第13話 鮫は嵐が来ると飛ぶらしいし

 抜けるような青空の下、リツの頭は軽い鈍痛に苛まれたままだった。


 あやかしの不明点もそうだが、短い間とはいえ部下として接した相手が有力者の子息だったことがより頭痛の種になっている。


「メイ……、お前本当に、いいところの坊ちゃんだったのか……。今まで馴れ馴れしくして……、すみませんでした……」


「や、やめてくださいよハクさん! たしかに、家は昔からあの辺りをとりまとめてましたけど、い、今の僕はあくまでも、駆け出しの退治人なんですから!! い、いままでどおりに接してくださいよ!」


「はい……、おおせのままに……、坊ちゃん……」


「だ、だから、頭をあげてください!」


 からかっているのか真面目なのか分からないハクの態度に、メイが慌てふためく。


「セツ班長、リツ副班長ぉ」


 打ち震える子犬の表情で見つめられ、頭痛はさらに重くなった。


「ハク。ひとまず本人が気にするなと言っているんですから、あまり恭しく接しすぎるのはよくないですよ」


「分かった……、副班長……。じゃあいつもどおりに……」


「そうしてください。それと、セツ班長」


「うん、何かな?」


 軽薄そうな笑顔がどこかわざとらしく首をかしげる。


「何かな、じゃないですよ。なんでメイの素性を明かしてしまうんですか?」


 ハクにはああ言ったものの、有力者の血縁者と知った以上、やりにくくなることもそれなりにある。そもそも退治人の決まり事として、真名を目上の者が知っておく必要はあるが、詳しい素性は班長以上の役職しか知ってはいけないことになっている。


 たとえそれが結婚相手であってもだ。


 知る必要があるとすれば、班長が退任して次の者に立場を譲るときのはず。


「いやぁ、ごめんごめん」


 しかし、セツはいたっていつもどおりの笑顔を浮かべたまま謝った。退任のような重大な事項があるとは思えないが、息が僅かに苦しくなる。


「いきなり素性を話したら混乱するかなー、とは思ったんだけどね」


「それはするに決まっていますよ」


「大丈夫、大丈夫。私が第七支部を去るからリツたちに事情を話した、とかそういうことじゃないから」


「……そうですか」


「ふふ。私は妻を残して別の場所に一人去っていくような夫ではないから、安心してくれていいよ」


 どこか諭すような調子の甘い言葉に息は楽になった。それと同時に部下二人からはジトっとした視線を感じる。


「今そういうのいいですから。素性を私たちに明かした理由を教えてください」


「ごめんごめん。えーとね、メイのお兄さんって何度かあったことがあるけど、なんというか裏表がない感じの人だからさ」


「そう、なんですか?」


「うん。だから伺った矢先に『おお! 息災だったか弟よ!!』とか言い出して、みんなが混乱する件があって、時間が押して、退治が夕暮れから夜になったりしたら大変じゃない?」


「たしかに、日が沈んだ後に水辺でイザコザするのは避けたいですね」


「でしょ? だから、ややこしいことはこっちにいるうちに済ませておこうと思って」


「そう、ですか」


 一理あるようなそうでもないような説明に、自然とため息がこぼれた。たしかに、退治直前に混乱するのは得策ではない。


 だからといって──


「そうそう。ちなみにメイはあやかしを使役する力を気味悪がられてお兄さん以外の味方がいない状態なうえに、ほぼ追い出されるようなかたちで新しい氏を与えられて家を出ています」


「だから、部下のわりと重々しい素性を雑に明かさないでください」


 ──時間が押すからという理由で、圧縮した説明で済ませていい話ではない気もする。



「まあまあ、いいじゃないか。これで、ものすごく稀有な特技を持っているのに、自己評価が地の底みたいになっている理由が分かったでしょ?」


「それも、そうですが」


 視線を送ると、メイは困惑した表情で勢いよく頭を下げた。


「え、えっと、面倒な話で、ごめん、なさい!!」


「いえ、メイが謝ることではないですよ。今まで大変だったんですね」


「あ、えっと、でも兄様がいて、くれたし、今は第七支部の皆さんも、よくしてくださってるんで」


 上げられた顔にはにかんだような笑顔が浮かぶ。


「メイ……、安心しろ……。なんか物凄い特技を持ってるのに何故か蔑ろにされる有力者の末っ子は……、そのうちちゃんとチヤホヤされるというのが神代の昔からの定石だ……」


