第7話 井戸の辺りで遊ぶのってよくよく考えると危なくない?

「だいたいだな! 虫ケラが人の真似事をしていること自体が──」


 第七支部の玄関先では、相変わらず依頼人の男ががなり立てていた。元上司兼婚約者のおかげで似たような状況に慣れているリツは、怒鳴り声を聞き流しながら相手の様子に目をやった。


 服装からして、貴族と呼ばれる身分でないことは分かる。外見が優れているわけでもない。現れてから今まで罵詈雑言を放ち続けているのだから、内面が優れているとも考え難い。


 不意に、都からここまでの旅路が思い出された。近くの港からはそれなりの距離があるうえに、そこそこ険しい道も通らなくてはならない。当然、あやかしや賊に襲われる危険もある。


 そんな旅を有力者との結婚を控えた娘が、自ら選ぶだろうか?


「おい、そこの醜女! 何を睨んでいる!? 不愉快だからこっちを向くな!!」



 こんな男のために。



 ヒキガエルから愛嬌を取り除いて陰険さをまぶしたような相手に、容姿をどうこう言われるのはさすがに腹立たしい。しかし、こういった手合いに反論していても時間を浪費するだけだとも知っている。ここは、平謝りしておくのが一番だろう。


「もうしわけございま──」


「おやおや、随分な言いぐさですね」


 どこか軽薄な声が謝罪の言葉を遮った。セツが口もとだけで微笑みながら、男に冷たい視線を送っている。


「たしかに妻は目つきが鋭いふしはありますが、実に美しいと私は思いますよ」


 白い手が肩を軽く抱き寄せた。こんな風に誰かに庇われたのは、少なくとも仕事に就いてからは、はじめてかもしれない。


「あまりこういうことを言いたくないのですが、妻も私も位でいったら貴方よりもずっと上なのですよ? いくら依頼者とはいえ、そのあたりを弁えてほしいのですが」


「っ黙れ!! 貴族でもないくせに!!」


 醜悪な顔が怒りに歪みさらに見るも耐えない有り様になっていく。


「ええ。退治人に血統はあまり関係ないですからね。なので、貴方のような方でもなりたいというのなら、いつでも歓迎いたしましょう。人手が増えれば、ご依頼の件にすぐに取り掛かれるかもしれませんし」


「ふざけるな!! 誰がお前らのような穢れた真似など!!」


「なら、大人しく依頼の決行日まで待っていてくださいよ。これ以上騒ぐようなら」


 少しも笑っていない目が、男の背後に向けられた。いつの間にかハクと、困惑した身なりの良い男が立っている。途端に痘痕だらけの顔に冷や汗が浮かんだ。


「っ!? さかん殿!?」


「これ、麻丸あさまろ。姿が見えないと思ったら、こんな所におったのか。勤めが滞るから早く帰ってこい」


「し、しかしですね。こいつらが」


「この間のことなら次の満月にということで話がついただろう。皆も難儀しておる、早く帰ってくるのだ」


「……はい」


 一同をひと睨みし、麻丸と呼ばれた男は背中を丸めて帰っていった。身なりのいい男も、悪かったな、とため息まじりに呟き後に続く。


「やれやれ、ようやく帰ったか。手間かけちゃってごめんね、ハク」


「別に……。俺なら……、気づかれずに連れてこられるから……」


 たしかに、いつこの場を離れたのかまったく分からなかった。きっと、任務でもこの能力は心強い味方になるのだろう。


「ありがとうございます。助かりました」


「副班長も……、気にするな……。それに……、俺が行かないと……、メイが……」


「ふぇっ!?」


 小柄な身体が大きく跳ねた。その手にはあやかしを呼び出すための札が握られている。


「メイ。気持ちは分かりますが、依頼人に危害を加えるのはだめですよ」


「ご、ごめんなさい、副班長!! これは、その、ちょっと脅かして、に、逃げ帰ってもらおうと!! じゃないと、セツ班長がぁ……」


「え!?」


 今度はセツが軽く跳ねた。いつの間にか、明らかに怪しい小袋が白い手ににぎられている。リツは大いに脱力するとともに深いため息を吐いた。


「セツ班長まで、なにしようとしてるんですか」


「いや、これはほら。ちょっとだけ咳が止まらなくなる粉で、使っても命に別状はないから」


「だからって、仮にも依頼人相手に使おうとしないでくださいよ」


「えー、でもさぁ、不愉快な言葉しか吐き出さない野郎の口は、物理的に封じておきたいじゃない?」


 肩に置かれた手に軽く力が込められて、穏やかな微笑みが浮かんだ。


「リツは私の愛しい妻なんだからさ」


「……そうですか。それはどうも」


 リツは頬と胸の辺りが温かくなっていくのを感じながらも、目を逸らして軽く頭を下げた。


 ※※※


 かくして、厄介な客人にお引き取りいただいた一同は予定どおり次の依頼の準備をしながら過ごした。



 そうして日も傾いたころ、リツは自室のなかで……


「まったく、嫌になっちゃうよねー。こっちは命懸けの仕事っていう義務を果たしてるから、下級役人程度の地位と権利を与えられてるのにさー。権利のほうだけを羨ましがって、変に上からつっかかってくる奴が多くてー」


