第2話 あさましさと弔い合戦
部屋の中に冷たい空気が漂うなか、リツはおずおずと口を開いた。
「その、潰されたというのは?」
「言葉の通りだよ。仕留め損なったあやかしに反撃を食らって、地面に落ちた塾柿みたいな有様だったってさ」
凄惨な言葉を口にしながらも、セツの笑顔は一切崩れていない。
「特にライ班長は念入りに潰されてたらしいけど……まあ、退治人として生きていく以上は珍しくはない最期だよね」
「そう、ですね」
実際、その通りではある。それでも、ここまで表情が崩れないのは異常さを感じた。矜恃の塊のようなライでさえ、同僚が帰らぬ者となった際はそれなりに気を落としていた。もっとも、自分が負傷したときは怒鳴りつけるのみで、気に掛ける様子を見せたことはなかったが。
「どう、少し気分は晴れたかな?」
「……え?」
突然の問いかけに、リツは我に返った。
「だって自分をないがしろにしたうえ、あっさりと捨てた相手が惨い目にあったんだ。いい気味だ、とか、ざまぁみろ、とか思わなかった?」
「っ!? そのようなこと……」
ない。とは即答できなかった。
死線を共に越えてきた相手を嘲るつもりはない。むしろ、自分が残っていれば力になれたかもしれないという思いが真っ先に胸に浮かんだ。
しかし──
「そのようなことを考えるような、あさましい者にはなりたくなかったのですが」
──それは裏を返せば、「こうなったのは自分を爪弾きにしたせいだ」と思っているということではないだろうか?
夫となるはずだった相手を失った妹の心配を真っ先にせずに、なんてことを考えているのだろう。湧き上がる自己嫌悪に自然と顔がうつむいていく。
「別にそのくらいのこと気にしなくていいと思うよ」
「……そうでしょうか」
「うん。だいたい、私なんかよく人に対して『あいつ任務中に居なくならないかな』とか考えるからね。それに比べれば可愛いものだよ」
「そうですか……」
「そうそう。それに、『そんなことない』とか必死になって否定するような子より、後ろ暗い気持ちを抱いたかもしれないと悩むような子のほうが私は好きだよ。だから、そんなに気落ちしないで。ね?」
「……」
穏やかな声に促されながら顔をあげると、声に違わない笑顔が浮かんでいた。つい先ほどまでの冷たさはもう感じられない。
そして──
「まあ、好みを突き詰めていくとさっきの質問に『まったくもってその通りです』って即答して、一緒にライ班長の悪口で盛り上がれるような子になるんだけどね」
「どんなろくでもない好みをしているんですか」
──わりと最低な発言とともになりを潜めていた軽薄さがまたにじみ出し、自己嫌悪を抱くことすら馬鹿らしくなった。
「ははは、まったくだね。ともかく、残念ながら今は気落ちしたり、悪口大会をしたりしている暇がなくてね」
セツは傍に置いた文箱から三つ折り紙を取りだし文机の上に置いた。
「本部から届いた便りに、本部第一班を潰してこちらに向かっているあやかしの絵があったんだけど……、ちょっと見てもらえるかな?」
「かしこまりました」
指をさした先には腹が異常に膨れた黒い牛に似たあやかしが描かれている。その姿に、リツは言葉を失った。
「どう? 見覚えがあるよね?」
「……はい」
見覚えがあるどころの話ではなかった。
その姿は、先日取り逃がし左遷と婚約破棄の原因になったあやかしそのものだ。鋭い目つきが更に険しくなっていく。
「ふふ、いい目だ。ちなみに、そいつの狙いはしらべだと思うよ」
「私、ですか?」
「うん。あやかしの中にも執念深かったり、気位がたかかったりするやつは多いからね。そいつみたいに人を食うようなやつは特に」
「では、本部第一班が狙われたのも、先日の退治で恥をかかされたと思って……」
