⑯明日への扉


青鬼の貿易船ぼうえきせんは沈黙していた。


トトと青鬼たちは善戦ぜんせんした。


戦いれていない者が大半たいはんであったが、数の利をかし、貿易船を乗っとった裏切り者との抗戦こうせんは、彼らの優勢ゆうせいによって火蓋ひぶたが切られた。


東雲しののめ妨害工作ぼうがいこうさくも有効に働き、艦隊かんたいは全船ともに海上かいじょうでの足踏あしぶみを余儀よぎなくされた。


操舵不能そうだふのうとなったことも痛手であったが、それ以上に船底の浸水しんすいの被害が一隻目と二隻目にはより深刻な損害そんがいをもたらしていたのである。


迷路海流めいろかいりゅうの内側で船が沈没ちんぼつするという恐怖に、赤鬼たちはしばし貿易船から注意をそらした。

そのすきに、風をはらんだ着実ちゃくじつに彼らとの距離を開いていった。


しかし逃げ切る直前になって、赤鬼の指揮官しきかんのひとりがわれに返った。

貿易船と接舷せつげん間近まぢかであった帆船はんせんの責任者である。


迷路海流めいろかいりゅうの海図奪取だっしゅという、積年せきねん悲願ひがんが果たされるはずであったこの局面きょくめんで、万が一しそんじたとなれば、そのせきをもっとも重く糾弾きゅうだんされるのは彼であろう。


しかも劣等れっとう種族しゅぞくの青鬼にあざむかれたとあっては、国辱こくじょくものの役立たずとして、つのを折られ、奴隷どれいの身分にとされるか、もしくは打ち首のすえ市街しがいにさらされることとなるだろう。


指揮官はあわを食って部下にかいを投げつけた。


観測艦かんそくかんぎ口は船倉せんそうにあり、乗組員のりくみいんたちはひざまで水にひたかりながらかいあやつった。


波のない穏やかな海を赤鬼の剛腕ごうわんぐのである。

かせいだ距離はあっという間にちぢめられ、鋼鉄こうてつの矢が貿易船を襲った。


もりの尻に結ばれた縄をたぐり寄せ、ばしが降ろされた。


武装ぶそうした赤鬼がなだれ込み、戦局せんきょくは一転して劣勢れっせいに追い込まれた。


この瞬間に一縷いちるさいわいがあるとすれば、刻々こくこくと沈みゆく帆船はんせん修繕しゅうぜんするために半数以上の人員がかれ、暴動ぼうどう鎮圧ちんあつに送り込まれた人数がそれほど多くなかったことか。


それでも種族の差は歴然れきぜんであった。


まともに組み合っても叩きつぶされることはわかりきっていたので、トトの入れ知恵に従い、青鬼たちは三人一組で武装兵ぶそうへいへと立ちむかった。


二人がかりでなわを手に突進とっしんし、足を引っかけ転ばせたすきに三人目がとどめを刺す。

もしくは寝具用しんぐようの布で視界をおおい、あるいは長刀ちょうとうを持つ腕にしがみつき、はたまた間合まあいより離れた場所から手あたり次第しだいに物を投げつけるなど、必ずなにかしらの勝機しょうきを生み出してから襲いかかるようにつとめた。


そして分が悪くなればパッと一目散に離散りさんし、次の攻め時を狙うのだ。


組には船乗りを必ずひとり混ぜ、老練ろうれんな航海士がよどみなく指示を飛ばすことで全体の連携れんけいをはかった。

五里ごり霧中むちゅうの海域を航海することでつちかわれた彼らの団結はめざましく、船の構造をたくみに使い、時に苦戦くせんしているところへ加勢を送るなど、荒事あらごとに不慣れな者たちを懸命けんめいみちびいた。


