第10話 はい、それは人間でした。
小屋の戸口で、苦笑を浮かべたセツが首をかしげた。
「リツはさ、本部にいたころ資料室に入ったことはある?」
リツは緊張した面持ちで軽く頷いた。
「はい。実践のほかに退治対象に類似したあやかしの資料を読みこんで、対処方法を考案することも任されていましたから」
二人の頭上には眩いばかりの満月が浮かんでいる。
「ああ……、本当にそんな仕事まで押しつけられていたのか。大変だったね」
「いえ、書物を読みこむのも嫌いではないので」
「そっか。ならさ」
そして、二人の眼下には。
「ギ」
「いたい痛いいたい痛いいたいいたいいたい」
依頼人の男を喰む、黒く長い虫のようなあやかし。
木々を揺らす風に腥い匂いが溢れかえる。
「あれがなんなのか、分かったりするかな?」
「……はい。実際に目にしたのははじめてですが」
どこか悲しげな会話に水音と咀嚼音がまじる。
「ギ」
「たすけっ゛、たすけ゜っ」
月明かりのした
「まあ、でもあのおっさんも幸せなんじゃないかな」
「幸せ、ですか?」
「だってほら、相思相愛の相手と一つになれたわけだから。形はどうであれね」
「ギ」
黒く長い虫のようなあやかしが、濁った金色の目を細めた。
※※※
話は少し前に遡る。
「被害者のご家族からの依頼っていうのはね、あのおっさんを襲いにきたあやかしの退治なんだよ。ちなみに、もう分かっていると思うけど『あのおっさんを助ける』っていうのは含まれていないんだ」
苦笑を浮かべるセツに向かって、リツは軽くうなずいた。
「それは、そうでしょうね」
「うん。だから、あの男があやかしに襲われたとしても、救助より退治を優先する」
つまり、見殺しにするということを人殺しと称したのだろう。たしかに、あまり気分のいい話ではない。それでも、同じような経験は任務で何度かしている。今さらどうこう思い悩むことでもない。
それよりも、気になることがあった。
「そんなに都合よく、あの依頼人があやかしに襲われたりしますかね?」
自然と目がメイと熊のあやかしに向く。二人はほぼ同時に首を横に振った。
「ぼ、僕はけしかけたりしませんよ! 」
「俺も、襲わないぞ。人なんて命懸けで食うほど美味くないし」
「ですよね。すみません」
予想通りの反応にリツは深々と頭を下げた。
「ふっふっふ。その点は確実に大丈夫なんだよ。まあ、万が一ハクに真実を打ち明けてくれれば、一番角が立たないんだけどね」
「ハクに、ですか?」
意外な名前に目が軽く見開いた。
「うん。あいつ退治人と
「放免って……、元罪人の検非違使ですよね?」
「そうだよ。この間、一緒に本部へ顔を出したとき、あいつ迷子になったうえに間違ってかなり偉い人の家に入っちゃってね。色々と悶着があって、このあたりの罪人を取り締まる手伝いをすることになったんだ。うちも人手はギリギリだったのに」
虚な表情から乾いた笑いがこぼれた。たしかに、人間のイザコザにまで対処しなくてはならないとなると負担がかかりすぎる。
「心中、お察しいたします」
「ありがとうね。でも、目殿もその上の人もまだ話が分かるほうだから助かってるよ。今回、本来ならハクには屋敷に忍び込んで色々と見つけてもらうはずだったのに、ちゃんと責任者立ち合いのもとでさがせることになったし」
「そうですか。でも、目殿があの男と共謀して隠し立てをしたりということは?」
「まずないね。なんなら、目殿もはじめからあのおっさんを疑ってたから。ご家族から正式に依頼がきて助かったって言ってたよ。これで、駄々をこねられずに部屋を調べられるって」
「駄々をこねていたんですか」
「うん。話を聞こうとするたびに、愛しい妻を亡くした相手をなぜうたがうのですかって、泣いて騒いで大変だったらしい」
小屋のなかに誰のものとなく深いため息がこぼれた。
「話がそれちゃったね。ともかく、そんなこんなであのおっさんか罪を認めて捕まってくれるなら、少しは……」
「こら!! 虫ケラども!!」
突然、怒鳴り声とともに扉が叩かれた。
「早くあのあやかしの骸を渡せ!! そうすれば、目殿も話を信じるはず!!」
声の主は間違いなくあの依頼人だ。
ふたたび、部屋のなかに深いため息がひびく。
「……まあ、やっぱりこうなるよね。さて」
セツが疲れた表情で懐から短刀を取り出し鞘を抜いた。
「リツ、メイ、あとそこの熊の……」
「ああ、名乗り忘れてたな。俺はユウマだ」
「ご丁寧にどうも。じゃあ三人とも多分大丈夫だと思うけど、私の後ろに隠れてね」