「だろうね。その意趣返しということなんじゃないかな」
「……」
気がつけばリツは拳を強く握りしめていた。そんなくだらない理由で酷い目に遭わされたのなら、仲間たちも浮かばれないだろう。その無念は遺された者が晴らさなくてはならないはずだ。
「もうすぐそこまで来ているそうだからさっきも言った通り今夜は弔い合戦なわけだけど……、せっかくだから二人きりで繰り出そうか」
「え?」
突然の申し出に、握りしめていた拳が思わず緩んだ。
「なにを驚いているの?」
「すみません。しかし、そんなことで大丈夫なのですか?」
「うん。来たばかりで他の子達と連携を取るのも難しいだろう?」
「それは、確かに」
「でしょ? それに残念なことにここにはしらべほど実力者はいないし……、せっかくなら自分の手でとどめをさしたいんじゃない?」
「……はい」
「なら決定」
機嫌が良さそうな声とともに文が再び丁寧に折りたたまれる。
「それじゃあ、久しぶりにやる気を出して真面目に仕事をするかな。あ、そうだ。基本的にはしらべに任せるけれど、危険だと判断したらすぐに手助けをさせてもらうからね」
「ありがとうございます」
久しぶりにということは、いつもは真面目に取り組んでいないのだろうか。そんな疑問を飲み込みながらリツは深々と頭を下げた。
※※※
その後、生活用の部屋に案内され仮眠を取っているうちに空はすっかり茜色となっていた。二人して詰所を出ると、田畑に囲まれた道の彼方から黒く巨大な四つ足の獣がゆっくりと向かってくるのが見える。その姿は視力の悪いリツの目にも、以前取り逃したあやかしと相違ないように映る。
しかし、同時に言いようのない違和感もあった。
「さてと、周辺の家にはあらかじめあやかし避けの薬は撒いてあるし、狙いはあくまでしらべだから真っ直ぐこちらに来るんだと思うけれど」
同じ違和感を抱いたのかセツの顔からも笑みが消えている。
「なんか、このまま相手をするのは凄く嫌な予感がするんだよね」
「その予感に誤りはないと思います。なにせ……」
「あの影からはあまりに何も感じられないもんね」
「!?」
考えていたことを先に口に出され咄嗟に顔を向けると、端正な顔に苦笑いが浮かんでいた。
「ふふ。仮にもこの第七支部の責任者兼班長をやっているわけだからね、そのくらいの危機感知はできるよ」
「そう、ですか」
「うん。まあ、そのくらいのことも出来ないやつが班長になることも、ないことはないみたいだけれどね」
「……」
皮肉めいた声に本部でのことが頭をよぎった。思い返してみればライは、戦闘においては無類の強さを発揮していたが、あやかしを見つけ出すことはあまり得意ではなかった。
その役割を担っていたのは。
「ともかく、あの影はなんというか……、前に退治したことがあるあやかしが操っていた泥と石を混ぜて作った人形に似てる気がするんだよね。ということで、しらべ、初仕事だよ」
「はい」
「あいつの本体を見つけ出してくれるかな?」
「仰せのままに」
リツは軽くうなずくと軽く目を閉じた。
草木がそよぐ音に交じり、土の匂いに交じり、肌に触れる風に交じり、微かな気配が流れ込んでくる。吐き気を催すような気色の悪さが。
その気配の源を感知すると鋭い目が一気に見開かれた。
「見つけました」
「よし、いい子だ。じゃあそこに案内して……」
「行ってまいります」
「あ!? ちょっと、しらべ!? ま……」
制止に声に振り返ることなく、黒い影とは別方向へと一目散に駆けていく。
向かった先の林には、緋色の狩衣姿を纏った男が一人立っていた。一見すると狩りの最中に迷った貴族と思うことも出来たかもしれない。しかし、そうではないことはすぐに分かった。
