第6話 居るわけがないもの

「それじゃあ、説明を始めようか」


「お願いいたします」


 仄暗い部屋のなか艶やかな衣を纏い美女に変装したセツが、脇息に肘をかけ苦笑を浮かべた。リツも頭の中を疑問符で埋め尽くしながら向かい合って座っている。


「今回は囮役が必要だから、その準備をしてたんだよ」


「囮、ですか?」


「そう。あやかしをおびきよせるためのね」


 化粧を施した顔がどこか遠くを見つめる。


「昔からさ、なんかあやかしによく齧られるんだよね」


「それは難儀ですね……」


「うん。どうも私の血肉はあいつらにとってかなり美味いらしくて……あ、ためしに齧ってみる?」


「齧りませんよ。ロクでもない提案をしないでください」


「あはは、ごめんごめん。ともかく、どうもあやかしを引き寄せやすい体質みたいだからさ、先代の班長から『見つけづらい奴が相手のときはお前が囮になれ! ちなみに油断を誘うために女装な!』って仰せつかっちゃったんだ」


「それはまた難儀ですね」


「まったくだよ。まあ、大体は齧られる前に今だとメイたちが片付けてくれるし、私のほうでも毒になる香を焚きしめているから大事には至らないけど」


 部屋のなかに深いため息がひびく。


「あいつらに齧られるととてつもなく痛いしできればやりたくないんだけど、今回の相手なかなか見つけづらくてさ」


「なら、私が探しましょうか? あやかしの毛や、それが無理なら亡くなられたた女性の衣があれば残った気配から探しだせますよ」


「それが、あのおっさんなぜか頑なに衣を渡してくれなくてね。本当困っちゃってるんだよ」


「そうなんですか?」


 依頼人の行動に小さくない違和感を覚えた。通常なら少しでも退治の成功率をあげるために手掛かりになりえるものは退治人に渡すか、それが無理でも見せることくらいはするはずだ。


 朝に感じたとおり、今回は厄介な仕事になりそうだ。


「ということで今回は囮が必須なんだけど、前回から結構時間が経ってるから綻びたり虫に食われたりしてないかとか、ちゃんと着られるかとか確認してたんだよ」


「そう、ですか。しかし、セツ班長を危険な目に合わせるくらいなら、私が囮になりましょうか?」


「まあ、退治人という仕事としては、上司を守ろうとするっていうのも間違ってないけどさぁ……」


 再び部屋の中に深いため息がひびく、


「妻をみすみす危険な目に遭わせる夫が居るわけないだろう?」


「……」


 どこか悲しげな表情に、何故かライの顔が重なった。そんな表情は見たこともないはずなのに。


「ちなみに、この衣は私用にあつらえた物で、昔懇ろにしていた女性が着てたやつとかじゃないから、泣かなくても大丈夫だよ」 


「!?」


 悪戯っぽい笑みと声に、一瞬にして我に返った。


「別に泣いてなどいません」


「えー、本当にぃ? その割には目がちょっと赤い気がするけどなぁ?」


「気のせいです。そんなことより、変装用の衣を確認していたということは、書類仕事はもう終わったんですよね?」


「うっ……。ほら『終わったけど提出するの忘れちゃいました。てへ!』、みたいな感じにすればあと数日くらいどうにか……」


「なりません。私の分は終わりましたので、残った分を渡してください」


「ごめんなさい……」


 項垂れながら、セツは文机の側に積まれていた紙束を半分ほど手に取った。このくらいの量であれば、少なくとも夜を明かすことはないだろう。


「残りは私のほうでやるから、しらべはこっちをお願い」


「かしこまりました」


「ありがとう。あ、そうだ。さっきもらった束に綺麗な紙が交じってたけど、あれは妹君への文かな?」


「はい。もし可能であれば、他の書類と併せて都に送ってほしいのですが」


「うん、全然問題ないよ。じゃあ、明日メイに頼んであやかしで送ってもらうよ。それと……」


 艶やかな衣を纏った身体がのそのそと部屋の隅に移動し、厨子棚から小さな袋を取り出し戻ってきた。


「はい、どうぞ」


「ありがとう、ございます?」


 頭の中を再び疑問符が埋め尽くす。


「あの、これは?」


「ふっふっふ。しらべが私のことを好きで好きでしかたなくなって、仕事を投げ出して二人で逃避行したくなっちゃう薬」


「ありがとうございます。早速、投擲の訓練に使わせていただきますね」


「あー! ごめん冗談、冗談だから!」


 袋を振りかぶった腕を掴まれ、リツは深いため息をついた。


「ロクでもない冗談を言わないでください」


「あはは、ごめんって」


「もういいですよ。それで、本当はなんなのですか?」


「うん、目の薬だよ」


「目?」


「そう。ほら、昨日話をしたでしょ?」


「ああ、そういえば」


 短いうちに色々と起こり忘れていたが、たしかにそんな話をしていた。


「お気遣い、誠にありがとうございます」


「いえいえ。しらべは、私の大切な妻だからね」


「そう思ってくださるなら、大量の書類仕事に巻き込まないでください」


「あはは、なかなか手厳しい。じゃあこれ以上叱られないために、そろそろ書類仕事に戻るよ」


「そうしてください。私もそうしますんで」


 こうして二人は仕事に戻り、メイやハクの手伝いもあって、大量の書類は夜半を迎える頃に片付いた。とはいえ、全員寝不足なことはたしなかため、翌日は詰所の掃除や次の依頼の準備等、厄介な仕事には手を出さずにすごすということになった。


 なったの、だが。



「この虫ケラども! いつまで待たせる気だ!」



 朝早く怒鳴り込んできた中年の男によって、早くも厄介ごとが巻き起こっていた。


「リツ、これが例のアレだよ」


「ああ、はい。一目でアレなかんじだと分かりました」


「お、お二人とも! そ、そんな大声でアレな感じのおっさん、とか、言っちゃダ、ダメです!!」


「メイ……。多分、お前が一番大声だ……。アレなかんじのやつは……、自分の悪口には厳しいから……、もっとそっとしておかないと……」


「ええい! 何をごちゃごちゃと!!」


 第七支部の玄関先に使い古された台詞の怒鳴り声と、第一班一同の深いため息が響く。



  妻をみすみす

  危険な目に遭わせる夫が

  居るわけないだろう?



 リツは遠い目をしながら、なぜか昨日聞いたセツの思い出した。

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