第8話 犬も食わないなら熊はどうなのだろうか
それから、リツたちは退治の準備や簡単な依頼をこなしつつ日々を過ごした。その間に妹から文の返事はこなかった。心配はしたものの、向こうも婚約者を亡くしたばかりで文を暇がないのかもしれないと、更に文を送ることはしなかった。
そして迎えた決行日の午後。
「それじゃあ、みんな。準備はできたかな?」
「は、はいです!」
「問題ない……」
旅装束の女性に変装したセツの問いかけに、メイとハクが返事をする。しかし、リツは複雑な表情を浮かべながら口をつぐんでいる。当然、準備は出来ている。
出来てはいたのだが。
「あの、セツ班長」
「うん? どうしたのかな、リツ」
「私のこの格好は一体?」
今日の仕事に必要だと渡されたのは、普段の退治人装束ではなく艶やかな狩衣だった。
「ふふふ、大丈夫。リツは男装していてもすごく魅力的だよ」
軽薄そうな笑顔に軽い頭痛が起きた。下手をすれば命に関わる任務だというのに、何をふざけているのだろうか。
「だから心配しないで」
「いえ、そんなことを心配しているのではなくてですね。当初は、被害者が襲われたという辺りでセツ班長が囮となって、あやかしが現れたら隠れていた私とメイで奇襲をかける、という予定でしたよね」
「うん、そうだったね。でも今朝早くに、目殿がこっそりやってきてね」
「あの依頼人の主人の?」
「そうなんだよ。ほら、依頼人が言うには『足を怪我した女性を介抱していたら、雨が降ってきたので小屋に隠れた』って話だったけれど、いくら探してもあの辺の道ばたにそんなものはなかったじゃない?」
「そう、でしたね。そのうえセツ班長が尋ねにいっても、『気が動転していたんだから、細かいことなんて覚えていない』で押し通されたんでしたっけ」
「そうそう。でもさ、目殿が少し心当たりがあるって言ってきたんだよ」
「心当たりですか?」
「うん。だから一緒にその場所まで行けば、リツがあやかしの棲家を見つけられるんじゃないかと思って」
たしかにある程度場所の目星がついているのなら、他のあやかしの気配と間違える、という事態は避けられるだろう。奇襲要員として待機するよりは自分の強みを活かすことができる。しかし、腑に落ちない点が一つあった。
「それなら、別に女装と男装をしなくてもよかったのでは? 相手を油断させるのも、普通に旅の夫婦にでも変装すれば充分でしょうし」
「まあ、そうなのかもしれないけどさ。こっちのほうが第一撃がリツに向く危険が減るだろうし」
いつの間にか、化粧を施した顔から軽薄そうな笑みが消えていた。
「悲しいことに、あやかしの探知は君に頼るしかないのが現状だからね。できれば危険な役目は任せたくないんだけど」
「……」
それは自分のこと力不足だと思っているのか?
