第3話 ながめくらしつ

 蝋燭の火が揺れる部屋のなか、折しも降り出した雨の音が響いている。


 知らないうちの結婚、本部第一班の壊滅、都から追ってきたあやかし、惨劇の原因になっていた自分、聞きそびれたもと婚約者の最期の言葉。


 一日のうちに色々なことが起こりすぎたリツは独り静かに頭の中を整理し──



「しっかし必要最低限の調度品は揃えたけど、なんかもう少し寂しいな……、そうだ屏風に詩か歌でも書こうか?」


「いえ、ご多忙のなかお手を煩わせるわけには。それよりも、なぜセツ班長がここにいるんですか?」



 ──ようとしていたはずが、新たに発生した事態のおかげでさらに頭の中が散らかってしまっている。



 退治後の禊を兼ねた湯浴みを終え部屋に戻ると、どういうわけか笑顔のセツが寝具の上でくつろいでいた。部屋を間違えたと焦り飛び出そうとしたところを「間違っていない」と引き止められて今に至る。



「なぜって、夫婦なんだから共寝するのは当然じゃないか。あ、それとも雅な方々に倣って声をかけてから部屋に入ったほうがよかった? なら、今から外にでて一からやり直すよ」


「部屋に入らないという選択肢はないのですか?」


「うん。ないね」


 即答する軽薄そうな笑みに、なんともいえない脱力感を覚えた。

 この様子だと、出ていけと言っても絶対に居座るのだろう。疲れているが相手をしないわけにもいかない。脱力感に軽い頭痛が混じっていく。


「ははは、そんな顔しないでよ。疲れているだろうし、夜伽をお願いしようとは思っていないから」


「それなら、お部屋に戻って休まれてはいかがですか?」


「えー、つれないなあ。せっかく雨がそぼ降ってるんだから、とりとめのない話をしながら夜を明かすのもいいじゃないか」


「古い物語を引き合いに出して拗ねないでください。というか、物語、読まれるんですね」


「うん。『在五中将のドキドキ恋日記』は結構、好きだからね」


「題名の途中に、そんなふざけた擬音は挟まれなかった気がしますが……」


「いいから、いいから。この感じだと、しらべも読んだことがあるみたいだね」


「はい。物語は昔から好きなので」


 答えながら幼い頃の思い出が蘇ってきた。家にある写本を何度も繰り返し読み、ときには妹にも読み聞かせていた。目を輝かせながら物語に耳を傾ける顔が鮮明に目に浮かぶ。


 そんな妹の平穏を奪ってしまったのは。


「それならさ、しらべはどの歌が好き?」


「え? 歌?」


 楽しげな声にリツは我に返った。目の前ではセツが相変わらずの笑顔で首をかしげている。


「そう。あの物語の中で一番好きな歌」


「えっと、全てを覚えているわけではないのですが……、『空ゆく月』の歌が好きですね」


「うんうん、たとえ離れてもまたいつか巡り会える、だなんて所が情緒あふれていて私も好きだよ。しらべはいい歌を選ぶね」


「ありがとう、ございます」


 軽く頭を下げながら本部第一班の、ライを含めた、面々が思い出される。決して良好な関係ではなかったけれど、任務中は命懸けで互いを護ることもあった。


 彼らと二度と出会うことができなくなった原因も。


「ちなみにね」


 楽しげな声がまた意識を引き戻した。


「私が好きなのは『月やあらぬ』の歌かな」


「と言いますと……」


 感傷から目を背けるように記憶の中を探る。その歌い出しで始まる歌の内容は。




「あれですね。他の殿方と結婚した元恋人の家に忍びこんで、月を眺めがら泣く泣く詠った狂気の」


「うん。もうちょっと好意的な説明をしてくれてもいいんじゃないかな?」




 セツが拗ねたように唇を尖らせる。


「もう、人の好きな歌をひどいじゃないか」


「申しわけございません……、歌は私も素晴らしいと思うのですが、なにぶん物語の部分が衝撃的すぎて……」


「いや、まあ、私もそれは思うけどさ」