場外ではトトがつながれたもりの縄をかじり切り、荷運び用の釣瓶つるべを使って高所からいかりを落下させ、ばし粉砕ふんさいすることに成功した。


――彼らは善戦した。


一度は接舷せつげんされた観測艦かんそくかんを再び引き離し、あとは侵入しんにゅうされた赤鬼と裏切り者どもから船を奪還だっかんするだけであった。


しかしながらひとり、またひとり同胞どうほうが倒れていくごとに、付け闘志とうしは少しずつ刃こぼれを起こした。


昨日までとなりで笑っていた友が、家族が、目の前で死んでいくのだ。

戦士でもさむらいでもない彼らに、果てた同胞の亡骸なきがらみ越えて戦い続ける胆力たんりょくなど、持ちあわせているはずもない。


だが、凄惨せいさんな現実に心折こころおれたとて、投げられたさいは戻らないのだ。


この場の誰もがわかっていた。

悲しみと、怒りと、恐怖におぼれながらも、彼らはあらがわなければならなかった。

ここで足を止めてしまえば、先に死んだ者たちの命がそれこそ無意味な犠牲ぎせいとなる。


甲板が赤い飛沫ひまつれるたび、彼らは冷静さを失い、奇跡のような団結は、狂奔きょうほんの熱によってもろくくずれた。


しかし正常な思考を失っていたのは、彼らだけではなかった。


本国ほんごく指令しれいを受けて島で暮らしていた裏切り者から、幾人いくにんもの離反者りはんしゃが出たのである。


彼らとて、好きで同胞をあざむいたのではなかった。

仮初かりそめの平穏な日々は、真綿まわたのような温かさでこおった心をかし、従属じゅうぞくする運命に干からびていた自我じがの種を芽吹めぶかせた。


敵味方入り乱れた混戦こんせんは、両陣営ともに甚大じんだい痛手いたでを生んだ。


しかし最後に勝敗を分けたのは、やはり地力じりきの差だったのである。




   *     *     *




「面倒かけやがって、夢はれたか?」


赤鬼のふしくれだった腕が、血濡ちぬれた老人の頭蓋ずがいをねじるように甲板へ押しつけた。

くぐもった苦悶くもんの声があがる。

航海士は息をあらげながらも、するど眼光がんこうで赤鬼をにらみあげた。


生き残った青鬼の数は半分以下になっていた。

武器を取り上げられ、ひとかたまりに集められた彼らへ、憤怒ふんどに満ちた赤鬼の罵声ばせいが降りそそぐ。


離反りはんした裏切り者たちはすでに全員粛清しゅくせいされ、次は彼らの番であった。


当然、本国へ送り返すなどという生温なまぬるい制裁は立ち消え、いかに後悔させながらなぶり殺しにしてやろうかと、残忍ざんにんな案が飛びっている。


じりものの男ダネルは、満身まんしん創痍そういの青鬼たちを嘲笑ちょうしょうし、見せつけるように島の海図を手の平でもてあそんだ。


「まったく馬鹿の考えることは理解に苦しむ。大人しくみじめにこき使われていれば、それなりに長生きできたものを」


やがて処罰しょばつが決まった。


両足を斬り落とし、腕をもぎ達磨だるまにした後で、じわじわと腹をき、肺をつぶし、そのまま絶命ぜつめいするまで転がしておこうというものだ。


正気とは思われぬ残虐じゃんぎゃくな発想であるが、罪をおかした奴隷どれいをいたぶる行為は、赤鬼たちの国ではごくありふれた娯楽ごらくなのだ。


ひとりの青鬼が前へと引きり出された。


青鬼たちの心から絶望と激情げきじょう噴出ふんしゅつした。

受け入れがたい敗北感はいぼくかんが彼らの身体をがんじがらめにしばりあげ、悲鳴と懇願こんがんがむごい現実をりつぶそうと雪崩なだれを起こした。


しかし、もはや彼らに成すすべなどない。


無慈悲むじひやいばが高々とかかげられ、やなぎのような細いあしめがけて振り下ろされた、――その時である。


「待ちなさい!」


こおりついた空気を一条の叫声きょうせいが走った。


ここから少し離れた舳先へさきの上に、あわい銀髪ぎんぱつの少女が立っている。


「姿が見えないと思えば、そんなところでなにをやっている。レイラ」


ダネルがややイラだった口調で問いかけた。

返事を待たずとも、彼女の反抗的はんこうてきな眼つきを見れば、その行動の意図は明らかである。


「今頃になって寝返りか? お前はもう少しかしこいかと思ったが、やはり女は駄目だめだな。すぐ情にほだされる」


「そうやって固定こてい観念かんねん見下みくだくせ、改めた方がいいわよ。でないと足もとすくわれちゃうから。……こんなふうに」



そう言って、レイラは日焼けした分厚い紙のたばを取り出してみせた。

なぜだかそれは、ダネルの手の中にある迷路海流めいろかいりゅう海図かいずと、紙の質感から表題ひょうだい羅列られつまでうりふたつである。


途端とたん、ダネルの表情がわかりやすくこおりついた。


「やっぱり、こっちが本物みたいね」


「なぜ、それを……!?」


「用心深い貴方あなたが、五年も掛けて手に入れたお宝を迂闊うかつに見せびらかすはずがないもの」


ざわめきが起きた。

どういうことだ、と赤鬼たちから問いただすようなまなざしがダネルに突き刺さる。


しかし彼もまた現状に理解が追いついていなかった。

計画のかぎを握る重要な海図を、彼は誰も知らない船の隠し場所へ厳重げんじゅう仕舞しまい込んでいたはずだったのだ。


「言ったでしょう、私は自分の欲しい物を手に入れるって」


「貴様っ」


「探し物の才能は、私の方が上だったみたいね」


男の赤ら顔が沸騰ふっとうしたようにドス黒くまった。


レイラは口の端を引き上げて、いさかいいの元凶げんきょうたる古ぼけた冊子さっしを軽く振ってみせた。

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