第11話 空に浮く月
詰所に戻ったリツは禊を兼ねた湯浴みを済ませると、報告書の作成に取りかかった。
依頼人の嘘。
ユウマが語った被害者の最期。
黒いシミから伸びあがるあやかし。
塵に還っていく異形の骸。
それらをまとめていくうちに、都にいる妹の顔が頭に浮かんだ。
文の返事がないのは忙しいからだと言い聞かせてきた。しかし、今回のような件に巻き込まれている可能性がないとはいえない。
「……」
リツは報告書を書きあげると文用の紙を取りだし、一言でもいいから返事がほしい、と歌にして書き綴った。
「まるで、美貌の姫君に恋焦がれる殿方ですね」
思わずこぼれた冗談が誰に聞かれることなく部屋の中に響く──
「うん。どこぞの権中納言を彷彿とさせる情熱的な歌だね」
「!?」
──はずだった。
いつの間にか文机の向かいにセツが腰掛けている。
「おや? なんか怪訝そうな顔してるね。あ、権中納言がどの権中納言かっていうと、後に斎宮に卜定される姫君に恋して袖にされまくった歌をバッチリ歌集にまとめられちゃったあの……」
「いえ、それは分かっていますよ。多少、その方の歌を参考にしていますし」
「うんうん、つれない相手の気を引く歌なら彼に任せておけ的なところもあるもんね。ただ、年端もいかない娘さん相手に『かまってくれないなら雪と一緒に消えちゃうんだからね!』的な歌を贈るのはいかがなものかと」
「いや、その辺は姫君も歌を返していますし、一種の軽口を叩き合っていたみたいなものかと……、じゃなくてですね。いったい、いつから居たんですか?」
大いにそれた話の軌道を戻すと、向かい合った顔に笑みが浮かんだ。
「妹君への文にとりかかったあたり。廊下から声をかけたんだけど返事がなかったから、心配になって入ってきちゃった」
「お気遣いはありがとうございます。ただ、気配を消して近づくのはやめていただけますか」
「ははは、ごめんごめん。驚かせるつもりはなかったんだよ。ただ、ハクほどじゃないけど、私も気配を殺すのが日常茶飯になっているから。さて」
不意に机の端に置いた報告書に手が伸びた。手入れはされているが、薬指と小指のつけ根が硬くなっていることはすぐに分かる。支部の責任者を務めているのだから、今まで無数のあやかしを塵に還してきたことは想像に難くない。そして、これからも無数のあやかしを塵に還していくのだろう。
それは自分だって同じことだ。
「報告書は出来上がっているみたいだね。こっちは目殿たちにも見てもらわないといけないから、文のほうだけ先に送って……うん? どうしたの? しらべ」
視線に気づいたセツは軽く首をかしげた。
「……セツ班長」
「二人きりのときは雪也って呼んでほしいなー……なんて、言ってる場合じゃなさそうか」
「えっと、すみません」
「ふふ、気にしなくていいよ。今日の仕事のせいで、いろいろと不安定になっているような気がしていたし。多分、あの類のあやかしを前にも退治したことがあるか、とか聞きたいんでしょ?」
「……はい」
「あはは、だよね」
笑みが苦笑に変わった。
「残念ながらそれなりにあるし、これからも同じような依頼が来ることはもちろんあり得るよ」
「そう、ですよね」
退治人をしている以上、それは仕方がない。次は自分がとどめを指す覚悟を持つべきだということも分かっている。
ただ、もしもそれが。
「……妹君のことなら、安心してくれて大丈夫だよ」
「え?」
突然の言葉にリツは我に返った。
「一応、私ほうにも妹君についての報告はきているからね。ライ班長のことで少しせわしないみたいだけど、今のところ新しい縁談は出ていないし、あのおっさんみたいな輩が屋敷の辺りをうろついているなんて話もない」
「そう、ですか」
「うん。だから、今回みたいなことは当面は起きないはずだし、安心して大丈夫だよ」
「……はい」
優しい声が少しだけ気持ちを軽くさせた。
しかし、なぜか頭のなかで妹の笑顔と、濁った金色の目が細められていくさまが重なる。
「……しらべ」
「っ!?」
気がつくとすぐ目の前に微笑みが迫っていた。
「妹君とはいえ、夫と二人きりのときに別の者のことを考えるのはあまりいただけないかな?」
「もうしわけ、こざいません」
「ふふ、分かってくれるならいいよ」
手のひらが軽く頬に触れた。袖口から甘くかすかに苦い香りが漂う。きっと刀傷につけた薬なのだろう。
「……ごめんね。全ての厄介ごとから君を遠ざけることは、できないかもしれない」
「……別に、そのようなことは望んでいませんよ」
「そう言ってもらえると、ありがたいかな。それでも、しらべのことは必ず護るよ」
いつしか笑みは消え、どこか悲壮が漂う表情が浮かんでいる。
「だから、私だけを見て」
「……分かりました」
「うん。ありがとう」
頬に触れていた手に力が込められ顔が引き寄せられる。思わず目を瞑ると唇を軽く啄まれるのを感じた。
「……しらべ」
唇が離れると同時に目を開くと、目の前には熱を帯びた表情があった。
「このまま、続けてもいいかな?」
「……はい。仰せのままに」
「ふふ、ありがとう」
さらに深く口付けられ、再び自然と目が閉じる。
「しらべ……、愛してる……。だから……」
水音と吐息に混じりどこか苦しげな声が聞こえてくる。
空には相変わらず欠けたところのない月が輝いていた。
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