!!」


 河辺は一気に大団円的な空気に包まれる。


 そんななか、ただ一人。


「あ、あの、兄様、一ついい、ですか?」


 メイだけが困惑しながら手を挙げた。


「うむ! どうした、弟よ!?」


「えと、その、お城には、ソシエさんに作ってもらった、人形を、置くんですよ、ね?」


「そのとおりだ!」


「な、なら、兄様本人は……どこに、行くのですか?」


「ああ、それはだな……ソシエ殿!」


 突然名前を呼ばれ、ゴツゴツした尾が大きく跳ねた。



 そして……


「ええ、ええ。なんで、ございましょうか?」


「うむ! そなたの武者修行に俺を伴侶として連れていってくれ!!」


「ええ、ええ。もちろ……え?」


 ……唐突な愛の告白に、再び赤い目が見開いた。



 そんないきなりな展開のなか……


「や、やっぱり、そう、なりますか。兄様、昔から、あやかしの女性に、告白しては、袖にされていましたから、ね」


 メイはいつになく遠い目をし……


「まあ……、好みはそれぞれだし……、義理の姉が鰐なのも……、カッコいいんじゃないか……?」


 ハクが特殊な性癖に一定の理解をしめしながら慰めの言葉を発し……


「そうだね。まあ、昨今のしたい山はこんな感じにめでたしめでたしでもいいんじゃないかな? 知らんけど」


 セツがわりと無責任な言葉を言い放ち……


「もう! 種族を越えた愛だなんて素敵じゃない!」


 モウモウサンはキラキラと目を輝かせ……


「めでたしなのは良いのですが、本部への報告はどうまとめればいいんですか、これ?」


 ……リツは頭を抱えながら脱力した。


 かくして日が傾きはじめた空のしたで、「ワニが通ってきちゃった騒動」は一応の収拾がついたのだった。

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