そんなくだらない疑問は、どこか悲しげで穏やかな笑みを前にかき消えた。
「だから、ほんの少しでもリツを守れる可能性が上がるようにしたいんだ」
「……かしこまりました。私も命に代えてでもセツ班長をお守りしますので」
「こらこら、いきなり夫の気遣いを無碍にしないでよ。と、まあ、ひと通りのろけさせてもらったところで」
セツは苦笑を浮かべながら首をかしげる。
「リツとメイはちょっとだけ作戦変更。対象をすぐに仕留めるんじゃなくて、動きを止める程度に加減して」
「はい」
「わ、かりました!!」
「うん、ありがとうね。ハクは当初の予定どおりでお願いするよ。かなり動きやすくなってると思うけど、気は抜かないようにね」
「了解した……。気をつける……」
「うん、みんな聞き分けが良くてたすかるよ。それじゃあ、仕事にむかうとしようか」
「はい」
「はい!」
「了解……」
かくして、一同はあやかしが現れた小屋へと向かった。
※※※
空が茜色に染まるころ、リツたちは目的地付近にたどり着いた。
「さて、メイとハクも担当場所に向かったし。私たちもそろそろ行こうか」
セツが微笑みながら首を傾げた。たしかに、完全に日が落ちる前に先に進んだほうがいいことは分かる。
「おや? またなんか腑に落ちないって顔してるね」
「はい。だって、ここは」
鋭い目が向いた先は獣道の入り口だった。
「足を挫いた女性が入っていけるような場所ではないですよね?」
「うん、まったくもってそのとおりだね。まあ、背負って進めばいいのかもしれないけれど」
「そんな必要はないと思います」
「だよねー」
深いため息とともに、微笑みが落胆に似た表情に変わっていく。
「なにかの間違いという可能性は?」
「なさそうだね。目殿の話だと依頼人と被害者はしんがりを歩いてたらしいんだけど、この辺りで姿がみえないことに他の人が気づいたんだって。ちょっと前にはたしかに居たのに」
「そうですか……、ならまずは探してみます」
「うん。お願いするよ」
リツは軽く頷き目を閉じた。
風が運ぶ草木の匂いや、鳥や獣の気配にまじり微かに不穏な気配が漂ってくる。気配のする方向を特定した途端、腐った肉を涙と諸々の体液で煮込んだものを突きつけられた衝撃に襲われた。
「うっ」
混みがってくる不快感に思わず身を屈め口を押さえた。
「リツ!? 大丈夫!?」
「大、丈夫です。場所はこの先で間違いないと分かりましたから」
「そうじゃなくて、体調のほう! つらいようなら私一人で行ってくるよ?」
「問題ありません。向かいましょう」
ふらつきながら立ち上がり、壺装束の袖からのぞく手を取る。すると、セツは軽く目を見開いてから満足げに微笑んだ。
「ふぅん、今日は積極的だね。なら、共寝をするときも衣を入れ替えることにしようか?」
「なにロクでもないこと言っているんですか。日が沈まないうちに行きますよ」
「はいはい」
軽薄そうな返事とともに握った手がキツく握り返された。
二人は手に手をとって悪路を進んだ。目的の小屋は、日が沈み切らないうちに見つけることができた。
「すみません。どなたかいらっしゃいますか?」
戸を叩きながらセツが裏声で問いかけても返事はない。試しに手をかけてみると、多少がたつきながらも開けることができた。
中にはさきほど感じた異様な気配が色濃く渦巻いている。それだけはでなく。
「……ここで間違いないね」
「……そのようですね」
床中に黒い汚れがベタリとこびりついていた。少なくとも、何者かがここで息絶えたことは間違いないだろう。
「さて、じゃあここの主人待ちたいところだけど、なるべく早く出てきてほしいよね」
「そうですね」
「なら、一芝居打つことにしようか」
「芝居?」
「うん。ということで」
セツが微笑みながら、おもむろに懐から小刀を取り出し鞘を抜いた。
そして──
「貴方様と添い遂げられないなら、こんな命などいりません!!」
「!?」
──裏声で叫びながら自らの手首に刃を這わせた。
大げさに倒れ込んだ身体を慌てて抱えると、軽い笑い声がこぼされた。
「ふふ。なかなか痴話喧嘩っぽいでしょ?」
「なにバカなこと言ってるんですか!? はやく、手当を」
「大丈夫だよ。ちょっと痛いけど、このくらいならたいしたことないからね」
穏やかな微笑みが子供をあやすような声でつぶやく。その瞬間、背後に異様な気配が現れた。
「ほら、来たよ」
笑みが消えた目が向く先に、リツも振り返る。
その先に成人男性ほどの背丈のあやかしが立っていた。一見するとただの農夫のようにも思えるが、肩から生えているのは間違いなく熊の腕だ。
「なんだ」
固い毛に覆われた腕を組みながら、あやかしは冷ややかな視線を向けてきた。その目は濁った金色をしている。
「また、人間か。あまり食いたくないが……、少しはマシな匂いがするな。ほら、どうせ死ぬんだから、お前もそれ置いて早く去れ」
林の中に煩わしさを隠さない声が響く。
それはまるで、つい最近同じなようなことが起きたばかりだと言いたげな口ぶりだった。
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