⑮激突

「お前の殺しそこねた男は、ここにいるぞ!」


ひぐらしは、自分を呼んだ東雲しののめの顔をそのがらんどうの瞳にとらえるや、嬉々として薄い口もとを三日月型に引きあげた。


高い金属音が立て続けに響いた。

互いに手癖てくせを知り尽くしたなかである。

息もつかせぬ攻防は示し合わせたように互いのやいばはじき、かわし、また弾いた。


東雲しののめ ェ!』

「なんだ!」

『死ね! クソみてェにこっぴどく死にやがれ!』

「嫌じゃ!」


どこかきとした命の奪いあいに、赤鬼たちは青ざめて遠巻きに距離を置いた。


すでに看過かんかできないほどの死傷者が出ており、あわよくばやっかいな異人同士で相討あいうちにでもなってくれたらと、あわい期待を持ったのである。


そんなほの暗い思惑おもわくなど蚊帳かやの外に、二人は苛烈かれつにぶつかりあった。


先に押されはじめたのは東雲しののめである。

生きるためには尻尾しっぽを巻いてでも逃げ回ってきた男と、率先そっせんして人を殺すことだけに執着しゅうちゃくした男の差が、徐々にあらわれる。


あの夜もそうであった。

結果として先に死んだのはひぐらしの方であったが、それぞれが負った傷の数は断然東雲しののめの方が多かった。


腹をかれ、右眼をつぶされ、肺をつらぬかれ呼吸すらままならず、あとを追うように東雲しののめ息絶いきたえねばならなかった。


あの時の光景をなぞるように、みわたった青い空へ、細く赤い線が幾筋いくすじも散った。


対して黒い影法師かげぼうしのようなひぐらしの肉体は、もりを突き刺してもまるで手応てごたえがなく、たちどころに修復されてしまう。

ぬかくぎをうつとはまさにこのこと。

長引けば長引くだけこちらが不利である。


しかし東雲しののめは冷静だった。


ひぐらしが対人格闘という天賦てんぷの才を持つならば、東雲しののめ十八番おはこは、いかなる窮地りゅうちにおいても活路かつろを見出そうとする観察眼にある。


一手をまじえるたび、東雲しののめは生前のひぐらしと眼前の影法師かげぼうしとの違いをつまびらかにしていった。


そして、東雲しののめは眉をしかめた。


彼の知っているひぐらしという男は、剣戟けんげきのさなかにごく近距離の肉弾戦にくだんせんを繰り出し、変幻自在へんげんじざい緩急かんきゅうを織り交ぜ、次の一手を予測させない狡猾こうかつな戦い方をする。


音無おとなしであるために表だって評価されたためしはないが、里でも指折ゆびおりの練達者れんだつしゃであることは疑うべくもない。


しかしながら、この泥人形どろにんぎょうには致命的な欠陥けっかんがあった。


決定的な一打を放つ瞬間、ただ一点、首ばかりを執拗しつように狙うのだ。

喉笛のどぶえをかき斬られて転がっている死体の数が、その異様いようさを如実にょじつに物語っていた。


もともと殺しに対するこだわりが強い男ではあったが、これはそういう次元の話ではない。今の彼は、死んだ瞬間の遺恨いこんだけが、人の皮をかぶって動いているようであった。


ひぐらしは、もはやひぐらしではなかった。


その事実が、東雲しののめの胸に暗いもやを生んだ。


「それがお前のなりたかった姿か」


なじるような問いが出かかり、すんでに噛み殺す。

いたところで、ここにいる泥人形どろにんぎょうは生前の同僚ではないのだ。


ならば、もうかける言葉などない。


東雲しののめは半歩足を引いて体を開いた。

さそうようにがら空きとなった首もとへ、一切の迷いなく黒々としたやいばが襲いかかる。


しかしどんなにするど斬撃ざんげきも、軌道きどうがわかっていれば意味がない。


東雲しののめは突き出された腕を掴み、ふところへ飛び込んだ。

鋼鉄こうてつもりが深々とひぐらしの胸をつらぬき、そのままからだを縦に両断する。

途端とたんにぐしゃりと肉体がくずれた。


そして東雲しののめは見つけた。

物言ものいわぬヘドロと化したかたまりの中に、太陽の光を反射してきらりときらめくなにかがある。


――あの宝石のような種だ。


漆黒しっこくのヘドロはあわく透きとおった種を中心にずるずると集まり、再び肉体をなそうとした。


東雲しののめは、種がヘドロでもれる前にそれをひろい上げた。


直後、ヘドロから一本の刃がおどり出た。

しかしこれも東雲しののめは予期していた。

馬鹿のひとつ覚えに咽喉のどを狙う軌跡きせきから首をそらして、指先に力をこめめる。


パキリ、とかすかな音をたてて、種は粉々につぶれた。


その瞬間、床に広がっていた黒いヘドロがざわりと波打なみうち、細かく震えだした。

沸騰ふっとうしたような気泡きほうが無数にいて、そこからひどい臭気しゅうきを放つ黒煙こくえんが抜けていく。


次第しだいにヘドロの色が薄くなり、表面がおぼろに光りはじめた。


――おごそかな光景であった。


ほたるのような光のあわが、ぽつぽつとただよいながら空へと昇り、真白ましろな月にみ込まれていく。

東雲しののめは眼を細めてそれらをまぶしげに見つめた。


最後に残されたヘドロに小さなのっぺらぼうの口が開き、ひぐらしのかすかな声が耳朶じだをかすめた。


「――……願わくば、お前の行く道に、禍事わざわい多からんことを」


消えゆく寸前までひねくれた笑みをのこして、魂のしずくは遊ぶように宙をたゆたいながら、ゆっくりと天へ吸い込まれていった。


ヤツらしい、どうしようもない遺言ゆいごんである。

東雲しののめあきれた笑みをひらめかせながら、手の平でくるりと鋼鉄こうてつもりをまわした。


「次の世ではせめて、笑って暮らせ」


穏やかにつぶいた彼を目がけて、無数の矢が放たれた。

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