烏帽子の縁からは鋭い角、袴の裾からは蹄のついた黒い脚が覗いている。
「おやおや、やはり見破られてしまいましたか」
さほど驚いた様子もなく、あやかしは濁った金色の目を細めた。
「せっかく化けた姿に似せてあれを作ったというのに。まあ、貴女のような方が石つぶてに潰されるのは忍びないですからね」
「御託はいい。さっさとかかってこい」
腰に差した短刀に手を掛けると、笑みが更に深まった。
「これはこれは、怖い怖い」
「どうか刀を収めたままにしてください。貴女と争う気などありませんから」
「何をふざけたことを」
「いえいえ、ふざけてなどおりません。私はね、都にいたころからずっと恋い焦がれていたのですよ」
「……は?」
予想だにしなかった言葉に、柄を掴む手がほんの少し緩む。本来なら命を落としかねない隙のはずだった。しかし、それでもあやかしは攻撃をする素振りすらしない。
「一目見たときから、貴女の美しさ、強さ、鋭さに心を奪われたのです。しかし、貴女には将来を誓い合った方がいらっしゃいました。ですから、一度は諦めようとしたのです。それなのに、あの男は」
向かい合った顔に憎悪が色濃く浮かんだ。しかし、それが自分に向けられたものではないということだけは分かる。
「この強さも鋭さも美しさも一切認めようとしなかった。そして、貴女をないがしろにしつづけ、傷つけつづけた。私はそれに腹が立ってしかたなくなったのです」
「……」
あやかしが切々と語る言葉が全て見当違いという訳ではない。
ただ認めてほしかった。そんな思いは今まで何度もしてきた。
それでも。
「だから、思い立ったのです。あの男を惨たらしく殺めて貴女の受けた口惜しさを思い知らせてやろうと」
そんなくだらない思いで命を奪っていいはずがない。
「そうすれば、きっと貴女は私のことを受け入れて一緒に……」
「ふざけたことを抜かすな」
「……おっと」
一足飛びに距離を詰め刃を振るったが、あやかしは身を翻しそれを交わした。
「やれやれ、せっかく用意した衣がやぶれてしまいました」
悲しげな声とともに、鋭い爪の生えた指が切り裂かれた狩衣の袖をなでた。
「なんで、喜んでくださらないのですか?」
「喜ぶわけがないだろう」
「わっ!? でも、せめて話を聞いてださい!」
「黙れ」
「お願いです! 少しだけでかまいませんから!」
振るい続けられる刀が懇願の言葉とともにひらひらと躱されていく。
「お願いです! どうか!」
表情や声色から殺気がないことは感じ取れる。それでも、自分のせいで起きてしまった惨事の始末は自分の手で付けなくてはならない。そんな思いが攻撃を加速させる。
「ああ、そうだ! まずは貴女の気が晴れるお話をしますから!」
「黙れ」
「ですが、あの男の最期の言葉ですよ! あの男今際の際になって、あさましくも貴女のことを……」
「……っ」
耳を貸してはいけない。そう思ったのに刃を振るう手が緩んでしまった。
濁った金色の目は、今度はその隙を逃さなかった。
「……ふふ! まずはその物騒なものを捨ててください、ね!」
「うわっ!?」
距離を一気に詰めたあやかしに柄を掴まれ、リツはそのまま刀を奪われながらなぎ払うように投げ飛ばされた。体勢を崩した身体が地面に側頭部を打ち付ける。
「ぐっ……」
「申しわけございません。あまり手荒な真似はしたくなかったのですが」
悲しげな声とともに刀が茂みの中へと投げ捨てられた。
「睦み合うのにあのような物騒なものは必要ありませんから」
揺らぐ視界の中、蹄の生えた脚が一歩一歩近づいてくる。
「そうそう、まず貴女の気が晴れるお話でしたね。あの男は今際の際にあさましくも……」
「あー、ごめんね。あさましい云々の話は一通り昼間にしてあるから、もう蒸し返さなくていいよ」