 ハクの言葉に思わず「どんな定石だ」と口に出しそうになった。しかし、言われてみると神話にも「兄たちに迫害されていたが、最終的に立派な宮殿をたてて国を治めることになった神様」がいたはず。


「べ、べ、別に、僕は、チヤホヤされなくても、いいのですが」


「メイ……、正直になっても大丈夫だ……。俺だって娘さんたちからチヤホヤされたいし……」


「私も、私も! 昔は主に兄とかの家のやつらのせいで散々な目に遭ってきたから、今は最愛の人から人目も憚らずにチヤホヤされたいなー」


「分かりました。では、依頼についてまだ不明点が多いので、質問を続けてもいいですね?」


 話を聞き流すとセツは大げさに頬を膨らませて腕を組んだ。


「もう! リツってばノリが悪いんだから。でも、まあ、情報共有はしないとね。他に気になったことは?」


「はい。今回はまだ通ってくるだけで実害がでていないようですが、退治することになるんですか?」


「その辺りはまだなんとも言えないね。話も通じる相手みたいだし、どうやって恩返ししようとしてるのかも不明だから。できればしたい山よろしく、説得してお帰りいただきたいところだけど」


 それがダメなら実力行使ということなのだろう。


「は、はい! 僕も、質問、していいですか?」


「うん、いいよ。メイ」


「あ、ありがとうございます! えっと、兄様からの話、だと、あやかしは一夜にして、淵を作ったんですか?」


「そうだね、一夜は言い過ぎかもしれないけど……、短い間でできたみたいだよ」


「なら、えっと、かなりすごい力の持ち主、ですよね?」


「うん。だから、いざという時は刀で立ち向かうよりメイに強力なあやかしを呼び出してもらおうと思うけれど……、できそうかな?」


「は、はい! 出発までに、準備、しておきます!!」


 たどたどしいながらも力強い返事に、リツは頭痛が軽くなるのを感じた。これで、いざというときは相手を倒すことよりも、仲間を守ることに専念できる。自分以外が全て潰されることなど二度と起こさせないと、静かな決意が胸のうちに生まれた。


「ありがとう、頼もしいよ。他には何かあるかな?」


「じゃあ……、俺からもいいか……?」


「うん、いいよ、ハク」


「ありがとう……。まず、そもそもの話なんだが……」


 ハクが一呼吸おいて怪訝そうな表情を浮かべる。



 そして──


「いくらあやかしだからとはいえ……、鮫って……、陸上で生きていけるのか……?」


「うん。本当にそれな」

「そうですよね」

「ぼ、僕も気になってました!」


 ──全員が揃ってうなずく質問を口にした。



「海の向こうには陸魚だとか文鰩魚ぶんようぎょだとかの水中以外でも生きられる魚のあやかしがいるらしいけど……、どっちも鮫ってかんじの見た目ではないしなぁ」


 セツの言葉を受け以前読んだ古い異国の書物が思い出された。陸魚は鯉と中年男性を雑に組み合わせたような姿、文鰩魚ぶんようぎょはナマズに羽を切り貼りしたような姿をしていたはずだ。

 たしかに、どちらも鮫とは似ても似つかない。


「まあでも、ほら、神代の昔よりさらに遥かな昔には、鮫が嵐に乗って飛んでくる、なんてのも日常茶飯事だったらしいし」


「どんな日常なんですかそれは」


 今度こそ思っていることが即座に口に出た。どんなに記憶を遡っても、そんな恐ろしいはずなのにどこか脱力を禁じえない神話は読んだことがない。


「いやいや、本当だって。そんな話があったって記録を本部の禁書庫で読んだことがあるんだから」


「またそんな出まか……」


 出まかせを、と言いかけて自ずと口が止まった。


 思えば禁書庫に入ったことを出まかせと断じることができるほど、夫の素性を知っているわけではない。


「ははは、リツはなかなか手厳しいね」


 リツの目には、まぶしい光のなか浮かぶ苦笑が酷く遠くにあるように映った。

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