相手なら私が、そう言いかけてリツは口を噤んだ。短刀を構える表情から笑みが消えている。どう考えてもあの男は、支部の責任者が緊張するほどの実力者には見えない。だとしたら、警戒しているのはもっと他の。
「う」
背後に回ると、いままで落ち着いていた嫌な気配が色濃く蘇りリツは口をおさえた。
「……大丈夫だよ。
背中越しに悲しげな声が聞こえる。アレとは何か尋ねようとしたところで、戸が再び激しく叩かれた。
「おい! 聞こえているんだろう!? 薄汚い虫ケラどもめ!!」
「聞こえているよ。でも、人殺しに薄汚いなどと言われたくはないかな」
「なっ!?」
「おおかた、攫ったときに使った薬か、斬りつけた刀でも見つけられて、ここまできたんだろう? あやかしの骸でも突き出せば有耶無耶にできると思って」
「だ、だまれ!!」
「否定はなし、か。しかも、その様子だと反省もしてないな」
「黙れと言っているだろう!! ともかくここを開けろ!! 役立たずの虫ケラどもに変わって、私がこの手であやかしを……?」
どうするのか、という言葉よりもさきに戸が自ずからガタガタと震えはじめた。途端に、床にできた黒い汚れも沸き立つように震えだす。
「大丈夫だよ。戸はもう開くから、ね」
投げやりな声がこぼれた途端、汚れは長い虫のような姿に変わりながら天井付近まで伸びあがり、戸を突き破って外へ外へ飛び出した。そして。
「う……ぁぁあぁぁあああ!?」
「ギ」
腰を抜かした男の腹に口をつけ、濁った金色の目を輝かせながら
「……じゃあ、私は依頼を完遂しにいくけど、二人はどうする?」
「ぼ、僕は遠慮して、おき、ます……。あんまり、あやかしが、怖くなるようなところを、み、見るわけにいかない、ので」
諸々が震えた返事にリツも納得した。あやかしを使役するものは、使役対象を恐れてはならないものだと聞いたことがあったからだ。ただし、そういった事情がないのなら。
「うん。懸命な判断だよ、メイ。さて、リツはどうする?」
「……ご一緒いたします」
「……そう、ありがとうね。じゃあ、表にでようか」
「はい」
そうして、二人は月明かりの下で食事を続けるあやかしのもとに近づいた。
※※※
あやかしは、悲鳴すらあげなくなった男をひたすら食い続けている。
「殺されたり屈辱的な死を押しつけられたりで強い恨みを持ったものの魂があやかしに転ずる、なんて話はよく聞くけどさ」
「はい」
「実際目にしてみると、やるせないもんだよね」
「そうですね」
「この子も自分を無理やり拐かしたあげく殺めた男なんて、食いたくなんかなかったろうに」
セツの憐れみを帯びた目が、骨についた肉を刮ぐ姿に向けられる。リツも同じ目をしながら深くうなずいた。
「強い恨みの対象を食べ終えたら、人を殺めたものを探して彷徨うんですよね?」
「うん、餌とか
「そうですか」
なぜ理不尽を受けたものが、死してまで苛まれないといけないのか。そんな思いが腰に差した刀の柄に手を運ばせた。
「リツ。そこまでは君の仕事じゃないよ」
穏やかな声が動きを制止する。
「これは私の仕事」
「ですが……」
「ダメなものはダメ。こんな生業だとはいえ、せめて汚い仕事はさせたくないんだ。だから、分かって?」
「……」
子供を諭すような声に反論をすることができなくなった。
「うん、いい子だね。さて、何某の姫君」
声をかけられると、あやかしは骨に成り果てた男から顔を上げた。
「ギ」
「まだ、人としての意識はあるみたいだね。このまま全てを終わらせてあげるから、こちらへおいで」
濁った金色の目が短剣の切先を向けるセツを凝視する。しばしの沈黙ののち、その目は静かに閉じられた。
「ギ」
巨大な頭がおもむろに刃の前へ差し出された。
「よしよし。じゃあ、おやすみ」
眉間に短剣を突き立てられたあやかしは、灰白に染まり塵となって崩れていく。ごく見慣れた退治の光景のはずだ。
「さ、これで依頼は完了だよ」
悲しげな笑顔とともに鞘に収めた短刀が懐にしまわれた。
「……お疲れ様でした」
「うん、リツもね。さて、もう帰ろうか。今回はハクに放免側の仕事をお願いしたぶん、報告書はこちらで書かないといけないから」
「なら、私もお手伝いします」
「ふふ、ありがとうね。おーい、メイもう帰るよー」
小屋のなかから慌てた声が返ってくる。
「さ、行こうか」
「……はい」
差し出された手をリツは握りしめる。その手が刀を握り慣れた感触をしているということが、なぜか強く感じられた。
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