「えーと、そのご意見には概ね同意します。ですが、セツ班長」


「うん? どしたの?」


「なぜ、また女装をしているのですか?」


 ……艶やかな美女に変装したセツを前に首をかしげていた。


「えー? だって、女子って嫌なことがあったら、女子同士で愚痴を吐きあうのが一番の気晴らしになるなるんでしょ?」


「いや、まあ、そういった節はあるかもしれませんが、セツ班長は男性ですよね?」


「硬いこと言わないでよ。あ、それとも思いの丈を書き綴って最後に、『んもう! こんな日記なんて破り捨ててやるんだからね!!』ってするほうがいい? なら、紙と筆記用具を持ってくるよ?」


「その日記書いた方も男性ですよね? いや、たしかに読んでいて気分がどんどん滅入っていくほど愚痴っぽい女性の日記もありますが」


 部屋のなかに深いため息が響く。


「ともかく、そこまで無理に気を使っていただかなくても大丈夫ですよ」


「別に無理はしてないよ。それに、この格好にも割と自信あるんだけどなー」


「まあたしかに……、今まで出会った女性のなかで三本の指に入るくらい美しいと思いますが」


「えー、一番じゃないのー?」


 紅を引いた唇が大げさに尖っていく。


「あからさまに拗ねないでください。それに、別に明確な順位があるわけではなくて印象に残った方がセツ班長を含め三人いるというだけです」


「ふーん。じゃあ、あと二人っていうのは?」


「そうですね、一人は当然妹だとして……」


「さてはしらべ、かなりの姉バカだな?」


 脱力気味のセツを気にすることなく、リツは口に指を当てながら記憶を辿った。


「……幼い頃、とある姫君の護衛兼遊び相手をしたことがありまして、その子がとても愛らしかったと」


「……ふぅん?」


 実際のところ、容姿は曖昧にしか覚えていない。歳の近い子供と一緒に遊んだというあまりない状況が、記憶を美化しているだけの可能性もある。

 それでも、殺伐とした世界に生きる身にとって、その思い出はかけがえのないものだった。


「つまり、あれだね。筒井筒的な」


 やけに上機嫌な声が古い歌物語の章段を告げ、回想が遮られた。目の前では、化粧を施した顔が満足げに微笑んでいる。


「だから、姫君だって言っているじゃないですか。それに、仮にも妻に向かって他の者が運命の相手というような発言をするのはいかがかと」


「ふふふ、女子同士で睦合うのなら私は別にそこまでとやかく言わないよ。あ、ただ、たまに間に交ぜてもらいたいけど」


「セツ班長。その発言はすぐに撤回しないと方々から命を狙われることになりますよ?」


「あはは、ごめんごめん、ちょっとした冗談だって。ところでさ」


 不意に、セツが笑みを消して真剣な面持ちになった。きっとなにか仕事に関することだろうと、リツは息を飲んで姿勢を正す。


「ちょっと思ったんだけど」


「はい」


「井戸の辺りで遊ぶのって、よくよく考えると危なくない?」


「……はい?」


 予想外の言葉に正していた背筋から一気に力が抜けた。どうやら筒井筒の件が、まだ続いていたようだ。


「だってさ、もしも下に落ちたり、下からなんかが這い上がってきたらただじゃ済まないし」


「いや、そうかもしれませんが。あれは、囲いの丈が互いの成長を感じさせる重要な舞台装置になっていて……」


「なら、その辺のついじに刻んだ背丈でもよくない? 前のほうにある段で、子供らがついじに開けちゃった穴から家に忍び込むくだりもあるんだし、実は伏線になっていた的な」


「いや、でも井戸のほうが風情があるんじゃないですか? 知りませんが」


「えー、ついじにだって風情はあるんじゃないの? 知らないけど。それにさぁ……」


 二人はまた物語談義に花を咲かせだした。


 そうしているうちに日は山の彼方に沈み、空には半分に近くなった月が浮かんでいた。

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