 不意に笑顔の消えた目元がどこか遠くを眺めだした。


「ただ、周りが全て変わってしまったのに自分だけがもとのまま、って嘆きに言いようのない感慨があると思ってね」


「……そうですね」


 ほんの少し間に周りの状況は一変してしまった。それなのに自分は。


「って、ごめん!」


「はい?」


 唐突な謝罪にまたしても感傷が遮られた。


「なぜ、謝っているのですか?」


「いや、だってさ。あんまり深刻にならないような話題を選んだはずなのに、私のほうから変な空気にしちゃったから」


「え?」


 予想外の言葉に、鋭い目が丸くなっていく。


「ほらさ、話に聞いていたしらべの性格だと、一連の件で変な後悔をしちゃうかと思って」


「……そんなことは、決して」


「ふふ、しらべは嘘が下手だね。でも色々とありすぎて気分は滅入ってるだろ?」


「それは……」


 答えあぐねていると、目の前の顔が穏やかに微笑んだ。


「私はしらべの夫にして上司だからね。不安やら後悔やらをすべて取り除いてあげるのは無理かもしれないけれど、少しでも力になりたいんだ」


 言葉からも笑顔からも軽薄さや偽りは感じられない。つかみどころのない相手ではあるけれど、少なくとも害意や悪意がないことだけら確かなのだろう。


「……ありがとうございます」


「いえいえ。差し当たって一番の気がかりになってそうな妹さんの件は、逐一こちらに報告を送るように言ってあるから。それに、しらべから文を出したくなったとき用の紙もちゃんと用意してあるからね」


「重ね重ね、ありがとうごいます」


「ははは、だからそんなに畏まらなくて大丈夫だって。さて、と言うわけだからさ」


 突如としてセツの笑顔に軽薄さが舞い戻った。



 そして──


「今から、第一回『紫ゆかりの物語』の女の子のなかで誰が一番か大会、を開催しようじゃないか」


「セツ班長、こんな夜更けから戦をなさるおつもりですか?」


 ──どう足掻いても激論にしかならない大会を始めようとした。



「えー、だめー? だってこのくらいのほうが気がまぎれるでしょ?」


「そうかもしれませんが、うち語らうというには激しすぎますよ」


「そうかー……なら、どんな物語が好きか大会、くらいにしておく?」


「そうですね……、そのくらいなら」


「よし! じゃあ決定! 私はねー……」


 雨の音が響くなか二人は物語談義に花を咲かせた。そうしているうちに、リツはいつの間にか眠ってしまっていた。


「おやすみなさい、しらべ」


 柔らかな黒髪を一なですると、セツも傍で眠りについた。



※※※


 一夜が明け、リツは本格的に第七支部第一班の面々との顔合わせをすることになった。


「はい。じゃあ、今日はここ第七支部第一班のみんなを紹介するよー!」


 板張りの部屋のなか、やけにハツラツとしたセツの声が響く。


「はい……」


「あれ、どうしたのリツ? なんか浮かない顔だね? 頭とか痛いなら薬持ってこようか?」


「いえ、そういうわけではないのですが……」


 困惑しながら部屋の中を見回す。本来なら一つの班は班長を含めて十人前後で構成されているはずだ。


 しかし、そこにいるのは──


「え、えっと、その……」


 ──昨日案内をしてくれた少年一人のみだった。


「ぼ、ぼ、僕、なんかしちゃいましたか!?」


「大丈夫たぞメイ。リツは視力がよくないだけで怒っているわけじゃないから、そんな仙境に迷い込んじゃったような反応をしなくても」


 ヘラヘラとした声が、慌てふためくメイと呼ばれた少年をなだめる。


「どんな反応なんですか、それ……」


 朝日が差し込む部屋の中にはリツの力ない呟きが響いた。

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