「え……? がっ!?」
突然、狩衣の腹を突き破り刀の切っ先が姿を現わした。
間髪を入れず、打ち震える身体の後ろから軽薄そうな笑みが顔を出す。
「遅くなってごめんね」
「セツ、班長?」
「その通りだよ。さて、怪我はしていないかな?」
「あ、はい。軽く転んだくらいなので」
「それならなによりだ」
土を払いながら立ち上がると、笑顔が満足げに軽くうなずく。その姿にリツは背筋に寒気を感じた。
一撃をいれるまで殺気はおろか微かな気配一つ感じなかった。へらへらとしてはいるが、退治人としての実力は計り知れない。
「ああ、やはり……、こうなって……、しまいましたか……」
不意に、あやかしが深いため息と血を吐きながら悲しげに呟いた。
「愛しい君……、最期に忠告です……、この男といると貴女は必ず不幸に見舞われます……。だから、どうか……」
「……あのさ。そういう類の負け惜しみは見苦しいだけだから、さっさと塵に還ってくれるかな」
セツは真顔に戻ると突き立てた刀を横一文字になぎ払った。
「……」
あやかしの身体は破れた狩衣を残し、白い塵に変わりながら崩れていく。身体が全て塵へ変わると端正な顔がわざとらしく頬を膨らませた。
「まったく。人の妻を誑かそうとするなんて、とんでもないあやかしだ」
憎々しげ言葉とともに、地面に積もった塵が足でならされていく。
「しらべも、そう思うでしょ?」
「ああ、はい。そうです、ね」
一度に色々な事がありすぎて、返事が自ずとたどたどしくなる。
ただ、今すぐにすべきことがなにかという判断は辛うじてできた。
「セツ班長」
「うん? 二人きりのときは名前で呼んでくれてかまわないよ」
「いえ、そういうわけには……、ともかく、先ほどは見苦しい様を見せてしまったうえにお手を煩わせてしまい、まことに申し訳ございませんでした」
リツは神妙な面持ちで頭を深々と下げた。
目の前に居るのは、まったくあやかしに気取られることなくとどめを刺せるほどの実力者だ。きっと、甘言に耳を貸して隙を作り、仲間の仇を討ちそこねるような未熟者は必要ないと考えるはずだ。
きっとまた、蔑むような目とともに暇を言い渡されるのだろう。下げた頭が更に深々とうな垂れていく。
「なんで謝るの? しらべがあいつの居場所を見つけてくれたおかげで退治が成功して、ライ班長たちの仇が討てたんだよ。だから、顔を上げてもっと胸を張らなきゃ」
しかし、耳に入った声はとても穏やかなものだった。恐る恐る顔をあげた先には、声に違わない穏やかな微笑みが浮かんでいる。
「よく頑張ってくれたね、しらべ。君が居てくれて本当によかった」
「……」
穏やかな声が、心のどこかでずっと望んでいた言葉を紡いでいく。
ひょっとしたら、こここそが自分のあるべき場所なのかもしれない。そんな思いが込み上げてくる。
「セツ班長」
「だから、雪也って呼んでほしいんだけどなー」
「申しわけございません。至らない点は多いとは思いますが、命を尽くしてお仕えいたしますので、どうぞよろしくお願いいたします」
「……命なんてかけてほしくないって、思うんだけどね。私も」
「……え?」
「ううん、なんでもないよ。まあ、ともかく、こちらこそよろしくね。ろくでもない仕事ではあるけれど、しらべのことは何があっても守り抜いてみせるから」
「私にはもったいないお言葉です」
「ふふ、だから謙遜することなんてないのに。ともかく、今日はもう帰ろうか」
「はい」
二人は穏やかに笑み、白い塵だけを残して林から去っていく。
空にはいつの間にか鋭い三日月が浮かんでいた。
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